思ったんだが、気づけばこの時間とはなんぞや? きっと宇宙人にアブダクションされて、空白の時間が消去されたんだ。もしくは、きっと「しまっちゃうおじさん」がやってきて、何かしら都合の悪い記憶と、それに相当する時間を消し去ってしまったんだ、きっとそうに違いない!
あともうひとつ、毎日が退屈だから、mixiにせよ2chにせよ、かなり人的交流や情報の流動性の大きなコミュニティで、何か「おもしろそう」なことがおきないかと期待するあまりに、素直に眠れないのかもしれない。
家にいる際にPCに触るのは大概帰宅後の1時過ぎということもあるかもしれないけど。とりあえず、相変わらず購入予定リストとか、コピーする資料のリストとかを作ってた。何か不毛な時間を過したために、脳髄が記憶を消去してしまった、ある一定の時間を除いては。
天野哲夫,『我が汚辱の世界』
――『女帝ジャクリーンの降臨』
――『異色嗜的作家論』
『イメージの冒険(2)絵本』,
『イメージの冒険(4) 少女』
『イメージの冒険(5)神話』
『伊藤晴雨写真帳 責め絵の女』
リチャード・コールダー『デッド・ガールズ』
――『デッド・ボーイズ』
――『アルーア 蠱惑』
アラン・ブラウン『オードリー・ヘップバーンズ・ネック』
あたりが、また買い物リストに追加された。全部セコハン。っつうか、新書じゃ手に入らないんだよ、こんな御時世。何かを書くためには、沢山の何かを蒐集して、読んで、昇華しなければならない。これ、創作者の鉄則。
オーケンも何かのエッセイで書いていたさ。創造力を枯渇させないためには、常に引き出しを増やし続けなければイケナイと。そうしないと、お肉の塊かマタンゴになっちゃうよ!
「あたしたちが笑ってあげれば、お兄さんたちはもう苦しまないんでしょ? 仕方なかったんでしょ? お仕事だったんでしょ? 運命だったんでしょ? 血と、肉と、死で彩られたお兄さんたちの毎日は、与えられた運命だったんでしょ?あたしたちが笑えば、もう気にすることはないんでしょ?笑うよ、笑うよ、あたしたちはニコニコと笑うよ。だからさ、気にしなくていいよ。全部、全部、許してあげるよ。」(大槻ケンヂ,『ステーシー』[単行本版],127頁)と言われなければ、このsomething to hotから逃れられない世界に、ワレワレは生きているのだという妄想から逃れるためには、この熱帯夜から逃れて、何も考えず、素直に俗っぽく笑っていられる世界にクロス・ザ・ラインできれば、どんなに幸せであったかのかもしれないとね・・・。
そんな時に、イヤホンから流れるのは、青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」ですね、わかります。シュドゥビィドゥ゛ィドゥヴァと。とりあえず、寝る・・・。しかし、なにか、こう、なにか、こう、なにか、こう・・・・・・何がしかを書き留めておかなければイケナイと思わせる、この脳髄の中にある何かが笑っている限り→「ワラッテル、ミテロヨ」/「キノセイサ、ワラエヨ」の世界からエグザイルしてディアスポラできないんだろうなぁ。
人は麿のことをスキゾというか、あるいは朕のことをパラノというか・・・・・・? まぁ、もう21世紀なんだから、人類の進歩と調和だとか、冷戦時代の夢物語なんか捨てて、破滅に向かってゴーゴーにダンスを踊ってりゃあ、少しはこの世界が厭になるってもんさ・・・・・・。
気分的に思弁小説(現に、メタフィクションな思弁的少女小説を、ライフワーク気味に書いているが)になってきたゾ。「21世紀の弘法も筆の誤り者」って感じ。キング・クリムゾン的な意味で。
そして、明日起きた時にこういうだろう。「こんな、日記書いた覚えがねえよ!!!」と。
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- 2009/07/15(水) 03:45:06|
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