有名性は有名である・有名になること。有名性を持つ対象に近づくこと・認知されることという欲望を促す。ロックに付き物のグルーピー、平成バンドブーム時代のファック隊、近年のV系シーンにおける<悪癖>とも誇張したくなる「狙い」などは、大まかにいって後者の欲望を持つだろう。先にあげた例はたまたま女性が充当される・進んであてがわれる役割であるが、前者の欲望を持つ女性は勿論多い。
高級ファッションブランドや有名ブランド―限られたテイストを持つ少数者に有名なものではなく、広く大衆に知られているブランド。最近でいえば『NANA』がブレイクした以降のヴィヴィアンなどがその典型―を盲目的かつ熱狂的に買い漁る層も、素晴らしい思想と歴史を持つ<商品>ではなく、値段と<有名性>を買っている場合は多い。
1930年頃の上海を揶揄した中国の4コマ漫画がある。その内容は、10元の値札と中国産という説明書きが付いたコートが飾られている店先を鼻で笑う夫婦(男も女も極めて摩登〔モダーン〕な装いをしている)が描かれており、店主が10元の値札を300元(3000だった気もするが)に。中国産という説明書きを「英国産高級商品」に変えたところ、先の夫婦は勇み顔でそのコートを買っていったというものだ。
ドイツ人にとっては、日本人にとっての桃太郎と同じくらいに身近な―言い過ぎだろうか? むしろ三島由紀夫位にしておくか?―シェイクスピアが高級として日本国内で崇められることも(無論内容の素晴らしさはあるのだが、突っ込みどころも数多い・・・特に『マクベス』や『じゃじゃ馬ならし』)、有名性をめぐるイメージの消費の一つある。高級ブランドに話を戻せば、我々日本人がブランドと聞いてまず思い出すのは、最もイメージし易いシンボルを持つ「シャネル」と「ルイ・ヴィトン」であろう。シャネルと言えば、波を描く黒地の鞄生地に、シャネルを真に愛好する方々なら知っていて<当然>である、例のロゴマーク。ヴィトンといえば、シャネルと同様にそれがどのうような背景を持っているか既知である「LVマークの布地」がシンボルである。それらのシンボルは我々が最もシャネルとヴィトンという二代ブランドを確認し、他者から見せびらかされるイコン(聖像)でもあり、そこに有名性が集積している。
なるほど。ならば、有名な高級ブランドであるシャネルのイコンとヴィトンのイコンと組み合わせれば、超有名性を持った最強のブランドが出来上がるじゃないか! つまり、ヴィトンの鞄に使われる布地にシャネルのロゴが合体した鞄。超有名性を持ったバッグの両脇にシャネルとヴィトンの鞄を配置し、「これらはもうブランドではありません。これ(超有名品)がブランドです」とでも書いたキャッチコピーを立てかければ良い。ただの便器ですら芸術性を持つ現代に相応しいブランドじゃないか。
そして、今から学校/研究室を後にするわけですが、午前中からマトモに授業受けまくってると、実に酒が飲みたくなりますね。しかし花金だけれども、金欠・啓発につき、どっかの喫茶店で自習なんです(´;ω;`)ウッ。
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- 2006/06/16(金) 18:51:52|
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