今ではテレビを見ることが少ないが、18歳位まで――多くの人がそうであるように、中学時代位まではお笑い番組にかじりついていた。で、本日のネタ元は太田省一,2002,『社会は笑う―ボケとツッコミの人間関係』。
同書は1980年頃から2002年頃に到るまでのマンザイブームや60年代を代から2002年までのバラエティ番組における、笑い方に関する表現・オーディエンスの享受など変遷に関する本だが、特に80年代後半、夢中なテレビっ子時代を彷彿のナツカシイ名前が並ぶ並ぶ。「元気が出るテレビ(1985)」「風雲たけし城(1986)」「ねるとん紅鯨団(1987)」「仮面ノリダー(1989)」「ウリナリ!(1995)」「電波少年(1995前後)」etc。
だが公開スワップ型ねるとん「ねる様の踏み絵(1995)」辺りは何故か記憶になあわけで(´・ω・`) 。して、80年代後半~2006年現在に到るまで、シロウト参加型番組や過剰なテロップや盛り上がりの予告―『ガチンコ』や『ロンドンハーツ』に顕著―が増えていることは周知である。同書では80年代のシロウト、つまり観客の変化について『夕焼けニャンニャン』を引いての興味深い記述がある。
「試合が終わってボブのマネージャー役に扮した石橋貴明が勝どきをあげるのを合図に、観覧の高校生たちは客席を離れ、スタジオ内を走り回り、ある者はカメラに向かってウケ狙いのギャグをする」(75頁)。
その空気を把握している人は「ああ!」と思うだろう。例えを変えれば「アラレちゃん」や「奇面組」、あとは『うる星やつら』的なモブ(群衆)要素。コマの片隅で、群衆の一人が「かーちゃん見てる?」「ピースピース」といったセリフを発するような形式が――与える印象の良し悪しではなく、まずテレビやコマの全面に出ることが欲望として表出する――ひどく80年代的な空気というか気質にあった。
資格映像に表出される時代の空気を文書で表現し、空気を知らない相手に伝えることは難しい。いや、文章わ用いて視覚表現を記述することは、説明的な表現徹すれば可能だろう。そして、相手がその空気に触れた経験があるならば説明的な文章でも伝達は簡単だ。そうでない相手では、生き生きした雰囲気を伝えることは難しい。
観念論や感覚論になってしまうが、説明的な記述で場面を思い浮かべることができても、場面に<漂う>空気を伝達することができないのだ。だからこそ、幅広い感性を養うためにも、媒介物から時代の空気をも読み解くための認識能力を養うためにも、自分の現実よりも少し古い作品を積極的に吸収・消化することは大学の講義よりも、大学講義よりも格上にされた資格勉強よりも重要さを持つ・・・と思うのだが、それ自体は資本利益や異性獲得の要素などには繋がらないから説得性が薄いんだよね(´・ω・`)。説得相手が創造性や自発的な好奇心に重要性を持たないなら尚更。
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- 2006/06/26(月) 00:39:23|
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