「少なくともジャネットの場合は、裸の写真を撮らせてくださいますよね。彼女の年頃なら、服装のことを気にするのではないかと勘ぐること自体がばかげていますから。」――ルイス・キャロル
「お願いですから――(あなたのためなのですよ!)少女の立ち姿を見せてほしい。ただし帽子も靴もなしで――(靴の踵は邪魔になりますから)。手袋も、そう、服もフリルもいりません。背がどれくらいなのか、それから、身体にどれだけ、丸みがあるのか、包み隠さず見せてください。願いをかなえてくださればうれしく思います。これは、あなたの――そしてわたしの――ためになることなのですよ。」――キャロルの盟友ジョン・ラスキン、子供絵の画家グリーナウェイに宛てて。
まったく! これだからヴィクトリアンなヤツラはどいつもこいつも(´・ω・)y-~~
近年、変態評論家として認知されてるJUNKさんだが、コリン・ウィルソンと同じく性科学者になりたかったんじゃないかなと思うんだけど、最近の読書や関心の傾向を考えると19世紀のイギリス児童文学者にもなりたかったんじゃないかとも思った。
性科学にせよ、ヴィクトリア朝の児童文学にせよ、結局のトコは「性」、「文化」、「逸脱」、「夢」、ついでに「猟奇」が共通するテーマである。つまり、それらは自分にとって、生涯を懸けるべきテーマであるということか→結局、コリン・ウィルソンじゃん。
ヴィクトリア朝の児童文学は、子供に対する共感の姿勢を産み出したとよく言われるが、これ結局は楳図かずおだよね。『わたしは真悟』は、大人の世界対子供の世界ともいうべき部分あるし。楳図作品は乙女な児童文学ッ!
死ぬまでには私家版として、アリスの翻訳やってみたいよなとか、最近つと思う。あと、人を分析する際には、対話の中で出てくる、過去の様々な挿話を点として設定し、特にフックになるであろう点と点を線で結ぶカタチで現在を分析しようとするクセが出てきたように思える。
そこでなあ、タロットがあると、より深く点と点の間にある不可視の領域を幻視することができるんだよなあとも思った。やはり、21世紀のダンディーは本や辞書だけではなく、常にタロットカードを携帯しておくべきだと思う。
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- 2009/05/29(金) 19:20:59|
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