出版社による、夢喰いの話は、前作的なヱッセィ
「ドリィム職人」に書いたので、今回は、その応用編というような調子。主に出版に関わる夢喰い。
少なからずお世話になっているため、具体的な名前は出せないのだが、ちいとばかしお世話になっているサイトがある。簡潔に言ってしまえば、一億総ジャーナリズム状態になりつつあるブログを用いた口コミによる、本の宣伝といった主旨のサイト。審査基準をクリアしたうえで、献本という形で書籍を頂ける代わりに、拝受者には書評を書く義務が生じるという類のヤツ。
新世代のマーケティング・スタイルとしては、確かに新奇ではあるし、革新的である。ただ、一番の問題は、素人を徴用して、浮動層に売り込むというかたちの構造を隅に置くとしても、献本用にリストアップされる本自体の魅力が、これでもかと言わんばかりに「どうしようもない」というところか。
JUNKさん個人の、ひどく傲慢な私感を述べさせて貰うところでは、引き出しのない赤の他人の文章など、書籍ではなく、ゲンナマを貰わない限り読む気もおきないという調子。これは、自らがある種のマイノリティに属するが故の思い上がりや、特権的な感性であることは重々承知しているのだけど、ブログを本にしました、というようなチラシの裏めいた本や文章を読むのなら、その時間や資本をJapan Timesに充てるよというような調子。
昔の人は、「おまえに喰わせるタンメンは無ぇ」といったが、感想文やチラシの裏めいた文章もどきに払う資本は無ぇという調子。しかし、それでも野望に燃えるヒトビトは本を出したがるし、出版社にとっては呈の良い「お客様」なので、しかと接待する。ただし、作家という肩書き貰うために払うコストが、果たして正統なモノかという点については、一考の必用がある。
引き出しや教養がある人間は、イレギュラーがあるとはいえ、同等の人間の書いた文章でなければ満足することができない。一方、チラ裏や感想文の域を出ないモノは、読者層というか、支持層は当然のように書き手と同レベル(敢えて良い意味で)の読者であるという話。でも、うわべだけの付け焼き刃は、旬が過ぎるか資本が尽きるかによって、表舞台から消え去るのみ。
かつての「ちゆ12歳」の単行本同様、行き着く先はブックオフの105円コーナーだ。自分自身が、表現だの、文化だに関わっていることあるが、引き出しの無い表現なんぞ、絵に描いた餅にしか過ぎないと思う節は、このクソ日本で生活しているうちに、幾度となく思い知らされた。
まぁ、つまりだな。修羅のように本を読み漁り、弛まぬ文章表現で己のスタイルを確立した者にこそ、幸運の女神(フォルトゥナ)は微笑むというヤツだ。表現というものは、ただの表現欲求や熱意だけで成し遂げられるほど、都合の良いモンじゃない。
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- 2008/04/29(火) 01:34:37|
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