またアリスですか。なんだかんだ、やっぱりアリスですよ。「創作者たるもの、一度はアリスに関わる創作をせざるを得ない」というのは、弟子から伝聞したことだが、ブルトン先生が澁澤御代の訳を借りて言ってるかもしんない。そして、そこにはテニエルの姿はない。
今日は舟崎克彦(文)、山口高志(写真)、笠井勝子(監修)の『不思議の国のアリス ルイス・キャロルとふたりのアリス』と、コリン・ウィルソン『性のアウトサイダー』、あとキャロルの『シルビィーとヴルーノ』を借りてきた。
話は久々にロリィタに飛ぶが、野ばらちゃんのエッセイ(『カフェー』ではないし、家の蔵書漁ればどれかわかるけど、まだ帰宅中だし、「たかだか、そんな記述を実証するために、貴重な時間を惜しむ気はない」っつう話だ、金が発生する文章ならまだしも)で、ロリィタにおける「アリス人気」について発言した箇所があった。
内容は、多くのロリィタは「アリス」を愛するし、アリス的な服装や小物は数多にあるが、それらはテニスンによる挿画に表れた「アリスの装い」であって、キャロルが文章で描いたアリスではない的な話。かなりうろ覚え。
ここで、鬼の首を屠ったように、「『アリス』好きとかいっといて、『アリス』読んでないんじゃん」とか自己の高尚性をアピールする奴は逝ってよし→そんなやつらは、『アリス』が出た19世紀に、キャロルの文なんか見向きもされず、テニスンが書いた40数枚の挿絵ばかりがもてはやされた経緯を知らんのだよ→ にわか乙www(^^)と言ってよろしい。
知らん知識はみんな知らんのだ。それに対して低高な価値をつけ、身勝手な優越感に浸るヤツは氏ね的な話なんだが、知らないことに気づかないヤツも、それはそれで問題なワケた。今じゃwikiでいくらでも情報はある(かなり眉唾も多いし、wiki 経由の知識で説明されてもavax臭いっつうか、実体験に則した生々しさがなくて、説明される対象を良く知ってる側からすると、茶番劇にしか思えない)。
問題は何かっつうと、自分の耳と目で見聞した情報や体験を生かさないということ。そして好奇心や疑いを持たないということだ。
アリスといえば、例のエプロンドレスの少女が浮かぶワケだが、どこでそのアリスのイメージを見たか、ドジスンっていうかキャロルおじさんがアリスの服装について(ハイヒールは嫌いだとか、注文はつけてたが)細かな注文を出していたか? つう話に、答えられる必要はないんだけどさ、知らないことを知るのが大事なんだよ。
なんでイノワのJSKにはプードル柄が多いのかな? とか、BABYのトートバッグやワンピ、その他各種メゾンではアリスのプリントが使われるけど、なんでなんだろう? たまにはそう思って良いじゃん?
諸君らのアリスを疑え! 諸君らの一方的で石頭なゴシック像を疑え! 諸君らの固定観念を疑え! この世はマトリックスか?それともメディアと言うなのワイズマンに飼い慣らされた世界か?→そんな問答はどうでも良い→疑問を持ったヤツ、もっと知りたいヤツは自分の足と目調べろ!→質問があれば水先は案内するが、好奇心のないヤツはどうでも良い→とりあえず酒飲ませてオモシロイ話や、興味深い禅問答でもしてくれよ。
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- 2009/05/15(金) 00:03:35|
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