どうも今までの経験上からか、自称オヨビ聞いてもないのに不幸自慢をしたがるメンヘラー(もどき)には常々懐疑的なものを持っている。多分、以前から大学時代の、かなり精神的に参ってた時期があった――友達がいることが当たり前とか、皆に嫌われたくないとか、色んな人を助けたい・力になってあげたいとか、そういった偽善に満ちたイデオロギーに幻想を抱いていた部分はかなりある――ことは書いてきたと思う。
その、精神的に参っていた頃と、現在の・・・・形容することばが見つからないのだが、現在的状況に対する自らの詭弁やスキルを運良く構築できた状況への過渡期に、<もどき>という程のにわかでもなく、ダウナー系のメンヘルちゃんに言われた一言がある。「JUNKさんて結構躁鬱のきらいがあると思うよ?」と。目からウロコが落ちたと思った。小泉的に感動した。
何かこうね、過渡期の頃の心中にモヤモヤして、くすぶっていた「名状し難いもの」に名前が与えられた瞬間、その名状しがたいヤツが「ユリーカ! (Eureka)」とか叫びながら、諸手を上げ始めた気もした。以後、状況を構築しながら「JUNKさんてほら、結構神経症のきらいがあるからさ(・ ∀・)ハハハ!」という感じで状況を構築し続ける。
XのTAIJIは自伝の中で「センスとは心に受けた傷である」といった一説を書いていたが、神経症を装うJUNKさん的には、それは素晴らしく的を得た意見であると思う。極論をいうなれば、<幸せ>とかいう、あの奇妙なゴールに無批判であり続ける限り。もしくは現状に満足し続ける限り、<何か>――その何かは万人の心を打つものでないかもしれないが、後世に残る可能性がありうるもの――を生み出すことは難しいんだなとか思う。「ワラッテル ミテロヨ キノセイサ ワラエヨ」(from「蜘蛛の糸」/筋肉少女帯)の世界ですよ、ホント。
オーケンのエッセーに、名状し難いシンパシーを抱きまくって、オーケンに憧れまくった余りに卒論で平成バンドブームを扱ったり、友達ができなかった大学の学食で。昼のピーク時が過ぎて、人が居なくなった学食で、モフモフとまではいかないけど、毎日カレーを食べていたあの日々を思い返すと! 単身で、友達いっぱいだからこそ、ええかっこしいな学生が溢れる学食で、一人で堂々と飯を食べれるようになった今の自分が大好きだとか言い切れるのです。多分、当分神経症的な部分から抜け出すことはないんだろうけど('A`)。
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- 2006/08/23(水) 01:21:38|
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