執拗に乳を強調する類の複製動画を眺めていたら、『ボンテージ進化論』で触れられていた一説だったと思うが、「女性の乳房は男根の象徴・暗喩的なもの」というのを思い出した。無論、突起というだけでなく、母乳がスペルマの象徴であることは強調するまでもない。今確認してみたら、「想像上のペニス」については、毎度お馴染みフロイト先生の説だったそうな。まぁ、それはおいておく。
ということは・・・だ。液晶モニタァが旧世代のデジタル規格のため、変換コネクタでDIVにしたのだが、最近導入した新PCは15ピンの DSUBしか搭載していなく、DIV搭載のグラボを積むまでの間、旧世代の遺物と化した感もある17インチのCRTを使っている―その奥行きのでかいモニタァに映る、マリリン・モンローに象徴されるような、男性の視線における、女性の理想的な身体像的な言説で「3000人に1人の美乳」として語られている乳房。先の言説を思い返すなら、凄いな。ファルス(男根)のメタファーを2つも有していることになる!
でも、暗喩や象徴は所詮、実態を伴わないものである。顕在的なモノを、触れる・使用できる現実として有することには敵わない。昨日は昨日で、ソドミィの複製映像を見ながら、男根が与える万能感という優越や攻撃性とか、そういうものについて考えて見る。消費対象でしかない、ありふれたポルノグラフィを、批評的に読み替えたがるのは、儀礼を通じた抵抗か? 職業病か? とりあえずだ、男根は突き刺すことが機能の核であるから、女性器に対しても、菊座―それは異性・同姓を問わない―に対しても、常に攻撃/攻めの体制を取る。
例えば、従属的な男性と支配的な女性の性交渉の場面があったとしても、その支配―服従の関係性は精神的なレベルの話であり、肉体の力学のみを取り出してみれば、精神レベルにおいては隷奴に屈している男が女性(器)を攻め立てているという構図が成立する。
「彼の公爵殿」は、作中において老婆と動物とをも渦中に放り込んだ、一大的な倒錯乱交之図を描いて見せた(たしか『続・悪徳の栄え』)。何かこぅ、そのような混沌にまで達してしまうと、ヘテロセクシャルに基づいた性機能の際や、宗教の名を借りた偽善道徳の私生活への介入。それから、「女性に奉仕させること・快楽を与えさせること」を命題として、クンニリングスを忌避する一昔前の白人たち―その連中は、白人女性が黒人男性のたくましさに憧れる事を誇大的に忌避・畏怖しながら、自分たちは黒人女性にミステリアスとも言うべき魅力を求めていたという身勝手な行為が目立っていたことも付け加えておく― など。何かこう、そういったものを逐一考え、批評していくことも。また、アウラを失った複製品の情交(動)画も、どうでも良くなってしまうような。
流石は、全否定の精神を獄中で書き綴った公爵殿。などと、酒飲みながらダラダラしていると、思いつくのはいつもこんな事ばかりだ。『Boys Be..』を読んだ位でドキドキワクワクしなくなったように、俺ももう年だな。とか思ってみる。
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- 2006/02/23(木) 00:54:40|
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