ぶりの更新ですよっと。mixiの方は相変わらず毎日更新してはいれど、FC2の方はすっかり放置している惨状。携帯からの更新をまだ設定していないので、一両日中にはします。多分。ここ最近の流れとしては、滝修行行ったり、ずっこけた勢いで左手で窓ガラスをぶちやぶってしまい救急車で担ぎ込まれたりとか、財布落としたけど2日後にゲンナマを抜かれはすれど無事に帰ってきたりという怒涛なる昨今ですよっと。
あとは「再考テキストサイト(仮)」ね。現在blog内に潜伏している「再考テキストサイト」を大幅に改定し、テックウィンの2001年9月号(女帝や「ちゆ」が掲載された号)などを参照しながら、テキストサイトブームの回顧オヨビblogが登場して何が変わったかというのを、かなり濃密な量で書いていまする。
JUNKさんがヒタヒタと進めている文化批評系同人誌Kulture Triebの増刊的な形で、同人誌みたいなカタチで出そうかと思っているけれど、とてもじゃないけど年内に書きあがるような気がしません――そのうち、一部をこのblog内に掲載すると思う。VNI論は結構気合入ってますよ。ウヘヘ。
そんなぼくの8月30日はこんなことを考えていた。
文章ってさ、書き始めるまで、頭の中で熟成させる期間がバカみたいに長いし、書く気を起こすまでが熟成期間以上に長いんだけど、いったん日々が入ったらドパドパ放射能漏れしてくんのな――「らめえ! 沢山直腸に出すからお腹の方までパンパンなのお!」。思いついたからといって、フルボイス版「くそみそテクニック」を見るんじゃなかった(´・ω・`)。
また例によってアドルノがどうだとか、音楽芸術が云々と書いているワケだが、日常を取り巻き、もはや大衆音楽として耳に焼き付けられたクラシックの曲の「一部品」の例を思い出してたら、まず第一に「指先つんつるりん」のアレでおなじみな、ブラームスのハンガリー舞曲第五が思いだされ、次点に(せめてもの良心として)「組曲から切り取り、イージーリスニング気味に仕立てあげた」という冠詞をつけた平原某の「Jupiter」、最後にK1のレ・バンナの入場曲、カルミナ・ブラーナ第二楽章「運の女神の傷手を」と思いつくワケだが、あとは最近の例だとなんかあったけっ?
クラシックのメロディに関する記憶は「パロディウス」シリーズで叩きこまれてきました(´・ω・`)小学校低学年あたりから。
――具体的にどんな風に著述をしたのかを、書いている最中の案件から「甜菜」してみる。日記の第一稿を書いた時は携帯からだから、細かな部分が補填できなくてね(´・ω・)。
いわゆるクラシックは消費財や季節・場面に応じた体の良いBGMとして消費されている現在、クラシック音楽自体もまた大量複成・大量消費に巻き込まれるポピュラー音楽のひとつになっているし、名曲の主題や印象的なメロディは、街中で、テレビやラジオのBGMとして、はたまた携帯電話の着信メロディとして、常日頃から私たちの日常を取り巻いている。私自身が特に覚えている例としては、古いCMだがハンドクリームのCM曲として、ブラームスの「ハンガリー舞曲第五番」に軽快な日本語歌詞を乗せたものが用いられている。最近の例では2003年末から2004年にかけて、平原綾香がホルストの組曲「惑星」の第4番「木星 快楽をもたらす者」[Jupiter,the bringer of Jollity]を組曲から切り離し、日本語歌詞をつけ、イージーリスニング風に仕立て上げた「Jupiter」が2004年度のCDシングル売り上げ第 3位(オリコン調べ)を記録した他、格闘技イベントK1の選手であるジェロム・レ・バンナの入場曲としてカール・オルフによって編成された世俗歌集「カルミナ・ブラーナ」の第2曲「運命の女神の傷手を」[Fortune plango vulnera]が使われている例が良く知られている。
とのことだってさ(´・ω・`)
スポンサーサイト
- 2007/09/10(月) 21:25:04|
- 未分類
-
| トラックバック:1
-
| コメント:0
知人に借りて読んだけど、返した後にどうしても欲しくなって購入。アルゲリッチなど、超一流ピアニストの、ヴィルトゥオーゾならではの人間面が垣間みられて良かった。私の永久保存版。・ラテンアメリカ クラシック・[クラシック音楽][つぶやき]・く・・・クラシック音楽タ
- 2007/09/11(火) 08:22:26 |
- 音楽の厳選紹介