(最終更新:2006/05/17)
本稿は、私が2003年の初頭頃から自らのサイトで公開していた「再考テキストサイト」(進行形を伴ったまま未完結)を草稿に見立て書き直したものである。従って、一部の年代表現にズレが生じているが、ズレについては適宜付け加えを行っている。また、更新の際には、書きあがった部分を本稿の下に随時書き加えていく。
本稿の完結については、草稿段階においても「完結するか解らない」と書いたように全く未定である。更新頻度も、草稿以外の書き下ろしについても気まぐれの更新になるが、日記(blog)内で今まで書いてきたテキストサイトブームについての稿や、これから書くであろう、当時を回顧した稿と照らし合わせながら、更新を気長に待って頂きたい。
◆NWOJTS◆ 1970年代後半から80年代初頭にかけて、ロンドンパンクのムーブメントが凋落の兆しを見せていた英国で、新たなロック・ムーブメントが誕生した。その名も、NWOBHM(NEW WAVE OF BRITISH HEAVY METAL)。NWOBHMの火種は世界中に拡大し、極めて狭い領域で、ではあるが、米国においては「新たなブリティッシュ・インヴェイション」と呼ばれる程の影響を誇った。また、多くの英国産メタルバンドたちが米国ツアーを敢行し、アメリカのキッズたちに多大な影響を与え、その影響が(特に)スラッシュ・メタルという土壌を形成しながら開花するのは八十年代の中頃である。
NWOBHMについては、話がずれるために多くのことを語らない。とりあえず、NWOBHMはIRON MAIDENの登場を起爆剤として盛り上がりを見せ、先にも述べたように、世界各地に新たな形式のへヴィ・メタル――大作化が進む、旧来ハードロック/へヴィ・メタル(HR/HM)に対し、パンクの方法論で新たなヘヴィ・メタルの雛形を提示した――を振りまいた。
2001年の3月頃、「先行者ネタ」が口コミで人気を博し、それをきっかけとして大ブレイクを果たした『侍魂』を起爆剤として起こったネット上でのブーム。多くの侍魂フォロワー的――その殆どは劣化版としか言いようがなかった――テキストサイトの他、様々な種類のテキストサイトを大量発生させ、「テキストサイト」というジャンルを各地に知らしめる事になった一連のムーブメントがあった。「テキストサイトブーム」や「テキストサイトバブル」と呼ばれることがあるこのブームは、正式な名称は無い。偉大なるブームである、NWOBHMにあやかって、このブームをNWOJTS(NEW WAVE OF JAPANESE TEXT SITE)と呼称する事にしよう。単名なるあやかりではなく、NWOBHMと同様に、新たな文化の流れ(新参者の参加を促したり、それまであった『侍魂』以前のテキストサイト郡りも、よりポピュラーでコンパクトなサイトが増えたり)を生み出したという点を踏まえての命名である。
NWOJTS以前から運営していた私のサイトも、NWOJTS世代(『侍魂』のブレイク以後にテキストサイトの存在を知り、『侍魂』や『裏MIZUHA』『兄貴の館』など、ブームの始まった2001年春頃の代表的大手サイトに影響を受け、HPを開設、ないしは予め持っていたHPをテキスト系にシフトしたサイト群)と同様ら、『侍魂』他、初期の代表的なテキストサイトに影響受け、テキストサイトという既に一大規模を誇っていたジャンルへの傾倒を開始した。ちなみに、傾倒以前はゲームの話題を中心とした、特に運営目的も無い内輪向けのサイトを運営していた。
◆文字のボディランゲージ◆ blogが全盛となった近年では、その数を減らしているようにも思えるが、blogにおいても相変わらず根強い人気を誇っている表現手法がある。NWOJTS象徴する現象の一つである「フォントいじり」がそれだ。「フォントいじり」はHTMLのタグを利用し、文字の色やサイズに装飾を施す手法であり、NWOJTSの魁!! である『侍魂』が行間空けと共に多用していた表現法でもある。例えば、「フォントいじり」の実例は以下のようになる。
また振られました(血涙) という具合に、「(笑)」「(涙)」といった、喜怒哀楽を表す表現や、「(´д`;)」「(^▽^)」や「T◆T」といった顔文字も「フォントいじり」と共に多様される。ただ文章を打っただけの感情表現よりも、「フォントいじり」を駆使し視覚に訴えた方が、一見すれば能動的であるし勢いもある。さしずめ、文字によるボディランゲージである。しかし、無意味なことや全く日常にありふれた言葉をさも大袈裟に描く、酷く空虚な表現手法であるため、「フォントいじり」に対する批判も数多く存在した。表現の優劣はともかくとして、テキストサイトブームを象徴する表現手法であった。そういう点もあり、blogを巡回している際に、最早化石とも呼びたい気もする表現手法。すなわち「フォントいじり」に遭遇した際、一抹のノスタルジィに駆られしまうことが度々ある。
先にも述べたが、全く日常にありふれた表現を大袈裟に書くテキスト。特に何かを考えさせるわけもなく「ただの勢い」や「お約束ネタ」「管理人のキャラクター」が付随することにより、価値を持つテキストに閲覧者は何を求めていたかを考えると、まず「気楽さ」や「手軽さ」という点が考えられる。なるほど、「フォントいじり」気の無い、無機質な文字がつらづらと並ぶこの文章と比べれば、手軽で・単純で、あっけからんとした趣のある「フォントいじり」を駆使したサイトの方が肩もこらないし。さらに読み易いし
<楽しい> という評価を下す人はいるだろう、無論その逆もある。私個人のことを申せば後者の位置におり、「フォントいじり系」の極北を今も尚目指し続けている。
私のサイトが、『侍魂』を知った後にテキスト系に移行したのは2001年の3月頃。「フォントいじり」へ本格的に傾倒し始めたのが同年の6月前後と記憶している。『侍魂』のデザインフォーマットを引き継ぐ『女帝』と交流が深かった同年の9月~11月頃にかけては、私のサイトにおける「フォントいじり」のピークだった。私のサイトで「フォントいじり」がピークだった頃は、先にも述べたように『女帝』の影響が多々あった。それに加えて、当時のテキストサイトは笑えるネタ・痛いネタを全面に押し出すという風潮があり、私の中にもテキストサイトはその風潮の如くあるべき! という妙なイデオロギーが存在していた。
よく、平成バンドブームを称す際に使われる「空虚なイデオロギー」と似たような、「いかに面白おかしく表現するか?」という思想も、表現欲も、技術鍛錬にさえも盲目になりながら、妙で空虚なイデオロギーに突き動かされるまま、私は無意識にフォントいじりへの傾倒を開始していた。参考例として、2001年当時の過去ログを一部分抜粋してみよう。
ちなみに上野の常磐線ホーム着いたのが
9:40分 発車案内が
8時37分で 止まってるのはこの際気にしないです
振替輸送で結構どたばたしてるんですが、関係無いです
目的地で人身事故なもんだから輸送しても無意味です(死) 「フォントいじり」への傾倒期から私のサイトを見ている人は、「今の日記(2003年前後)スタイルもまぁ、悪く無いけど、昔の方が勢いがあって楽しかった」といわれる事がある。確かに、本稿(「再考テキストサイト」)の草稿を書いていた003年頃は単純なフォントいじりよりも、「フォントいじりを用いない論理性のある文章で勝負が出来るか?」という点を意識しいた。今と比べれば、若かったし文章力も名状し難い程に拙かったが「若書き」と言って済ませられるレベルでも無かったため、大口を叩いていた当時を回想してみると、少々複雑な気持ちに駆られることは多い。
フォントいじりを配し、純粋な文章を追求し、「文章だけで勝負が出来る真のテキストサイト」という妙な理想を模索し始めたのが2003年頃だった。その結果「内容がわかり辛い」という意見が多くなりはしたが、単純で空虚な文章を「フォントいじり」で誇張し続けていた頃の日記やテキストよりは納得のいく内容――先にも述べたように、<拙い>では済まない程に酷い内容なのだが――に、当時としては仕上がった。そのため、「フォントいじり」時代の閲覧者から「つまらなくなった」と言われようとも、私自身としては満足した文章を書く方向へと変化していった。しつこく繰り返すが「当時のレベルでは」の話だ。
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2006/05/18(木) 01:47:10 |
再考テキストサイト
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