物<神>的な見世物に支配された現代社会において、豊かな先進諸国に配置された我々は周囲を取り囲むスペクタクルに対し、どのような位置を取るべきか? 啓蒙は神がかりな超常現象を否定し、リアリズムへの着目を称揚した。
アルフォンソ・リンギスが述べるように、モノに対するフェティッシュ(崇拝)は夢があるし、感受性を豊かにしてくれる―もっとも、値やブランド・有名性とは無縁であるモノそれ自体の外観や性質に基づいたものへの創造力であるが。私自身としては、耽溺する・させられている文化産業を批判し、排除せよと言っているのではない。半ば強迫的[obessesion]な消費を行う対象は一体何なのかという点を定義付けたり批評―それが何かを言説化すること―こそが重要である。従って、言説の裏側から、自らがモノに対して持っていた理想や幻想を―それは男が情欲を喚起する文化装置によって女に抱くものに似ている―打ち砕くような現実が出てきた際、幻滅するか変わらず〈それ〉に熱狂するかは本人次第だが、壁の裏に隠れた言説に触れることはモノに対する愛着や歴史・意味性に対する意識を高めることに繋がるという利点がある。
いわゆる商品や文化としてのモノばかりが、先程から述べている〈それ〉が指す対象であるとは限らない。我々日本人が一見すると極当たり前と思う「日本語」という言葉ですら、壁の向こうには興味深い歴史や事実、そして〈正体〉が潜んでいるし、〈イギリス語〉による帝国主義的な傾向、日本人の持つ「外人」のイメージなどについても壁を打ち砕くて見ると良い。
さらに身近でホットなものは、やはり「ディズニー」だ。刺激的な関連書籍は山のようにあるし、複合文化産業や文化帝国主義としてのディズニー。世界に同化するキティちゃんと世界で自己主張を行うミッキーなど、トピックはキリがない。特に、新自由主義経済下でスクルージおじさん化が進む最近の日本人など。
実は、子どもの頃からスクルージおじさん大好きだった。資本主義的姿勢に惚れ込んだのではなく、金の海で泳ぐ突飛さとかシマシマの水着のプリティーな様、一喜一憂の奔放さが大好きであるし、たぶん今でもお気に入りだと思う。そして、壁を崩したいと思うのならば過去の日記の端々にある言葉や人名、書名やトピックなどを自力で調べて吸収して行けば良い。また、この文章を読んでいる方がもし、壁を崩す欲望を強く持つ・持ってしまったのならば、それに対するガイドや啓発について、私としては協力を惜しまない。
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- 2006/06/17(土) 22:02:11|
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