昨日の話、
『女帝』が顕在していた時代からの旧友―まぁ、どどのつまり「もっこり侍」氏と花見をしながら、「漢道オフ」やら「関西女帝オフ」やら、関西から戻ってきた直後に起った911テロやら。ついでに、一番楽しかった頃のテキストサイト界隈についての懐古で飲んだくれながら、昨今の、紋切り型の内容が氾濫するblogについても色々と云々してみる。
テキストサイト全盛期は、新たな参与者たちがお手本にし、憧れる大手やシーンの中核を成すサイトが顕在的だった―『侍魂』を筆頭に『裏MIZUHA』『兄貴の館』『ろじぱら』etc.というか、当時の大手の名前がパッ! パ! と浮かばない辺り、自身の、テキストサイト界隈に対する熱が如何に冷めたかを物語るような気もする―たこと。加えて「テキストサイト」の名を掲げる以上、文章を書く・誰かに公開をするという意識が、備事録・メモ的な性格の強い日本のblogとの差異であった。尤も、当時のテキストサイト群も、非常に数多くの紋切り型が氾濫していたが、「文章を読んでもらいたい!」という、初期衝動的なものが蔓延していたためか、その衝動が私を含めた新興のテキストサイト管理人たちの、テキストサイトシーンに対する熱狂を促していたのだろう。
テキストサイトに転進してから足掛け5年。テキストサイトを表した上での文章表現を模索し続け、「非モテ系」の看板を「(自称)社会派テキストサイト」に付け替え、挙句の果てには「トゥルー・テキストサイト」の看板を大袈裟に掲げ、過去の看板も、ネタへの走りも、非モテという語り口も。加えてアクセスカウンタへの興味関心までも一切合財捨て去り、現在の形―良くも悪くも「お固い」文章スタイルに落ち着いた。
もう一点、テキストサイトとblogの差異について言及を行いたい。当時のテキストサイトシーンとは比べ物にならない程の知名度と参与者を、blogは獲得している。特に、マス・メディアにおけるblogの語り口は、「blogを開設すること自体」や「有名人とTBで繋がること」ばかりを、大手を振って称揚しているようにも思える。それらの点が、紋切り型が氾濫するという日本型blogシーンを形作っているということを、古株との云々の中で結論付けた。
二人とも、mixiに入り浸っていたせいか、blogをやっていても「宣伝活動」―テキストサイト時代で言えば、アクセスを見越した相互リンク依頼であったり、レビューサイトへの自推。その他、各サイトの掲示板でにおける頻繁な発言や、お礼リンク目当ての文中リンク。売名的ネットバトル等々―が面倒臭く感じ始めているのも時代の変化かね。
◆テキストサイト関連の過去ログ
馴れ合い能力の効用(2005/12/17)
テキッ娘。またはVNI的テロル(2005/12/18)テックウィンよこんにちは―女帝と私(12/22)内と外(2006/1/25)
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- 2006/04/09(日) 20:13:58|
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