「最近インターネットで流行っている小説を見てもはっきりわかるだろう。「ドンインニョ(同人女)」というものであるが、それはもともと「同人誌」のように自分のお金で漫画の本を作るものである。ほとんどアマチュアが中心になっている。しかし、この「同人誌」に男性同士の同性愛を扱った日本の「ヤオイ」物の影響で、そのような傾向の漫画がたくさん作られるので、いつのまにか「ドンインニョ」が同性愛を主に扱っている集団に見られるようになった。しかし、実際に同性愛とは関係ない漫画を作る女性も多いのである。韓国では日本の「ヤオイ」が好きな女性を「ヤオニョ(ヤオ女)」と呼んでいる。しかし、ヤオニョの場合は日本のポピュラー文化を消費するだけで満足しているのに対し、「ドンインニョ」は新しいポピュラー文化を創り出す創作者である、とう違いがあると思われる。
―張竜傑,2005,「イデオロギーと脱イデオロギーの狭間から: 韓国青少年が夢中になる日本のポピュラー文化」(192-193頁),『越境するポピュラー文化と<想像のアジア>』。
韓国の留学生と色々話しをして思ったのが、日韓は両方とも「政治は腐ってる」。双方とも役人の首を挿げ替えることが望ましいという結論に至った。その一方で、韓国はサムスンLG電子などでの電子工業や各種映画(日式韓流がバカみたいに騒がれる以前から良質に映画を量産していた)で積極的な海外進出を果たしている。日本人からみた近代韓国の代表的な文化というと、前述したように電子技術や<映画>――ドラマではなく映画なのだ――なのだ。どんな題材も無理やり「世界の中心は二人」的なビルドゥング・ロマンスに落とし込んでしまう日本映画は、とてもではないが韓国映画に太刀打ちができるシロモノではない。極論をいえば、朝鮮戦争を題材にした映画――『黒水仙』など――のようなものを、今の日本映画が取ったとすれば、群集たちの歴史は「世界の中心は二人」的な悲劇に置き換えられ、カラオケやヒットチャート、そして歌番組と連動した<主題歌>という音楽商品が組み込まれた消費財と成り下がるだろう。
そんなことを考えながら、「日本文化」として海外競争力を得られるものは何かということを考えていくと、やはり「マンガ」と「アニメ」にたどり着く。それから、「キャラクター」を筆頭とした、カワイイ帝国の武士(もののふ)たち――唯一、ミッキーと互角に渡り合える兵のはキティちゃん位しかいない――しかないという結論に至った。
21世紀は文化の時代、いわばソフトの時代と言われている。周囲(特に欧米による賞賛)が騒ぐまで、当人たちが自文化の一部が世界的な評価を受けているという自負を持つことは少なかった。しかし、こうなった以上、文化的なヘゲモン(覇権性)を自覚し、クソ・マスゴミが垂れ流すような「メイド喫茶」や「萌え産業」のイメージを是正し、正しいイメージを海外諸国に発信すべき・・・・・・とか何とか書いてたら、また文化的左翼とかいうレッテルを貼られるからやめておくお(´・ω・`)。とりあえず、明日提出の課題論文の方は、仕上がりそうにないので先生に直訴メールを送って数日伸ばしてもらうことで決着がつきそうです。かゆ、うま。
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- 2006/08/12(土) 00:15:13|
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