これまでに何篇かの成果を晒してきたように、ライフワーク的に『侍魂』以降のテキストサイトブームに関する論考を書いている。しかし、ブームの隆盛に対して資料――特に「実証性」を持ちうるものは少なく、複写などのサービスを使わずに手に出来る範囲で、参考になりうる出版物といえば『テキストサイト大全』と『スローブログ宣言』位しかない。ただ、前者についてはブームの渦中であることと、(意思疎通や知識の共有が十分とは言いがたい)執筆者が複数いる点で、実証性という点で参考になるとは言えないが、一テキストサイトの延長線上にある著作物として読んでいくならば、中々興味深い点は多い。
ベネディクト・アンダーソンの言葉を引くところの「想像の共同体」をテキストサイト界という実在性を持たない共同体に当てはめた論考はまだ表に出してなかったと思う。とりあえず、前述の『テキストサイト大全』や一時的に(2002年の後半頃が特にと記憶する)大増殖した「テキストサイト論」などは、その殆どは無意識的であったにせよ「想像の共同体」を維持するプロパガンダとして機能したという点は想像に容易い。特に前者における<我々>という表現――同書181頁など――は政治的な意図を持たない無邪気な共同体意識からくる表現であるだろうが、当時の熱狂においては共同体意識を鼓舞する要素として機能しただろう。しかし、界や共同体に対する帰属意識を殆ど失った今では揚げ足取りのような点ばかりが目に付いてしまう…。それらの点については、いずれ「再考テキストサイト」の中で語っていく。
「想像の共同体」――私にとって共同体に繋がるポータルサイト的な役割を持っていた『ダークマター』が閉鎖して以降、共同体に対する帰属意識は一気に崩壊し、共同体を失った私はポスト・モダンとも言い換えられるような状態に突入した。そして現在の、内容としては最早「テキストサイト」とは呼べないような――否、『侍魂』以降の「テキストサイト」としては不十分な要素が強いかもしれないが。テキストサイトの売りといえば、やはり「お手軽さ」であった。手軽さは、パフォーマー・オーディエンスの双方に対する重要な要素でありる。だからこそ、テキストサイトはブームとして、今はblogにその地位を委譲してしまったが存在しえた。
テキストのみを用い、読むに堪えることのできる――これは「今日の更新」というように、時間の堆積に埋もれることのないテキストを書こうとすれば、連日垂れ流しているテキストの如くオーディエンスに対して高度とまではいかないが、凡庸な識字能力を要求することになる。消費や識字、内容理解、そして共感が非常に容易なテキストの堆積やアクセス数によって、テキストサイト界にカリスマ性や大手の威厳が形成されるのなら。いや、されてきたことは否定しようのない事実である。そういった世界に慣れきったオーディエンスから「評論みたいに上からものを言っているようで気分が悪い」と侮蔑されれば、私は「ロジカルな文章を読める閲覧者に向けて書いているんでね」とか言い放ってみたい――しかし、幸いなことに、そんなホットなオーディエンスはまだ現れていないし、そう言われたところで「ファーストフードのような本ではなく、懐石料理のような本・文章を読み給へ」とやんわり言い返すだろう。ほら、JUNKさんネット弁慶だからさ。
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- 2006/06/27(火) 22:11:22|
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