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続・JUNK屋日誌

blogへのテラ・フォーミング(2005/12/17)。遂に時代の流れには逆らえづ、本サイトの日記のみをblogへ移行。

The Piano

 昔から、楽器は習わされてきたが、唯一、弦楽器のみが後世に生き残った。つまりは、ヴァイオリン。ギターは自分から弾きたいと思った楽器だった。でも、ヴァイオリンもまた、後世になって自分から弾きたいと思うようになった弦楽器だった。・・・・・・缶を数本空けたが、まだ狂っちゃいない。・・・・・・息をしているだけ奇跡だぜ。

 幼少時に、良い老マイステリンを持ったためだろう。青年になった今、2年ほど前から、昔は遙か巨大な背丈を持ったマイステリンを見下ろすくらいの背丈になった自分が、ピアノ椅子に座りながら、白髪になり、腰も曲がってしまった老マイステリンのヴァイオリンを弾いている姿を上か見下げてみる。昔は、見上げていたのに、それはもう神話的な光景。今は白髪の老マイステリンとの昔話に花を咲かせるのみ。

 ・・・昔はもっと大きかったのにな「あの人(Madama Sir)」は・・・・・・きっと、「Trinken mich!」なんて書いてある瓶に入った飲み物を飲んでしまったんだろうな。老マイステリンに師事する俺は、まだ狂っちゃいない。今のところ。多分。

 基本は弦楽器畑の人間だけれど、ピアノについて、昔の一時期、お作法のように習っていた時期があったから(ヴァイオリンのように、物心が熟しきってから、また始めようという気にはなれなかった)複雑な気持ちがある・・・・・・でも、2つの楽曲というか、2人の作曲家からは逃げられないんだ。

 ジョージ・ウィンストンとマイケル・ナイマン。曲でいえばナイマンの「The heart asks the pleasure first」&「The Promise」とウィンストンの「Longing Love」(箱根彫刻の森美術館を背景とした天気予報のBGMといった方が通じるかもしれない)。前者は・・・・・・ちょうどWOWWOWで特集気味に放映していた時期、WOWWOWに加入していなかったから、スクランブルのザーザー音&映像の彼方に、海辺の・・・・・・あのピアノのある幻想的な風景と、ノイズに阻まれつつも、奇妙で熱い感動を与えてくれたナイマンの曲に、小学校高学年ながら、どれだけ心を熱くさせられことか・・・・・・・。

 もちろん、ビデオ版を観た際、目にせざる得ないセックス描写に、どう挑んだのか、明確な記憶はないけど、「ぼくはマイケル・ナイマンの感動的な曲に惹かれたんでちゅ! あんな大人のプロレチュ・ごっこには興味なんかありまちぇん!」と「ブルーノ」を演じてみたかもしれないけど、今も昔も、俺には転んだときに、肘をすりむいたときに、優しく慰めてくれる「シルヴィー」はいなかった。たぶん、ルイス・キャロルにも同様だったと思う。あのオッサン、長男だったしな。

 今も俺の「シルヴィー」を待ってるって? どうかな・・・別にもう「ブルーノ」を演じる必要もないし、俺の「シルヴィー」になるヤツがいるのなら、戯れに「ブルーノ」になってみようと思うが、柳瀬尚紀の訳を踏襲した「でちゅ、まちゅ」体の「ブルーノ」になるんだったら、『たのしい川べ』のヒキガエルくんみたいな世間知らずになった方がマシさ。「シルヴィー」が少女ではなく、「女」なら話は違うが、ド、ド、ドジスンおじさんはそんな成長を赦しはしないだろう。

 「サロメ」?、「ベアトリーチェ」?、「ロリータ」?・・・・・・どうだろう。結局、バルデュスの『地獄』の中には、おれが青い頃に抱いてきた欲望、そしてたまに、今でも鬱になった頃に思い描く、女に対する欲望が描かれていると思う。それは、「我が友ウィルソン」に教わった欲望。気になるヤツは『地獄』を読めば良い。少なくとも、欲望は抑圧するものではなく、肯定すべきものである→例えば、「今、こんな明け方に近い時間に、狂ったように、女に対する渇望にとり憑かれるように、そしていますぐ見て貰って、喝采を貰いたいと渇望するこの欲望を、果たして誰が見るだろうか? 女でなくても良い、この際男でも良い。バルデュスのあの作品の主人公のように『ぼくが見ていますよ』という一言があれば云々!」→というには、いささか感傷的すぎる。

 「とある店先の、背が高く幅のせまい鏡の中に、歩いてゆく自分の姿が見える。少し顔が蒼ざめ、眼がぼんやりしている。ぼくが求めているのは、ひとりの女ではなく、女の全部だ。ぼくは身のまわりに、ひとりひとり女をさがしているのだ。」→アンリ・バルデュス『地獄』。

 俺は排除主義を嫌う。全員平等に価値がない世界なのに、他の誰かを、会ったこともないくせに、イメージで排除しようとする連中を嫌う。その時点で、可能性のある世界を消し飛ばしているからだ。ロシアンルーレットは、シュレッティンガーの猫と同じく、観察者(観客)が目撃することによって存在する世界を生きるための遊びなんだ。

 「可能性」をはなっから遠ざけようとする連中に、ぼくは価値を感じない。人間性も感じない。どんなに偽善的なことを述べ立てようとも、会ったことのない人間に対する罵詈雑言を並べ立てた瞬間、「そいつ」の人間性は価値を失う。でも、それで良いじゃない、人間だから。

 他人を知ろうとせず、ただ、紋切り型のイメージや世論に流されているだけの排他主義者(彼/彼女らが、自分の可能性を潰していることに気づくのはいつの日か・・・でも、「人間って不思議だね」)にゃあ、ハナっから関心はないが、ふと、一昨日辺り、嫌煙ファシズムについて議論しながら、煙草飲みながら、酒飲みながら議論していた話を思い出した。

 そして、再び『ピアノ・レッスン』と思わせておいて、思春期に話は移る。。中学生の頃、あらすじに惹かれ(よくあるじゃん、セックスが主題になってるけど、一般作として借りれる映画って・・・・・・ポール・バーホーベンですね、わかります)セックス・シーン目当てで借りた映画『クラッシュ』を借りた。

 抜いたか、抜かなかったかは、全然おぼえてはないんだが、性に導かれるまま、J.G.バラードが原作で、監督がクローネンバーグだなんて知らずに借りてみた。でも、。不思議なことに、各シーン各シーンは、微妙に記憶に残っているんだよね。そこには女の肢体も、屍体もなかった。乳も尻も太股もなかった。あるのは、鉄でできたフレームのイメージと、事故の速度だけ。あとは何もかも忘れた。でも書かなければいけないと脅迫的な何かを感じたんだ!

 劇場版の『クラッシュ』の監督がクローネンバーグだったということを知ったのは、22歳の頃。さらに、バラードによる『クラッシュ』の原作を読んだのは、24の頃。そして劇場版『クラッシュ』の女が、『ピアノレッスン』でサンボンネットを着用し、ピアノを通じて感情を語り、野性的な、ゾラの描いたような「獣人」との愛欲に落ちていったあの不貞女を演じたホリー・ハンターだったということを、ついこないだ知った。

 でも、「あの女」の濡れ場なんぞは、とうの昔に忘れた。事故の場面と、バラードによる文しか、今は思い出せない。でも書かなければいけないという脅迫的な何かを感じたんだ! あの白鍵と黒鍵をはいずり回る、録音された指の動きに! まだ若々しい、栗の花の臭いのする白濁の液体を、衝突事故でセックスにふける野獣じみた女に向けたかもしれない。それがあのホリー・ハンターとも知らず・・・・・・昔っから、人の顔を覚えるのは得意じゃなかった。

 「ブンガク」も「エイガ」も、何にも知らず、ただ、性に関する欲動に突き動かされていたありし日のガキだった。雄犬が人間の足に対してフェティッシュな感じを抱くよりも、もっと単純なもの。つまりは、自分と近い環境に棲息する雄と雌の交尾を覗き見できれば、それはそれで、なにか内側からこみ上げて、街に出ればでるほど、その感覚を押さえきれない一方で、酷い劣等感に悩む、あの「地獄」に喚起されるドロドロした感情を解消できたかもしれないというワケなんだ。

 結局、いくら「エロ」だなんだと語る男たちは、どれだけ陰嚢だとか、精巣だとか、睾丸だとか、無論、このさい海綿体でもなんでも良いんだけど、それらについて、女と猥談をしながら語り合える知識があるのだろうか? 膣だろうが、なんだろうが、そんなのただの「粘膜」ですよとか、たかが「器官」じゃないですかといえるほどに成長しないのだろうか? だったら、キャロル的な子供でいれば良いじゃん、とか思うけどね。

 そして話は、思春期にと苦優な、あの栗の花とか、イカなんかに近い匂い満ちあふれた、ネヴァーランドっぽい世界に戻っちゃうの→KiSS。

 でも、なんていうか、まだまだ栗の花のカホリ漂ひし性的ピーター・パンな時代には、合法的に解消する方法はない。ポルノ・ヴィデオを借りようとすれば年齢確認をされちまう。エロゲ雑誌(『bin bin』とか『パソパラ』とか『Bug Bug』とか愛読してたぜ!)ではまだモノが足りない。かといって『エマニュエル夫人』じゃあ、ロック座すぎる・・・・・・でも、なんでそこで『クラッシュ』に--しかも監督がクローネンバーグ!--に行き着いたのだろうかと思うと、昔から、既になんらかの因果律があったのだと思う。

 バラードの『クラッシュ』の書評を書くんで、献本を貰った際に訳者後書き・解説とかを読んでみた。そしたら、バラードの名も、『クラッシュ』という作品名も知らぬうちに、ただ、(たまたま借りたのがヨウモノだったわけよ)毛唐の雄と雌の交尾を合法的に観たいという借りた、ありし日のあの作品が、今献本された「この本」だった! という事実に直面した時「あれ……初めて見た時…なんていうか……その…下品なんですが…フフ・・・・・・勃起……しちゃいましてね・・・・・・。」ほどの感情を、想起したか否かは、もう知らない.。

 それで、何を書きたかったかを、今思い出したのだけど、ピアノの音色は、人の感情を上下左右に、縦横無尽に叩きつける感じがするよね。逆に、自分が弦楽器の学徒のせいか、弦楽器の音色を聞いていると、妙に心が落ち着く気がする・・・・・・。マイル・ナイマンとジョージ・ウィンストンの曲を聴いていたら、こんな日記を書きたくなった。

 ピアノの音色に、心を揺さぶられたか・・・・・・ちかぢか、映画『ピアノ・レッスン』を観直したいと思う。『ゴーストバスターズ』と同じく、俺の青春だったんだ、あの映画。もちろん、初めて借りた映画のサントラは『ゴーストバスターズ』で(小学校の時、校内放送で、レイパーカー・Jr.のアレを流したぜ!)、その次は『ピアノレッスン』だったな。
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  1. 2009/06/06(土) 04:32:18|
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JUNK

Author:JUNK
 いわゆるトコ、侍魂以降のテキスト系サイトとして惰性してから早4年(2005年当時)。日記部のみblogに移行しました。それまでの素性とか、堆積物は「サイト」の方を参照で。現在の方は「mixi」とか。

 飲んだ暮れ。夢想家。澁澤シンパとみせかけて種村派。専攻は一応、文化社会学とか言いたいんだけど、実際の専門的らしい専門はない(と思う)。

『家畜人ヤプー』、沼正三、女性のサディズムと父権制におけるマゾヒズム、少女のエロティシズム、アリスイメージの消費、ロリヰタファッション、ヘヴィメタル、サタニズム、オカルト、タロット、少女小説、テクスト論、表層的SM批判、ジェンダー論、クィアスタディーズ、なんかよくわかんないけど色々。

 文化批評系よろず同人誌「Kultur Trieb」主宰。執筆者、購読者募集中。HPとかはまだ作ってないので、詳しくはmixi内のコミュを参照。

「Kluture Trieb」(mixiコミュ)


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割と、お仕事関連とか、読んだ本とか、クダラナイ話とかもつぶやき中。

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