※番号は管理上のものなので、今のところ文章全体の通し番号ではない。なお、テキストの時事系列についてはある程度の内容にまとまったところで再編集し、まとめなおす予定である。
◆侍に憧れたボクラがドブネズミのように輝いていた時代 1988年頃から90年頃にかけて、日本中は「バンド」という一つのカルチャーに沸いていた。いわゆる「平成バンドブーム」である。2006年現在、バンド活動はわざわざ「ブーム」と名付ける程特異なものでもなく、極有り触れた、それこそ道徳基準を酷い程に満たす小学生の課外活動の一環ですらある。平成バンドブームについては、「イカ天」や『宝島』などメディアの影響や、企業側が資本を生み出すと判断した「インディーズ」への注目やバブル景気など様々な要因が複合的に合わさって発生したブームである。しかし、ブームである以上、モード同様にその寿命は短い。
3・4年という短い期間の内に終わってしまったこの一過性のブームは様々なモノを生み出した。ブームの直前を象徴するバンドとしては「BOφWY」が挙げられるが、ブームの真っ只中を象徴するバンドとしては「X」「筋肉少女帯」「JS(W)」、そして「ブルーハーツ」が挙げられる。特に、ブルーハーツはシンボルやオピニオンリーダー、そしてカリスマとしての機能を多いに果たし、ブームに踊りバンドを組んだ若者達にとっては最もポピュラーな模倣対象であった。ブルーハーツが模倣対象として大きな人気を獲得した理由についてもあまり詳しく述べないが、簡素に述べるなら「解りやすさ」「親しみやすさ」「手軽さ」、そして「模倣の容易性」という理由がある。私は常々、平成バンドブームと『侍魂』以降のテキストサイトブームをだぶらせて考える傾向があるのだが、オピニオンリーダーもしくはマニュアルとしての『侍魂』とブルーハーツはやはりイコールで結びつけられる存在だと感じている。
多くの人が『侍魂』または「ブルーハーツ」に憧れてテキストサイトを開設(バンドを組み)、模倣品としてシーンに対するコミットメントをしていった文化的なムーブメント。両者は共にその寿命は短く、今となってはノスタルジーを喚起する懐かしい言説になってしまった感さえある。平成バンドブームの前後で最も大きく変わったことは、今では至極普通なことなのだが、当時としては考えられなかった「ロックバンドが莫大な利益を生み出す」という点である。では、膨大な参加者・閲覧者が流入したテキストサイト界は資本を生み出したか? という問いを考えると答えは「ヤー」でもあり「ナイン」でもある。
テキストサイト界で生まれた利益といえば『侍魂』のバナー収入、今風に言い直せばアフィリエイトが印象深い。『侍魂』に張られたバナー広告の収入は「先行者」ネタによる爆発的ヒットを記録した最初の二月程度で100万近くを稼ぎ出した(『テキストサイト大全』,19-21頁)。また、ソフトウェア会社「プロジー」やゲーム会社「ナムコ」などからも『侍魂』に対するバナー広告依頼があったが、大手blog管理者がアフィリエイトを張らせて<頂いたうえ>で利益を得ている現状と比較してみると、実にバブリーな時代であった。
今現在は、テキストサイト界も――私が見ている/見てきた限りの範囲でいうところの中心を欠き、大きな物語というものが解体してしまい、それこそポスト・モダン的な状況に突入している。そもそも、既に「テキストサイト界」という括り・・・いや、元からそんなものは「想像の共同体(ベネディクト・アンダーソン)」と言うべきものだったのかもしれない。だが、輝かしい時代は確かに存在していた。その時代というものは、皆が抱いた想像であったとしてもテキストサイト戦国時代と称される時代を、私を含めた多くの参与者たちは確かに潜り抜けてきた。戦国時代では毎日がライヴを演るような興奮と、憧れていた大手(スター)サイトの更新を楽しみにし、「どうすればあのサイトのようになれるのか」とか、そんな事ばかり考えていた気がする。そう、ブルーハーツに憧れたバンドブーム時代のバンドマンたちと全く同様の、当時を評した言葉を引けば、繰り返しになるのだが、とりあえず有名になりたいという表面意識以外を持ち合わせていなかった「空虚なイデオロギー」や「表現したいことことなど何も無い」といった論調がテキストサイトブームの最初期には存在していたように思える。
後述するがブームが進み、界(シーン)自体が成熟――むしろ飽和か?――を迎える頃になると「テキストサイト論」というものが目立つようになってくる。その時期になると前述の論調は無くならないまでも薄れていき、テキストサイト・ナショナリズムという程のものではないが、「想像の共同体」としてのテキストサイト界というものが立ち現れ、数多の参与者が提示したテキストサイト論によって、テキストサイト界はより強固になる形で参与者たちの観念に形づくられていった。
私事を少々語らせて頂くことをお許し願いたい。私がテキストサイト界に参与することになったのは、先に述べてきたように『侍魂』がきっかけであった。界への深いコミットメントは大手サイトの派閥への参加や、ネットバトルやテキストサイト界における出来事に対する言及などで、半ば自己満足的であっただろうが行ってきた。テキストの内容は、当時の他の数多あるサイトと同様に「笑い」「痛々しさ(痛さ)」「駄目さ加減」といった要素を打ち出し、その日その日の内に消費していくような散文が堆積していくようなものだった。2003年頃から、テキストサイト論の隆盛などに感化されてか――自己を振り返ると、そのような方向転換を目指し始めた時期から講義や読書に対して<真剣な>取り組みを見せ始め、無気力状態から脱出し始めた時期でもあった――中身のある、読ませるテキストを書きたい! という欲求が芽生えてきた。有名性よりも人気よりも創造性・作家性を。そのような意識を保ちながら、文章表現や内容、そしてレイアウトなどに対する試行錯誤を行っていく中で、レイアウトはテキストサイトやblogに多く見られる感覚的改行、それほど長くは無い一区切りの文章をまとめた際の改行という形式から、段落形式によるまとまった文章レイアウト。『テキストサイト庵』による定義では、「段落文体」という造語を用い、段落の尊重や段落内の強制改行を排した文体形式というものだ。
段落文体を意識した頃は『テキストサイト庵』の存在を知らず、大学で書くレポートや当時取り掛かっていた卒論で用いる文章表現の訓練という側面が強かった。余談になになるのだが、ワードプロセッサで文章を書く際は段落と段落の間に改行を入れない形式。普段読んでいる書籍のような形式で書いているのだが、Webに文章を書く際は段落と段落との間に改行を入れている。理由は酷く単純で、「文字が詰まって読みにくいから」という理由から、段落間に一抹の改行を入れている。個人的な好みであるが、その形の方が文章が詰まっている形よりもに非常に読みやすい。勿論、紙媒体で読む際は完全なる段落文体形式の方が、縦書き・横書きを問わず読みやすい。
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- 2006/06/30(金) 21:57:36|
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