ああ、そろそろピアスとか開けようかなとか思う。でもね、きっと来年とか年末位になるんだろうな。多分。開けるのは片方だけ。それはアシンメトリーの美学。友人に連れられて、アクセサリー屋とかに行ったりすることが多い最近。その店内で、「自分らしさを追及する」とかいう、聞き飽きた建前の裏に潜む男を喜ばせるため――その極北は、乳と穴と現時点における若さという価値しかない性を、己が性価値を持たない老齢に陥った時にでも、自らを十分に養うことを約束する資本を持つ男に売り渡すための、そして己に対する値打やナルシズムが傲慢でないことを証明するためのパトロンを募る手段――の側面を有するドレスのように、煌びやかに並ぶピアスを見ると、そんな気に駆られる。
でも、穴開けて、金属を身に付けるとしてもアシンメトリーを精神貫き通して片方だけな。染髪〔hair dyed a novel shade〕では、身体の所有を実感できないと思った。というより、極度の猫毛であり、デリケートな髪質なので染める気にもならない。でもアレだよな。床屋で眉を剃ったり、ライブの際にアイライナーでオーケン張りのヒビ割れを顔に入れると、身体の所有を達成した気になれる。イメージを<装う>だけのファッションでは到底到達できない領域。即ち、自己の身体を所有し、支配下におくという行為を制することに一つのカタルシスを感じる。
ピアスはいづれに開けるとして――その暁には、クローゼットに豪華絢爛輝くドレス群を選ぶかの如く、アクセサリーボックスなんかを買っちゃって、その中に明瞭と輝く片方だけのピアスを眺めて、自己の身体所有をどのように試みるかを考え、恍惚の表情を浮かべるキチ○イ気取りが頓挫するであろう。誰か、新しいピアスを買うたびに、不必要になるであろう片方だけのピアスを貰ってくれとか、今のうちに言ってみる。そして、ピアスの他にもタトゥーという、もう一つの身体所有に関する行為がある。
タトゥーに関しては、トライバルでも呪術的でもない、物心崇拝的なもの。即ちフライングVを、腕辺りに彫ろうと前々から決めているのだが――その構想を知の師匠に話したら大爆笑されると共に「私なら、自らが視認できない部位にタトゥーを入れるわね」というお言葉を仰せつかまった――やはり、敢えて身体の所有を試みてやる以上、中年程度になってから、衰えていく身体に対し、老化の影響を受けることのない、自らの意思による、自らの身体所有に関する証を刻みつけたいとか思った。
スポンサーサイト
2006/09/03(日) 01:48:39 |
未分類
| トラックバック:0
| コメント:0