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続・JUNK屋日誌

blogへのテラ・フォーミング(2005/12/17)。遂に時代の流れには逆らえづ、本サイトの日記のみをblogへ移行。

CANNIBAL

 真昼間から、映画にはコダワル友人と『食人族』(1981,伊太利)を観賞。アホだな俺ら。やっぱり伊太利亜といえば『ゾンビ』か。一応亜米利加も加わっているが。とりあえず『食人族』だな。公開当時は『ブレアウィッチ・プロジェクト』に流れ続く、セルフ・ドキュメンタリー形式の作風によってか、映画が事実か否かを巡る論議―特に、あの有名極まりない「串刺し女」―ばかりがセンセーションを呼んでいたと聞く。

 内容については、トホホなB級映画戦線を「それなりに」潜り抜けてきた我々が、余りのダルさ加減―残虐シーン肩透かしや展開の単調さなど―に幾度となく途中で止めようかと思ってしまう程だった。しかし、「(ダメ)映画通」への通過儀礼として、最後まで観賞しなければという妙なイデオロギーに駆られ、不本意ながら退屈を押し殺し、最後の陳腐な台詞までを見届ける結果となった。

 さて、多様な情報へのアクセスが容易であり、作品情報や批評を踏まえた上でこの映画を見てみると、食人表現の残虐性云々よりも―劇中の残虐シーンは、かなりチープである。その上、先住民たち食人シーンが明確に描かれていない点と相対的に強調される白人たちの残虐性や、しきりに「ホワイト」を強調する台詞の端々から、様々な批評点が考えられる。

 まず、日本においての語られ方。それ自体が、この作品の語られ方を日本独自のものにしてしまっている。つまり、「過激な残虐作品」という評価だけが一人歩きしているという点を、強烈な肩透かし感と共に感じた。

 作品の原題は「CANNIBAL HOLOCAUST」である。原題自体には「食人族」による虐殺(ホロコースト)、「食人族(と定められた者たち)に対する虐殺」の二重の解釈が出来る。しかし、邦題の『食人族』は、そのような解釈性を台無しにしてしまい、非常におぞましい作品であるというイメージに華を添える格好になっている。「ORGY OF THE DEAD」が『死霊の盆踊り』にるような邦題の被せ方は、作品のトホホ具合を非常に良く体現している。しかし、『食人族』の邦題については、先にも述べた通り「本作品はフィクションである」という前提を踏まえた上では、いささか不釣合いであるようにも思えてくる。


 「おそらく世界中どこでも、食尽にまつわる幻想は人類の歴史とともに古いのではなかろうか。自分とはまったく見かけも収監も異なる他者と遭遇した時、相手が食人ではないだろうかという恐れが生まれ、あるいは逆に無理してでも食人を装うことによって相手を威嚇する。たとえ食人を習慣としていなくても、勇気や抵抗を見せ付けるために食ってみせるということも、もしかしたらあったであろう」(本橋哲也,2005,『ポストコロニアリズム』,27頁)。


 先にも述べた様に、劇中においては見せ付けるような―それこそ、先住民たちが如何に残虐であるかを刷り込むシーンは少ない。ただし、部族間の抗争や懲罰として、探検隊である白人側や観客からみれば残酷と呼べるシーンはある。では、劇中の先住民たちを「カニバル」として定義づけるのは誰かというと、やはり白人の側である。また、歴史における「カニバル」という言葉が、どのように旅をし、「食人種」から「他者の野蛮性を告発する」言葉や「植民主義を正当化する道具」として使われ方が変化してきたかについては、上記の文献を参照されたし。

 劇中に話を戻すが、白人の撮影班たちは「野蛮人」「カニバル」と規定した先住民たちに暴虐の限りを尽くす。言い換えれば、<食人のタブーを犯さない文明人である白人>が<食人という野蛮な行為を行う非文明人の有色人種>を「悪」と見立て、正当性を後ろ盾とした暴力を行使する。単純な善悪図式を踏まえた上で、<正義>に位置する白人たちは、最終的に先住民の逆襲に遭い虐殺されてしまう。そして、映画のラストは、「真の野蛮人は…」という、二項対立で残虐性などを語る際のクリシェが恥かし気も無く披露される―最後のクリシェを使うことで、作品が酷く嫌悪感溢れるものに感じてしまうのは、監督の狙い通りであろうか?―のだが、白人による白人に向けた映画作品として『食人族』を考えてみると、非白人である私にとっては中々興味深くもあり、嫌悪を感じ、白人によって作り出された「カニバル」として劇中の先住民を捉えるなど、妙な視座を確保してしまった。

 映画の手法。フィクションとリアルの映像を織り交ぜることにより、観客の感覚を鈍らせるという点や、残虐なシーンで、敢えてのどかな音を利用したりなどは、今回語べきものではないので触れないでおく。そもそも、『ゾンビ』のような社会風刺的意図が含まれているとも、単なる露悪趣味であるとも解釈し辛い本作品を真面目に語ること自体、ナンセンスであるのかもしれない。それよりも、非常に気になる『食人族3―食人族VSコマンドー〔CANNIBAL HOLOCAUST : CANNIBAL VS COMANDO〕』を観賞し、そのキャンプさ加減に大爆笑する方がよっぽど健全であるな。

 『食人族』の「映画としてのグタグダさ加減」に、気が滅入った我々が放った捨て台詞と言えば「やっぱり(今日見るのは)『死霊の盆踊り』にしておけばよかった!」という、トホホな一言だった。
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  1. 2006/04/29(土) 23:50:14|
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 いわゆるトコ、侍魂以降のテキスト系サイトとして惰性してから早4年(2005年当時)。日記部のみblogに移行しました。それまでの素性とか、堆積物は「サイト」の方を参照で。現在の方は「mixi」とか。

 飲んだ暮れ。夢想家。澁澤シンパとみせかけて種村派。専攻は一応、文化社会学とか言いたいんだけど、実際の専門的らしい専門はない(と思う)。

『家畜人ヤプー』、沼正三、女性のサディズムと父権制におけるマゾヒズム、少女のエロティシズム、アリスイメージの消費、ロリヰタファッション、ヘヴィメタル、サタニズム、オカルト、タロット、少女小説、テクスト論、表層的SM批判、ジェンダー論、クィアスタディーズ、なんかよくわかんないけど色々。

 文化批評系よろず同人誌「Kultur Trieb」主宰。執筆者、購読者募集中。HPとかはまだ作ってないので、詳しくはmixi内のコミュを参照。

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