好奇心は猫を殺すか? うちの師匠は、「Curiosity kill the catという言葉があるけど、私はそうは思わないわね。何事も前進あるのみ、日々成長ですわよ」という言葉を言い放つが(ワインをガツガツ空けながら)、JUNKさんとしては、両手を背中に回して休めの姿勢を取りながらIch auf!/Me tooと叫ばずにはいられない。
今日もタイ料理屋て゛、好奇心が云々という話をしていただけれども、やっぱ好奇心なんだよね。何よりも人生において大事で、糧であり、かけがえの無いモノというのは。例えば、「レッドロブスター」はまだやってるの? というものも、十分な好奇心になりうる。
ここ最近、というかずっとはびこり続けてきた問題としては、いわゆる学問〔Wissenschaft〕のタコツボ化だの、大学生の著しい学歴低下が叫ばれているが、どれもこれも好奇心の欠如が問題なのだろうとか思ってみる。あとは、「ぼくは一つの専門分野だけを極めるからイイモンねッ」的な精神というヤツ。
そう考えると、自分が色々と、ざっくばらんに書き綴ってきたテクスト各種(主にKulture Trieb関連)や、大昔にテキストサイトなる媒体で発表してきたものなどは、タコツボ化をうまいこと避けて、ひたすら好奇心と<煩悩>に突き動かされてきたようなものが多い気がする。
好奇心は猫を殺すわけでもないし、人を豊かにするよね。知識を求めよ、されば好奇心は満たされん。好奇心が持てない? 本を読む気が起きない? 知りたいことがない? 知ろうとしない? 自分が解ることしか解りたくない? 解りあえる人としか解りたくない? 外国人といえば、英語をベラベラ話す白人しか思いつかない? 日本が戦争していたことを知らない(数年前に、勉強を見ていた中学生に聞いたら実際に、知らないと答えられた)? それを堂々と誇ろうとするヤツは皆氏ねばイイと思うな(^ω^)。
これだから、このクソ島国は…とかいいつつ、結局この、どうしょうもない「象徴の帝國」または「イメージ・ファクトリー」または米国第五十二州、またはバルトの楽園、またはもっとも完成された共産主義国、または近代がなくて、初めからポスト・モダンだった国が嫌いじゃないんだろうね。
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- 2007/11/16(金) 02:12:14|
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