先月の末くらいに、下記のような内容をmixiの日記に書いていた。
寝すぎた。床の中、肉蒲団でもないのにあまりにも快適すぎて寝すぎた。昔の殿方はよく、ヴァギナの中にはファロスを噛みちぎろうとする牙や歯があると思いこんだらしいけど、蒲団の中にも似たような歯だの牙だのがあったら怖いなと思った。躯のダルサに加えてやる気まったく上がらず。
しかし、ホントblog。ぬこも杓子も、有名/芸能人もblog。テキストサイトブーム以降の個人サイト文化についてまとめている論考を、ライフワーク気味に書き連ねている手前、blogの影響力やチカラについて考えてはみるものの、なんだか、どうも影響力については眉唾めいたものがあるんだけど、なんだかうまく言葉にできない。とりあえず塾講バイトに向かう道中。本日の教練はイギリス語ですの。
(´・ω・`)結局んトコロ、ハードやツールとしてのblogよりも、ソフトとしての文章の問題だろう? などと、blogを用いた書評投稿によって、献本という甘い汁を啜ってる俺がいっても、これといった説得力がないから困る。なんかしら、オモシロイことでもないものかね。
本日のまとめ:来月は是非、チョコをくだされ(´・ω・`)
そんな調子で、今日も午後2時頃まで寝ていた。一日が無駄死ぬ。そうさ俺たちはダニーボーイ。それでblogね。blog。実のトコ、日本のblogは娯楽やエンターテインメントの一種以上の地位を確立するのは難しいんじゃないかな? とか、相変わらず思い続けている。
張り付けた日記にもあるように、ツールないしはハードとしてのblogに原因があるのではなく、ソフトとしての書き手の意識や能力の問題じゃないのかな。セレヴリティばかりがblogの価値になっている現状がひっくり変えれば、何かが起こらないとも言い切れない。
ジョン・フィスクの『テレヴィジョン・カルチャー』などを訳している、伊藤守さんが早稲田大学で行われたジェンダー関連のシンポジウム(確か2006年)で、フロアからの質問で「ブログは社会に影響を持つか」という趣旨の質問をされた際、「多分、大きな影響を与えることはないかもしれない」とばっさり否定していたことがあったのだけど、あれはあれで痛快な一コマだった。その一方、社会批判としっかり結びついた、草の根ジャーナリズムとしてのアメリカのblogについては、常々羨ましいものがあったりする。
だから、というわけではないのだけれども、blogに文章を書き連ねるよりも、文芸批評系の同人誌を主宰して、色々と原稿を準備している方が、やり甲斐があったりするんだよね。件の同人誌、
Kluture Triebの方は創刊準備号(パイロット版)の編集・製本作業、絶賛遅延中です(´・ω・`)サーセン。
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- 2008/02/12(火) 22:01:52|
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