『虚無への供物』を読了。3章辺りから終盤にかけては、もう、なんていうかね、「やだ、手が止まらないの」状態。引用・流用を駆使して多重構造気味に展開していきく様は、日本らしい流用の美学だなと思った。音・訓・ルビを駆使して、「M」を重ねる表現には、ホント、舌を巻いた。そして、『黒死館殺人事件』と、JUNKさんのバイブルのひとつでもある『ドグラ・マグラ』と共に、日本三大奇書に数えられることを今日になって知った。『家畜人ヤプー』も奇書に数えてあげてください。『家畜人ヤプー』のプロットは『山椒魚戦争』に由来しているらしいね。俗説では、戦後に沼正三が捕虜となって女性尋問官に責め苦を受けたとかいう話しになっているけど、沼センセ自身は校庭で玉音放送を聞き、アイデンティティ・クライシスにむせび泣く大人を目にしているんだな。詳しくは『マゾヒストMの遺言』を見ておくべき。
そして、mixiの改悪の件ね。今日、3月3日の昼ぐらい(?)に、エゴイスティックな規約改定の話が登場し、夜までに至る盛り上がり具合と、mixi当局の狼狽具合、そして株価のモーレツ下落にワロス。そういうものだ。とりあえず、<事件>の経緯は検索で辿り着いた皆さんはご存じだと思うし、ここで改めて書き連ねるのも無粋。むしろ、今回の件はmixiに参加し、なおかつ<作品>を売り切りして飯を食っている人たちにこそ、重要な問題となっている。そういったこともあり、映画秘宝誌や、キャンプでウヘヘな文化関連でおなじみ、ついでに俺の愛読書を多数執筆しておられる、町山智浩さんの意見を引用させて頂く。
mixiにも入ってるんだけど、この4月1日に利用規約が新しくなる。
それを読んでmixiを今すぐ止めなきゃ、と思っている。
mixi利用規約http://mixi.jp/rules_sample.pl
制定日 平成20年4月1日 制定
第18条 日記等の情報の使用許諾等
1. 本サービスを利用して、ユーザーが日記等の情報を投稿する場合には、ユーザーは弊社に対して、当該日記等の情報を日本の国内外において無償かつ非独占的に使用する権利(複製、上映、公衆送信、展示、頒布、翻訳、改変等を行うこと)を許諾するものとします。
2. ユーザーは、弊社に対して著作者人格権を行使しないものとします。
オイラはミクシイの日記に、原稿を書く前の草稿や、プライベートな写真を載せているが、
それをミクシイに勝手に出版されても、文句は言えないということだ。
しかも、勝手に改変される可能性すらある!
オリジナルのイラストや写真、レビューやエッセイなどをUPしてる人、特にプロやセミプロはタダで使われちゃ困るんだよ。
ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 2008-03-03「ミクシイはあなたの日記をあなたに無断で商品化します」
という調子。昨日の未明に規約の改悪の件が発表されて、コミュや日記などで、凄まじい批判が巻き起こり続け、今日の夜(JUNKさんが確認したのは夜8時頃)には、規約の「追記」の旨が、携帯版のトップページにも記されていた。で、何が追記されたのかという点について。
特に争点とされているのは、規約改正の第18条。「【第18条 日記等の情報の使用許諾等】」。追記前の段階では町山さんの引用にあるように、俺の庭に入ったものは俺のものという精神に基づくようなものだった。追記文を見たうえで解釈を進めてみると、技術的な問題から、個々人の日記や公開制限をかけたプライベートにも介入するけど、了解してね、という調子。しかしながら、批判の争点になっている、mixiのアキレス腱についての言及はないようにも思える。
mixiの検閲についてのよもや話をひとつ。知っている人は知っている通り、JUNKさんは携帯電話を駆使して、365日の連続更新を(なるだけ)維持しているのだけど、2007年の12月26日に、予告も事後承諾もなしに日記が消されていたことがあった。おかげで、その1日のおかげで連続間更新が途絶えた(や、それはどうでも良いんだけど)。
その内容がどのような内容であったかというと、ボトムズのOVA「ペールゼンファィルズ」のOPに強い感銘を受けたので、youtubeに落ちていたものを日記に転載(周知の通り、youtubeの動画を張り付ける機能は、mixi自身がアタッチメントとして公式に実装している)し、細かい内容は後で書くねというものだった。著作権について、グレーの領域が多いのだが、少なくともJUNKさん自身としては素晴らしい作品を多くの人に知って貰いたいという主旨に基づいて動画を貼ったわけだ(日記の公開制限は常に全体にしてある)。形式ばった著作権の保護に固執し続ける限り、良い作品に日の目が当たる機会は本当に少ない。情報化社会といわれている割に、日本国内では利権と保護に縛られた二重の意味での「ドメスティック」な状況を呈している。my spaceを見習って欲しいと切に思う。閑話休題。
いつの頃だったか忘れたが、mixiの社長が「いずれ、国民一人一人がmixiのアカウントを」というような主旨の発言をしたことがあった。mixiはツールとしては非常に優れているし、Man to Manの関係を繋ぐ可能性については非常に優れていると思う。しかし、利権や収益に目を向け始めてから、魅力ある可能性を抑圧するような傾向が強くなってきたようにも思える。その最もたるは、mixiの上場か。あれ以降、mixi内の広告が煩わしいほどに顕著になってきたということが印象に残っている。ちょうど2年前、2月に行われたmixiの株式に上場に当たっての雑感を書いていたので、JUNKさんの見解に興味のある方、当時の空気について知りたいという方は、そちらを参照されたし。
「mixi(株)の広告の分析」(2006,4/24) 述べてきたように、ツールとしてのmixiは非常に優れている。mixiがここまで成長したのは、ツールとしての優秀性とマン・パワーであることは、疑いようのない事実である(尤も、mixi以外のSNSの多くは、操作性が悪いばかりか、業者やスパムメールの巣窟であることに留まらず、当局自体の厳しい検閲があったという偶然が、mixiの成長を加速さた可能性は捨て切れない)。不可解な権力介入のない理想的な環境だったからこそ、mixiという箱庭が牧歌的な発展を続けてきたわけだが、ここにきて、封建的な空気が漂い始める。その先に待ちうけるは? かつてのドイツ革命のようなものであろうか。
少なくとも、ツールやハードは優れたソフや、利用者たちの親しみがない限りは大成することがない。mixiの成長は、述べたように優れたソフトや、mixiに愛着や信頼を寄せてきた数多くの利用者たちによって支えられてきたことを忘れるべきではないだろう。
これからどうなるかは、かなり楽しみ(・∀・)。とはいえ、水面下で絶賛遅延気味に進行中な文化批評同人誌「Kluture Trieb」関連のログや、参考として自作の論考を発表している手前、今回の<異常事態>は対岸の火事ではなかったりする。日記のログなんぞ、特に大したことを書いていないので、著作権もクソもなく、シチュアニスト的な流用・切迫、超オッケーなんですよ。しかし、Kluture Triebの方は、JUNKさん以外の執筆陣もいるし、突発・瞬間的な意識の下で書き上げ、書いたら書きっぱなしの日記とは異なり、Kluture Triebの方は、熟考し、しっかりと推敲・添削・増補を重ねたものであるために、いきなり著作権の独占を宣言された巻き上げられてしまったら笑えない、というこってす。
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2008/03/04(火) 22:54:48 |
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