とりあえず、mixiに招待されてから、かれこれ1ヶ月足らずで廃人と化してしまったワケだが、実のトコロ、mixiユーザーの典型的な行為――馴れ合いへの耽溺――走ったのはものの2ヶ月足らず。mixiにおける日記遍歴を紐解いていけば良く解るのだが、日を追う毎に内容が深化していく始末。稿末にでも、最近書いたオキ二文でも参考に載せてみようかと思う。
馴れ合いから中身重視への流れは・・・・どれ位の頃だっけかな。女帝が無くなって、濁又が各地のネットバトルを取り上げたのをきっかけに長文――テキストサイト論とかネットバトル論とか、そういう類の文章を書いたことから図に乗り出し、「中身のある文章」とか「読ませるテキスト」「非フォント弄り」「非一発ネタ」というのを意識し始めて試行錯誤の日々が続いてました。
恐らく、テキストに対する変革や自己意識の模索といった行動のピークは2003年の2月辺り。それまで陥っていた、日本の男子大学生に多く見られる大学生活に対しての無気力症(スチューデント・アパシー)から、「活字本を読むこと」によって脱却していった頃かな。今や活字読書が完全に習慣化してしまって、真面目で込み入った文章を搾り出す・・・というよりも、本読んでたら勝手に放射能漏れをするとかいう始末で。特に、mixiの方だと澁澤龍彦作品――特に刺激を受けたのは、『悪魔の中世』『幻想の彼方へ』『黒魔術の手帳』『黄金時代』『エロティシズム』『記憶の遠近法』『幻想の肖像』『神聖受胎』『サド復活』辺り――を読んでいる最中or読了の直後に衝動的な放射能漏れが起こり、携帯から狂った様に長文を打ち込み更新するといった事が度々あった。むしろ新手の自動記述か? おかげで、mixiの過去ログには、随分とまぁ。2001~2年にかけての、当時のテキストサイトとしてはポピュラーな、自省をこめて言えば「必死な」テキストを書きなぐっていた頃より、随分円熟味が増したモンだな。とか思ってみる
(微笑) 懐かしいフォント弄りとかやって、過去の思い出に浸りつつ、下記にコピペするよ。mixi内でどの様な行為に耽っているかが解る一文を('A`)。前置きが長くなったから、コメントとかは無しな。
「最近の関心情事」(2005,10,14)
というわけで、九時過ぎに帰宅して、今日も元気に飲んでおります。昨日は、未来の大学人らしく、研究室に22時まで居残り、勉強したり、酒飲んだりと、色々と。知的生産を伴う活動を実践しておりました。俺の専攻といえば、プロフにもつらづら書いてある通り、一応社会学。で、カルチュラル・スタディーズに限りなく立脚した位置で、ポピュラー音楽研究だの、メディア研究だの、サブカル的文化研究だの、色々とやっております。
最近、特に関心の強い部分と言えば、メディアが送るメッセージと、受け手によるメッセージの読み替え/再解釈/再構成といった事象の数々。いわゆるところの、「文化の意味をめぐる闘争」。それも、日常にありふれているような、マクロな視点での。
事実や情報を選別・編成し、マス・メディアが聴衆に対して提示する現実の構成とか、その辺りについては、女子高生象の剥離―学生として語れる際に提示される、健全な高校生象。そして、非行少女・援助交際/ブルセラという文脈の中で語られる際に提示される「編成された現実」―とか、色々と語れるんだけど、一気に書くのが面倒臭いから、俺に酒でも飲ませて語るように煽ってくれヨ。
まぁ、ついでに、その辺りの関連した参考書だと、少々お堅い部類に入る内容だが、浅見克彦『消費・戯れ・権力』(2002)辺りが、参考になり易いかな、俺の思考形態の基盤を形成している本でもあるし。最近、身近な所でメッセージの読み替えという点を考えたのは、特にポルノグラフィの鑑賞という点だった。作品や文化の持つメッセージは、受け手の慣習によって、どのようにも再解釈される―例えば、先に挙げた『消費・戯れ・権力』の中に「児童虐待の報道に、現在の孤立化や、母性の衰退を読み解き、アイススケート選手の衣装等に、民族性やエロティシズムを読み解く」といったような一節が書かれているように。
アイススケート選手に対するエロティシズムの読み解きという点について、これを芸術に当てはめるならば、本来芸術的価値を持つべきヌードデッサンや裸婦像―女性の性に対する奔放さを描ききった、女流シュルレアリスト画家「レオノール・フィ二」の描く、どこか豊満で、性に対して開放的な男性よりも強い女性。または、著名な画家の描く普遍的な芸術性を獲得している絵画でも良い。もしくは、本来的に性的興奮を覚える対象とは見なされない(見てはいけない)授乳の図でも良い―におけるメッセージを読み替えや、エロティシズム・性的興奮/欲情というメッセージを感じることは、幾らでも可能である。
果たして、人形家であり写真家でもある芸術家「ハンス・ベルメール」の、猟奇極まりない、そして狂気に満ちた芸術作品とも評せる人形写真の数々について。我々は、その性別や性的嗜好を問わず、ベルメールの人形写真を「狂気の芸術作品」として畏怖すべきなのか。それとも、その狂気性と、名状し難い魅力を兼ね備えたエロティシズムについて、只、言い様のない興奮・・・・・恐らくは、性的な欲情を内包したものを感じるべきなのだろうか。
少なくとも、私は、恐らくベルメール自身のものであろう手が、帽子の下に散乱する極めて女性らしい髪を撫で。また、切り開かれた腹部からは、忌々しい、そしてどこか微笑ましさすら感じさせる、木製の張形群―人形(彼女・・・・・恐らくは、ベルメールの、生涯の徒姉妹であるウルスラを模したモノか?)の臓器―が露出する、一枚の写真作品に、素晴らしいまでの感銘を。そして否定のできない欲情を覚えた。
芸術性と性的欲情。ベルメールが彼女に託したメッセージの真意は、そのどちらであるのだろうか? という疑問の答えは、我々には知るよしも無い。むしろ、真なる答えなどは、知るべきではないのだろう。ウルスラを模したと思しき彼女の、鳥肌が立つほどに精気に満ち溢れた目は、「答えなど、知るべきものではない」。というように語りかけているようにすら感じる。
相対的に、芸術と称される作品群の中にポルノグラフィの如き性的興奮を読み解くのならば、下らないものとされるポルノグラフィ―それは、酷い芝居が垂れ流されるコスプレモノのAVでも、『花と蛇』のように、美学を伴う芸術性を内包したものでも、週刊誌の、何の意味ももたない(というよりも持つべきではない)消費対象以外の何物でもない、ヘアヌードグラビアなど―に、一抹の芸術性を読み解くことは、受け手側の持つ感性・メッセージの変換能力の多様性を肯定するならば、幾らでも可能である。と言っても過言ではないだろう。
ポルノグラフィの消費を行う際、現在、自分が眼前にて消費を行っている、このポルノグラフィからは、「どのように、性的興奮を喚起されるメッセージを享受しているのだろうか」。また、「性的興奮を喚起させるメッセージを代替して、芸術性や、性的興奮以外のメッセージを享受するのは、どのような文脈で起こるのか」。そして、先にも書いたが「ポルノグラフィ(写真であるか、線画・CG等の二次元媒体であるか、という点は問わない)と、芸術と呼ばれ、芸術作品として分類される裸婦の表象、は好色に描かれ、男の性的興奮を喚起させる女の絵画の境界は何処にあるのだろう」というようなことを、しばしば、それも、寝る前。そして、毎日のように体験する悪夢にうなされて目覚めた朝に考える。
それが最近の関心ごと。
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- 2005/12/17(土) 23:24:36|
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