「翌日スブリガニはクレアウィルに毒を飲まされた挙句、地獄の悪鬼どものところへ行って、女の身体のなかに住んでいる悪魔は、詩人や祭司たちが描いてくれる冥府の悪魔より、千倍も恐ろしいものだということをつくづく語り合わねばなりませんでした。」―マルキ・ド・サド『悪徳の栄え』
『悪徳の栄え』(下)が読み終わる。ってか、読み始めたのは今日の昼間だっけ?
まさにそれこそが悪徳!あの痛快なジェットコゥスタァのスリルに身をやつした者ほど、千鳥や若気を行うかのように頁をめくる手を止められない輩はいない。金・土と私はマゾッホでした。日・月と私はサド公爵でありました。そして公爵様はちょっぴりフェミニストな面があるなと思いました。
S(男)×M(女)という構図しか意識のないクソ牡どものアナルカントに、ぜひ公爵様のバイブルをねじこんでやりたい、と思うのは、まだ私があのいまいましい美徳に支配されうる部分があるのでしょう。
とはいえ、悪徳を賛美し美徳を憂う、あの「神」の嘆きの雷、あの敬虔な美徳者であり、唾棄すべき異端者でもあるジュスティーヌを鞭打った天のさばきは、何故に私の上に落ちないのか?私にとっての「愛しいお友達であるデュラン」がまだ現れていないということもありえますし、私自身がデュランとなる役割を背負い、「愛しいお友だちジュリエット」を待つ役割を背負わせたというのでしょうか、忌々しい悪徳の化身、デミウルゴスは。
私はラオコーンのようなマゾッホ精神あふれる殉教者(「殉教」という呼称は適切ではありませんが)にも、はたまたヘリオガバルスのような放蕩者にもなる気はありません。私はタロットの「吊られた男」が戯れに演じてみせたオーディンに憧れ、同じく「悪魔」のカードが演じてみせたサタン、悪徳という名誉によって堕落という進歩を被った黒のプロメテウス、ルシフェルという名のハ・サタンを羨望し、グノーシス主義者が称えるサタンのような知の誘惑者となり、この世の綺麗事を暴くために、「皇帝」のカードが左手に抱える帝国の林檎(Reichsapfel)を世にあまねく全ての人々の口で、契水で、菊座で、それよりも、なによりも、脳髄で味わって頂きたいと思うのです!
ああ、窓に! 窓に!
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- 2009/06/16(火) 01:25:22|
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