『ぶたばあちゃん』[
OLD PIG]、この本は死、あるいは臨床をテーマにした物語で、死を予期した「ぶたばあちゃん」と、ばあちゃんの覚悟を段々と、ひっそりと受け入れ、それと向き合う孫娘の日常を描いた本です。
「死」というテーマは、19世紀後半~20世紀初頭のイギリス児童文学が足を踏み入れることの出来なかった領域(キャロルの『アリス』2作、バリーの『ピーターパン』、ミルンの『くまのプーさん』と『プー横町にたった家』など)では、子供から大人へと成長すること、もしくは成長を拒むことなどが、重要なテーマとなってきましたが、『ぶたばあちゃん』では、かつて子供だった彼ら/彼女たちが、大人になり、年を老いた後に待ち受ける、決して目をつむることのできないゴール(あるいは再出発点)がテーマになっています。
本書は一応、児童書や絵本というかたちになってはいますが、体調を崩して寝込んでいた「ばあちゃん」が町へ出かけた際に行った、事務的な処理の数々は、やたらと生活感に溢れていて、本書のたいていの読者になるであろう児童層には、少し遠い感じがするかもしれません。次に、一例を引用してみましょう。
「ぶたばあちゃんは、かりてた本を図書館にかえし、もう次のぶんは、かりませんでした。銀行にいって、お金をぜんぶひきだし、口座をとじました。/うちにもどると、ばあちゃんは、のこったお金を孫むすめのさいふにしまって、『だいじにして、かしこくつかうのよ』といいしまた。」
なによりぼくの心を強く打ったのは、「かりてた本を図書館にかえし、もう次のぶんは、かりませんでした。」という一節です。職業柄、ぼくは図書館との蜜月を絶つことができない性分でして、借りている本を返しにいく道すがら、いつも「今日は何を借りようか」ということを、携帯のメールにメモ代わりに記しておいた書名のメモや、「必読文献リスト」と名うった印刷物や、脳髄に記憶する限りの気になった本を、図書館の端末で検索し、借りて帰ろうということを考えています。
もし自分が、ばあちゃんのように「かりてた本を図書館にかえし、もう次のぶんはかりませんでした。」というような状況になった際、「死ぬこと」を遠回しに伝えたり、直接的に伝えるのではなく、たくさんの<大切なこと>を、色んな形で伝える、ばあちゃんのような振る舞いを、孫でなくとも、子供に対して、できたら良いな・・・・・・と思わせられました。
「『さて、それでは』ぶたばあちゃんがいいました。『ごちそうにしようかね』/食欲がでてきたの?」とつぜんの希望にみちて、孫むすめがききました。/『食べものが、食べたいわけじゃないんだよ』ばあちゃんがいいました。/『わたしは、町をゆっくり散歩したいのさ。そして、木々や花々や空や、なにもかもを見て、目に、うんとごちそうしてやりたいんだよ』」。
本書の原版、
OLD PIGは、1995年に出版され、邦訳も同年の9月に発刊され、以後14年もの間(2009年現在)版を重ね続け、ぼくが今回の献本で頂いたものは、第17刷です。文を書いた人は、マーガレット・ワイルド(ふたりの子どもたちと一緒にシドニーに在住)、絵を描いた人はロン・ブルックス(妻とさんにんの子どもたちと、タスマニアに在住)と、本書カバーの著者・挿絵画家紹介には記されています。
ワイルドは南アフリカの生まれで、1972年にオーストラリアに移住。ジャーナリストや児童書の編集者などを経て、現在ではオーストラリアを代表する児童作家として知られている人物で、『ティモシーとおじいちゃん』(1981, 偕成社)では、文だけでなく、挿絵も手がけています。そしてブルックスは数多くの児童書の挿絵を手がけており、ワイルドとの共作としては、『キツネ』(2001, BL出版)があります。
ぼくは、日本では、諸外国にくらべ、古典的な児童文学にスポットライトがあたることが少ないような気がします。アリスにせよ、ピーターパンにせよ、プーさんにせよ、ディズニー映画や、昔に読んだ、ソフトな感じに簡略化された絵本の印象のある人がいたに、ぜひとも、キャロルの『不思議の国のアリス』/『鏡の国のアリス』、バリーの『ピーターパン』、ミルンの『クマのプーさん』/『プー横町にたった家』を読んでいただきたい。
皆さんがそれらの作品を読んだ際、はたして、それらが「子ども向けに過ぎない」と、簡単に断言できないような印象を持つ可能性は、極めて高いと、ぼくは思っています(注文を付け加えれば、ケネス・グレアムの『たのしい川べ』も、なるだけ岩波書店の大判のもので読んでいただきたい!)。
本書も、前述した作品群と同じように、子ども向けだからと、大人になった人たちが、素直に(本当に素直に!)拒否し、自身で頁をめくらずに、もしくは子どもの前で読み聞かせるために頁をめくってみるということに留まるべき/留めてしまうべき作品ではありません。もっとも、いくつかの名をあげた(ぼくが大きな感銘を受けてきた作品でもあります)19世紀~20世紀にかけての、英国の珠玉のメルヒェンは、児童文学ということもあり、『ぶたばあちゃん』とは比較にならないくらいの文量がありますが、それらの作品では、『ぶたばあちゃん』と比較にならない文量をもってしても踏み込めない領域がありました。それは、本稿の冒頭部分で述べてきた通りのことです。
この拙い書評で、少しでも『ぶたばあちゃん』や、作者と挿絵画家、そしてキャラや内容はディズニー通じて良く知っているけれど、オリジナル版を読んだことのないという人は、ぜひとも、『ぶたばあちゃん』と共に、それらの作品を(たぶん、英国児童文学方は、大抵のものは町の図書館にもあると思うので)読んでいただきたいと思います。
この書評を読んでくだっている方の多くは、まだかろうじて、「ぶたばあちゃんは、かりてた本を図書館にかえし、もう次のぶんは、かりませんでした。」とい状況にはならないと思いますし。「次のぶんをかりる」余裕があるうちに、たくさんの本を、たくさんの絵本を、「子ども向けだから」とか、「児童文学だから」とか、不必要な色眼鏡をつけずに、たくさんのものに触れてみてください。
名をあげてきた児童文学作品を読む前に、まず『ぶたばあちゃん』を読んでみてください(ぼくは、逆のかたちで『ぶたばあちゃん』を読んだので)。それらの作品を読んだ後、(できれば、ジャッキー・ヴォルシュレガーの『不思議の国を作る』も読んでおいて頂きたい)、再び『ぶたばあちゃん』を読んだ後、何か心に残る物があったなら、この書評を見返して貰えれば、あなたとぼくの間に、何かしらの共感が生まれるかもしれません。

ぶたばあちゃん
- マーガレット・ワイルド文/ロン・ブルックス絵/今村 葦子訳
- あすなろ書房
- 1575円
Amazonで購入書評/
児童
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- 2009/07/04(土) 03:02:13|
- 書評〔本が好き!による献本〕
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