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続・JUNK屋日誌

blogへのテラ・フォーミング(2005/12/17)。遂に時代の流れには逆らえづ、本サイトの日記のみをblogへ移行。

『ラヴクラフト全集 別巻(上)』

 ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(H.P.L.)。「オタク」や、「サブカルチャー」が好きだと自称するならば、この狂気の作家を避けて通ることはできないだろう。世界初のCDROMゲームとしての地位も、そろそろ忘れられつつあるゲーム「天外魔境-FAR EAST OF EDEN-」の原作者として(一部では)知られている「P.H.チャダ」の名前はH.P.L.からきていることで有名であるばかりか、ゲーム――「ネクロノミコン」「黒の断章」「デモンベイン」「クトゥルーの呼び声」――を中心に多くの作品の中でラヴクラフトが創造し、後にオーガスト・ダーレスが拡大していった、「クトゥルー神話体系」と総称される世界に登場する様々なモチーフが流用されている。例えば「ネクロノミコン」「ナコト写本」「エイボンの書」「サドカイ教徒の勝利」といった架空の書物や、「クトゥルー」「ダゴン」「ヨグソトト」「アザートス」といった、名状し難い戦慄を読者に与える害宇宙的恐怖や怪異など。また、クトゥルー神話だけでなく、日本のゲームや漫画、そしてアニメなどには「ナチス」や「キリスト教」のモチーフが好んで流用されていることは、今更いうまでもないことだろうと思う。

 本書、『ラヴクラフト全集上・下』に収録されている作品は、ラヴクラフト自身の名義で発表された作品ではない。ラヴクラフトが副業として行っていた推敲・添削、そして時にはゴーストライターともいえるほどの代筆を手がけた作品が収録されている。上・下に渡って収録されている作品はラヴクラフトが手を加えた作品を年代順に並べている(年代などは、近年、ラヴクラフトの書簡などから推測されたものを根拠にしている)。つまり、上巻の冒頭を飾る、イリザベス・バークリィー名義の「這い寄る混沌[Crawling Chaos]」から、下巻の最後を飾るロバート・ヘイウォード・バーロウの「夜の海[The Night Ocean]」までが、ラヴクラフトが手を加えてきた他者名義の作品である。

 御代ラヴクラフトについての前提知識がない方のために、ここでラヴクラフトについて軽くふれておこう。ラヴクラフトは1890年、アメリカのロード・アイランド州プロヴィデンスに生まれた作家である。幼い頃から病気を患い、その精神も偏執的な傾向を帯びていた。度重なる悪夢、極端な人間嫌い、心の内に潜む父親の影、人種主義、女性蔑視、そして魚介類や異教に対する慄然たる恐怖心といった、彼の心のうちに潜む闇の部分が、様々な怪異、宇宙的恐怖、そして超常的なモノに対峙した人間の絶望感や無力感の表現に繋がっている。
 
 ラヴクラフトが作家として本格的にデビューし始めた1920年代のアメリカでは、いわゆる「パルプ・マガジン」(ジャンルが細分化された大衆向けの娯楽小説雑誌)が一大産業を誇っていた時代であり、実力のあるなしを問わず、多くの素人作家が必用とされる、もしくはデビューを夢見ていた時代であった(この辺りは下巻の解説に詳しいので、そちらを参照のこと)。1920年代のアメリカといえば、ジャズ・エイジという言葉に象徴されるように、豊かな社会におけるギャッツビー的な放蕩が尊まれた時代でもあった。そういった華やかな時代の影で、けっして多いとはいえない闇や恐怖を欲する好き者たちに向けられたパルプ・マガジン「ウィアード・テイルズ」が、ラヴクラフトの主要な活躍の舞台となった。しかし、存命中は大した名声をあげることができないばかりか、まともな単行本を出版する機会にすら恵まれることがなかった。ラヴクラフトの魅力を大衆に植え付けたのは、ラヴクラフト弟子であり、善悪の概念を持ち込むことによって「クトゥルー神話体系」を大きく発展させたオーガスト・ダーレスであった。
 
 ラヴクラフトの小説がもつ特徴といえば、「冒涜的」であり「慄然たる」形容詞の過剰な乱用や、人間の無力さを見せつけられる救いのない、もしくは不条理な結末である。しかし、非日常的な恐怖に対して救いや合理的な結末を求めようとする心持ち自体が、人間の傲りであるようにも思える。多くのホラー作品、そして(ホラー)SF作品は、怪異や機械/技術に人間の理性が翻弄される様を描き出すが、その多くは結末において人間の理性が困難を打ち砕き、オーディエンスの心をカタルシスに導く体裁をとっている。つまりは、物語の結末を人間中心主義に落とし込むことによって、一抹のカタルシスや商業的な成功を得ているということだ。しかし、ラヴクラフトの作品には、人間中心的な救いというカタルシスや慈悲は存在しない。メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』と、トビー・フーバーの映画「悪魔のいけにえ」をミキサーにかけてぶちまけた純粋的な恐怖と絶望感、それがラヴクラフトの描き出す恐怖の世界である。
 
 上巻に収録された作品の多くは、ラヴクラフトが他者の原稿を手伝い始めた初期にあたることもあり、収録作品の多くにはラヴクラフトらしい形容詞の乱立や、不条理な結末が見られる。特に、上巻の冒頭を飾る「這い寄る混沌」は、「クトゥルー神話体系」きってのトリック・スター、「ニャルラトホテプ/ナイアーラトテップ」(怪異や邪神たちの名は、人間の声帯器官ではその冒涜的な名前を正確に発音することができず、複数の名前――例えば“Cthulhu”について、「クトゥルフ」と「クトゥルー」と「クルルフ」など――が混在している)が登場する、1920年に発表されたラヴクラフトの秀作「ナイアルラトホテップ[Nyarlathotep]」(『ラヴクラフト全集5』に収録)が書き上げられた直後に発表された作品である。上巻の冒頭を飾る作品であるということは、ラヴクラフトの手が加えられた最初の作品である。その故に、ラヴクラフトを読んだことのない読者は面を食らってしまうかのような、ラヴクラフト節が縦横無尽に展開される。しかし、作品を追っていくごとに極端なラヴクラフト節は形を潜め、段々と読みやすくなっていくので、「這い寄る混沌」の大仰さに我慢できないという読者は、全体を流し読みして見た感触で読みやすいと思った収録作品から読んでいくか、先に下巻を読んでいく方がいいかもしれない。

 上・下巻に収録された作品のほとんどは、他者がある程度の筋書きを作っている原稿ということもあり、ラヴクラフトの「死体蘇生者 ハーバード・ウエスト[Herbert West-Reanimater]」(1922)のように、絶対的な悪人が最終的に制裁を受けるという構図を持つ作品が少なからず収録されている。繰り返しになるが、そういった要素を持つ作品は商業的な筋書きを持った作品でもあるということだ(商業的悪いというわけではない)。これも繰り返しになるのだが、ラヴクラフト作品の魅力は、そういった勧善懲悪、因果応報を俄然と突き放し、ただ恐怖に怯えるしかない人間の無力や絶望を執拗に描き出すところに魅力がある。とはいえ、本書に収録されている原稿は発表された時点では他者の名義であり、ラヴクラフトがいつもの調子で筆を進めるわけにはいかなかった。ただし、ラヴクラフトが自らの内側に蠢く恐怖や不安、苦悩、悪夢、混沌と向き合う必用を強いられなかったためか、自らと対峙することで産み落とされるラヴクラフト名義の作品とは異なった筆遣いや、後継者を育てる楽しみのようなものを作品の端々(特に下巻の収録作)に感じ取ることができる。
 
 既に述べてきたように、ラヴクラフトは存命中に成功や名声を得ることが叶わず、作品の多くは、出版社「アーカム・ハウス」を設立したダーレスらによって世に放たれてきた。「クトゥルー神話体系」を形作る作品の多くは、「アーカム・ハウス」の苦しい経済事情もあり、人間に味方する「旧神」と、人間に仇をなす「邪神/旧支配者」という、人間を中心に据えた善悪の二項対立を設定してしまい、その人間主義的なご都合主義に対して、ラヴクラフト原理主義者ともいうべきコアな読者からは、少なくない批難が向けられている。

 上・下巻に収録された作品の中では、「旧神/邪神」の対立が明確に描かれるものはないが、人間同士の対立においては、善と悪が明確にされたものが少なくない。しかしながら、収録作品の中、例えば上巻でいえば「這い寄る混沌」や、ズィーリア・ブラウン・リード・ビショップの「メドゥサの髪[Medusa’s Coil]」のように、ラヴクラフト節が相変わらずの調子で展開されており、ラヴクラフトを愛好する読者の1人としては安心するものもある。ただ、作品として退屈なもの(ラヴクラフトが手を入れたということもあり、除外するわけにはいかなかったのだろう)が含まれているのも事実であるが、その点はラヴクラフトに慣れていない読者でも、ゆっくりとラヴクラフトの世界に触れていくことを可能にするかもしれない。

 また、いくつかの作品にはラヴクラフトが創造した世界にモチーフを組み込むような<遊び>が展開されており、ラヴクラフト自身が原稿を修正する過程で、遊び心を発露させているばかりか、「クトゥルー神話」に精通した読者が思わず「ニヤリ」としてしまう部分が多い。
 
 本巻に収録された作品の特徴といえば、「化学」が登場することであろう。それも具体的な薬品や物質の名前を列挙しながら。これは下巻に収録されている作品の一部についても、同様のことが言える。ラヴクラフトの作品では化学、ないしは科学技術が登場することは少なく、登場したとしてもシェリーが『フランケンシュタイン』(1818)の中で提示した、具体例をもたないが超常的な力を発露させる科学技術に留まるものであった――それこそ、「死体蘇生者 ハーバード・ウエスト」で用いられた、正体不明の蘇生液のように。そのため、ラヴクラフト作品における化学/科学と、ラヴクラフトが関わった作品における化学/科学の語られ方を比較してみるのも一興かもしれない。
 
 本書に収録されている作品は、(一部を除けば)恐怖小説としてのスタンダードな体裁を有しており、ラヴクラフト名義の作品にみられる、例の大仰で、しつこい程に<くどい>形容詞の羅列(実際はそこが魅力なのだが)も、比較的静かに潜んでいる。そういった意味では、ラヴクラフトを読んだことのない人にとっては、手を付けやすい作品だといえる。作品の多くは、ラヴクラフト的な絶望感から、勧善懲悪のカタルシスを感じさせる娯楽作品らしいもの。そして、唐突に始まり唐突に終わる不条理の恐怖と、バラエティに富んだ構成となっている。 
 
 ラヴクラフトの恐怖の源泉について此処では長々と語ることはしないので、またいずれ機会があれば述べていきたいと思う。なお、上・下巻の収録作品についての作品解題や1920年代の出版事情については下巻に収録されているので、できることならば上・下巻を同時に購入することをお勧めしたい。なにぶん、様々な作家の作品が収録されているので、ひとつの作品を読み終えるごとに作品解題に目を通して、ラヴクラフトが作品に費やした労力や、作品に与えた影響、そして個人の作品とは異なった側面をみせるラヴクラフトの文体についてもじっくりと吟味していただきたいと思う。
 


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  1. 2008/02/02(土) 03:46:45|
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JUNK

Author:JUNK
 いわゆるトコ、侍魂以降のテキスト系サイトとして惰性してから早4年(2005年当時)。日記部のみblogに移行しました。それまでの素性とか、堆積物は「サイト」の方を参照で。現在の方は「mixi」とか。

 飲んだ暮れ。夢想家。澁澤シンパとみせかけて種村派。専攻は一応、文化社会学とか言いたいんだけど、実際の専門的らしい専門はない(と思う)。

『家畜人ヤプー』、沼正三、女性のサディズムと父権制におけるマゾヒズム、少女のエロティシズム、アリスイメージの消費、ロリヰタファッション、ヘヴィメタル、サタニズム、オカルト、タロット、少女小説、テクスト論、表層的SM批判、ジェンダー論、クィアスタディーズ、なんかよくわかんないけど色々。

 文化批評系よろず同人誌「Kultur Trieb」主宰。執筆者、購読者募集中。HPとかはまだ作ってないので、詳しくはmixi内のコミュを参照。

「Kluture Trieb」(mixiコミュ)


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