また「ぷちナショナリズム」の季節が来ました。でも負けたね(´・ω・`)初戦。4年前の日韓W杯の時は6/9日に・・、確かロシア戦が土曜か日曜に行われた。で、渋谷でアニメタルのライブ見た帰り道に渋谷の街中では「ヤーパン!」「ヤーパン!」とかやっておりました。帰宅した頃には試合が終っており、テレビの中では渋谷で繰り広げられて歓喜の暴動写っていた。ああ、混ざりたかった! もうちょっと街に留まっていれば! と苦渋を飲みながら経過すること4年。独逸W杯の日本代表第一試合目は月曜の開催でだるいし、試合遅いし、家でまたりと飲んだくれていた・・・・。けども、やはり暴動が起きたじゃないか。4年前のような大規模ではないようだけど。
で、ドラマ『ギャルサー』の略が全く解らなかったら、W杯の裏で「ギャルサークル」略して「ギャルサー」の番組をやっていたのですよ。「ギャルサー」は「クオリア」とか「エコロジー」のように明確な内容を定義付けできないけれど、思わず使いたくなるオシャレでカワイイ記号的な造語に近いものだと思っていたら、略称だったのね。「ギャルサー」。とりあえずギャル―番組内では、解りやすい編制やキャスティングはあるだろうが、コギャルから「コ」が取れたようなガングロちゃんが勧誘しまくっていた。
コが取れたガングロギャルが、イベントに参加する男子学生について語る際「MARCH=明治,青山,立教,中央,法政」の名を執拗に連呼する光景にはデペイズマン―それこそ、皮下に眠る犬を見るために海の皮膚をめくるような違和や滑稽さ感じえない。有名性や中身の無い肩書きばかりを掲げる(自称)セレブパーティーも同様だが、それが「性と資本と有名性(もしくはブランド)の一大スペクタクル(見世物)」の価値しかないと気付く参加者がどれだけいようか? 否、気づいたところで新・自由主義経済の旗下で消費の燃焼に明け暮れるこの腐った社会では、そのようなことを問うこと自体はナンセンスである。
酷く男尊的なことを申せば、フェミニンなブランド性を持つ女、もしくは現代の美的規範を著しく逸脱しない程度の非醜な外見を有す女である限り、その女はパーティを彩る性の見世物―核を付けば乳と穴―の価値はありうるという話だ。男の理想像に従ったフェミニティやジェンダー規範を著しく侵食するようなインテリジェンスやウィットな感覚を持つ女が蔓延ることを、どれだけ多くの男が望んでいるだろうか? 少なくとも、私はオモシロイ・ステキから蔓延すること―知的なハイクラスの領域ではなく、大衆に対する広い蔓延―を強く望んでいるが。
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- 2006/06/13(火) 13:41:44|
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