アンドレ・ブルトン。シュルレアリスムの創始者であり宣言者として良く知られた人物である。また、澁澤龍彦がサド侯爵殿を筆頭とした西洋文化を、書物を介して万華鏡の如く魅せられたことから「アンドレ・ブルトン先生」と呼ぶ人物である。
私には澁澤龍彦からの影響を公言してはばからない知の師がいる。師によって、澁澤龍彦・西洋美術―師に連れられていった2005年のレオノール・フィ二展の衝撃は、私の人生を大きく変えたといっても良い出来事であった―球体関節人形。その他諸々を教授された私は、一方的であるが澁澤が呼ぶところの「アンドレ・ブルトン先生」に習って、「<私にとっての>アンドレ・ブルトン先生」と呼んでいる。澁澤によって様々な西洋文化を案内された師にとっては、澁澤がアンドレ・ブルトン先生であり、澁澤の影響下にある師によって、澁澤がブルトン先生に。師が澁澤に案内された文化を私が案内されたことから、私は最大限の敬意と謝辞をこめて、自分勝手にではあるが、師を「<私にとっての>アンドレ・ブルトン先生」と呼んでいる。
師からは、先にも申したように幅広い西洋文化―とりわけで美術を中心にしたものーの愉み方。並びに、性行場においての首の絞め合いまで。幅広い教えを授かった。加えるなら、当人はいつも口癖のように「好き勝手なことをやる・言うだけでしてよ?」と言う。つまるところ、私が勝手に啓発され、彼女を師と公称しているのだが、彼女自身は「何かを得ようとする人間に対しては色々なものを紹介したい。ただ紹介するだけ」ということも仰っており、奇妙な師弟関係…とも呼べ無いような関係である。だが、師は紹介物に対して自分の感想を先に述べることは無い。常に、相手が作品や文化から何を思ったのか・何を読み取ったのかを伺っている。その感想が下らないものなら、いつも即座に関係を切る。というのは師の弁であるが、実のところ、私自身もツマラナイ感想を言い放ち、いつ首を切られるのかという点を考えてヒヤヒヤすることが多い。
再び、師のことを申せば、ニーチェが言うところの「超人」に近い世捨て人である。また、いづれ私が述べるであろう「」の取れた〈女〉を限り無く体現された御人である。基本スタンスとしては、気の向かない限り、外界と接点を持たない方である。
長い間一切の交流を持たなかったにも関わらず、忘れた頃に「最近、少年犯罪報道が増えてきているけど、JUNKさんはどう思う?」と送ってくる御人だ。また、久方振り―今年初めて連絡があったと思えば、携帯キャリアがvodaからauに変わっていた。無論、アド変更の知らせなどは無く、件名には名前を。内容には「ブラド美術館展が開催されているらしいわね」の一言が。素晴らしく合理的であり、一方的に師と呼び続けるに相応しい一言である。しかし、私が異性に対し。いや、同性に対しても、そのやうな殺伐した姿勢を取れるかは疑問である。
だからこそ、冒頭でしつこく書いたように、私は師を。澁澤を敬愛し、自らの思想源流に位置付け、熱っぽく語る〈御人〉を。澁澤の言をパロディした形で「私にとってのアンドレ・ブルトン先生」と称し、敬い続けるのだ。
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- 2006/05/04(木) 22:25:42|
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