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続・JUNK屋日誌

blogへのテラ・フォーミング(2005/12/17)。遂に時代の流れには逆らえづ、本サイトの日記のみをblogへ移行。

『ラヴクラフト全集 別巻(下)』

 本書は『ラヴクラフト全集 別巻(上)』に引き続き、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが推敲や添削、そして代筆(1920年代、パルプ・マガジンが一世を風靡していたアメリカでは、代筆自体は珍し者ではなかった)を手がけてきた作品を年代順にまとめて収録したものである。また、上・下巻を通じた作品解題も本書に収録されている。ただし、ズィーリア・ブラウン・リード・ビショップの「墳丘の怪[The Mound]」は、「この小説は、一種のユートピア都市であるクン=ヤンを描き、ラヴクラフトの添削の中でも最大の力作」(382頁)と、作品解題の中で作品に対する賛辞が向けられているにも関わらず、2冊からなる別巻には収録されていない。

 「墳丘の怪」が収録されなかった理由は「あまりにも長すぎるために(引:パルプ・マガジン「ゴースト・ストーリィズ」に)採用されることが無く、ダーレスが添削をおこなったものが<ウィアード・テイルズ>の1940年11月号に掲載された」(382頁)という記述から推測するに、頁の都合という理由が濃厚であるかもしれない。なお、「墳丘の怪」は『クトゥルー 12 暗黒神話体系シリーズ』(精心社文庫,2002年)などで読むことができる。

 本作、『ラヴクラフト全集 別巻(下)』の収録作品は、ヘンリィ・セイント・クレア・ホワイトヘッドの「罠[The Trap]」、ヘイズル・ヒールドの「石の男[The Man of Stone]」、「羽のある死神[Winged Death]」、「博物館の恐怖[The Horror in the Museum]」、「永劫より[Out of the Aeons]」、「墓地の恐怖[The Horror in Burying-Ground]」。ドウェイン・ウェルドン・ライムルの「山の木[The Tree on the Hill]」、「墓を暴く[The Disinterment]」。ウイリアム・ラムリィの「アロンゾウ・タイパーの日記[The Diary of Alonzo Typer]」。ケニス・スターリングの「エリュクスの壁の中で[In the Walls of Eryx]」、「すべての海が[Till A’ the Seas]」、「夜の海[The Night Ocean]」となっている。

 収録作品を見ればわかるように、ヒールドの作品が下巻に収録された作品の大部分を占めている。これは、私自身の好みも少なからずあるのだが、ホワイトヘッドの作品、特に「博物館の恐怖」はラヴクラフト自身が実に執筆を楽しんでいるようにも思えた。この特徴は、苦悩の作家として、自己の内面に蠢く恐怖を描き出そうとしてきたラヴクラフトとは異なった、純粋な恐怖作家としてのH.P.ラヴクラフトという感想を私に抱かせるものでもあった。
 
 本書評では、収録作品について逐一の解説や感想を述べることはしない。上巻も同様だが、下巻に収められた作品は全て短~中編のオムニバス作品であり、気軽に、短い時間で物語の顛末と恐怖を楽しむことができる。だからこそ、丁寧な解説や作品紹介を、<こんなところ>で逐一行うよりは、上・下を含めた『ラヴクラフト全集 別巻』の書評に興味を持った名状しがたい読者が実際に本書を手にとって、恐怖の断片に触れて貰いたい。
 
 上巻について、私はラヴクラフトを知らない読者に開かれた入門書的な機能を持っているという感想を書いてきた。上巻とは対照的に、下巻はラヴクラフトや「クトゥルー神話体系」について知識がある人間であればあるほど、ニヤリとさせられる要素が数多く(これはラヴクラフト自身の確信的な「筆遊び」に他ならない)埋め込まれている。「博物館の恐怖」は、ラヴクラフト原理主義者にとっては賛否両論があるところもあると思うのだが、私としては映画「ナイト・ミュージアム」の場面を思い浮かべながら、ゴルゴン、キマイラ、ドラゴンといった幻想的な生き物、サド侯爵やジルドレを筆頭とした奇人・狂人、そして「定まった形のない黒ぐろとしたツァトゥグアも多数の触手を具えたクルウルウ、長鼻のチャウグナル・ファウグンをはじめ、『ネクロノミコン』や『エイボンの書』やフォン・ユンツトの『無記名祭祀り書』といった禁断の書物に述べられる冒瀆の生物も展示されていた」博物館で夜を明かす主人公が体験した恐怖にゾクゾクしながらも、ツァトゥグアやクルウルウ(クトゥルー)が展示された忌々しい展示室の姿を思い描くと、奇妙な興奮を覚えてしまう。そういった点からも、ラヴクラフトの描き出してきた恐怖の世界を暗躍する宇宙的恐怖や怪異の知識があると、下巻に収録された作品の数多くを、ぐっと楽しむことができる。

 収録作品はラヴクラフトらしい短編の不条理的恐怖小説から、金星を舞台にしたSF調のものなど、上巻と同様にヴァラエティに富んだ構成になっている。多くの作品に共通する要素としては、人間の世界に外世界(宇宙や古代、そして闇の世界)の者共が侵入したり、超常的な技術/技法/科学が偶然的に現実世界に現れるというものがある。現実世界と異なる者やモノが現実世界に投げ込まれるという構図、これは「ファンタジー」の基本的なプロットでもある。

 私が下巻の収録作品の中で気に入っているものは、既に称賛を投げつけてきた「博物館の恐怖」、そして同じくヒールドの「羽のある死神」と「永劫より」と、ヒールドの作品が続く。だが、私がヒールドの作品に引きつけられる理由には、ひとつの理由があると思われる。ラヴクラフト自身は、「博物館の恐怖」についてリチャード・イーリイ・モースとの書簡の中で「『投げ捨てたくなるほどお粗末な梗概に基づき、わたしが代作したものなので、実質的にわたしの小説なのです』」と述べるばかりか、ロバート・ヘイウォード・バローウに宛てた1935年4月20日の書簡の中では「永劫より」はヒールドより「(遺跡より発見された)古代のミイラの脳が生きているというアイデアが寄せられただけ」と述べているように、「永劫より」も実質的にはラヴクラフトの作品であるといえるためだ。

 しかし、それらはラヴクラフトの筆による作品ではありながら、「ラヴクラフトの作品」ではない。これは他人の名義で発表された作品であるということではなく、ラヴクラフトが「ラヴクラフト自身」と向き合うことで書かれた作品ではないということだ。ラヴクラフトが自身と向き合い、恐怖と苦悩の坩堝に投げ込まれる中で創造し続けてきた絶対的な恐怖や不安とは異なった恐怖、「ホラー」というよりは「テラー」に近い恐怖――私が好んで使う表現でいえば「ウォルト・ディズニー的な恐怖」を、ヒールドの作品の中で感じることが多かった。

 詳しくは下巻に収録された作品解題を参照して頂きたいところではあるが、ここで少しの説明を加えたい。『~全集 別巻(上)』の書評でも述べてきたように、ラヴクラフトが活躍した1920年代のアメリカ、マニアックなジャンルをねらい打ちするようなパルプ・マガジンのスキマ産業が隆盛を極めていた1920年代のアメリカでは、金を支払っての代筆業は珍しい現象というわけではなかった。

 ラヴクラフトの文章添削・代筆業は「1933年8月31日付けの書簡には、読むだけ、批評するだけ、添削するの3項目に渡って、語数ごとの細かな料金が付されており、最高の料金は完全添削――ラヴクラフト本人の言葉を使えば「代作」――の場合で、タイプ用紙1枚辺り2ドル50セントになっている。当時ラヴクラフトが<ウィアード・テイルズ>から得ていた稿料と比較すれば、およそ7分の1にすぎないが、稿料というのは採用されてからはじめて得られるのに対し、添削は仕上げさえすれば確実な収入になるので、この料金は一概に安すぎるとはいいきれないだろう。ちなみに、当時のパルプ・マガジンの低下は10ないしは25セントだった」(大谷啓裕による作品解題,(下)363-364頁)ということになっている。

 とはいえ、ラヴクラフト自身は生粋の作家らしく、「投げ捨てたくなるほどお粗末な梗概」という程の苦言を呈していた「博物館の恐怖」を見事な恐怖作品(識者にとっては創造者による恐怖世界のセルフパロディとも映りえる)として完成されているばかりか、上巻の冒頭を飾る「這い寄る混沌」や、「幽霊を食らうもの」といった作品と下巻に収録された作品を比較してみると、恐怖作家としてのラヴクラフト(狂気に取り付かれた個人としてのラヴクラフトではない)が添削・代筆業を通じて自身の文章表現を鋳造させるばかりか、文章を、物語を創ることを本当に楽しんでいるのだということを感じることができる。これは、私自身のラヴクラフトに対する思い入れもあるかもしれないが、上下巻を手にした方は、是非とも上・下巻のそれぞれに収録された作品の文体に見られる堅さや、自身のセルフパロディをも含んだラヴクラフトの筆遊びを比較して頂きたい。

 また、ラヴクラフト自身はパンのタネとしてのみ、添削・代筆業を捉えていたわけではなかった。例えば、ラムリイの「アロンゾウ・ダイパーの日記」についての「ラヴクラフトはラムリイの創作意欲が掻き立てられることを期待して、この添削の報酬は受け取らなかった」(392頁)という記述にも見られるように、後継者の育成という機能を添削・代筆業に見いだしていた可能性が高い。

 『~全集(上)』のラヴクラフトの経歴で述べたように、ラヴクラフト自身は存命中に成功することがなかった作家であり、その名声は死後、弟子たちによって高められてきた。存命中に大成を味わうことのできなかった不遇の作家は、自らの狂気を世に放つ作業の傍ら、自らの弟子たちが、ラヴクラフト自身が果たせなかった商業的成功を勝ち取ること(実際にそれは果たされたのだが、ラヴクラフトの人間の傲慢を排除した絶対的恐怖の牙城を揺るがすことにもなってしまった)に期待をかけていたのかもしれない。

 7冊に渡る『ラヴクラフト全集』に収録された作品の多くは、「作家」としてではなく、狂気の世界に対峙し続ける個人としての「ラヴクラフト」の筆によるものである。一方、2冊の別巻に収録された作品は、これまで述べてきたように「作家」としてのラヴクラフトの筆による作品である。2冊の別巻を通して、読者は「作家 ラヴクラフト」の多彩な筆遣い、そして恐怖小説に対する愛着のようなものを感じることだろう。この2冊の別巻は、ただ単純に恐怖小説のオムニバスとして読むだけではなく、「純然たる作家としてのラヴクラフトという、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトの横顔」や、ある創作者の執筆活動に対する愛情のようなもの想起しながら読んでいくべきかもしれない。




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  1. 2008/02/04(月) 22:07:43|
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JUNK

Author:JUNK
 いわゆるトコ、侍魂以降のテキスト系サイトとして惰性してから早4年(2005年当時)。日記部のみblogに移行しました。それまでの素性とか、堆積物は「サイト」の方を参照で。現在の方は「mixi」とか。

 飲んだ暮れ。夢想家。澁澤シンパとみせかけて種村派。専攻は一応、文化社会学とか言いたいんだけど、実際の専門的らしい専門はない(と思う)。

『家畜人ヤプー』、沼正三、女性のサディズムと父権制におけるマゾヒズム、少女のエロティシズム、アリスイメージの消費、ロリヰタファッション、ヘヴィメタル、サタニズム、オカルト、タロット、少女小説、テクスト論、表層的SM批判、ジェンダー論、クィアスタディーズ、なんかよくわかんないけど色々。

 文化批評系よろず同人誌「Kultur Trieb」主宰。執筆者、購読者募集中。HPとかはまだ作ってないので、詳しくはmixi内のコミュを参照。

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