何か適当に色々という感じ。相変わらず今日も蒸し暑いです。今日は今日とて、二子新地で花火とかしてきた。浴衣は涼むための浴衣の分際で、何であんなにも暑いのだろうとかいう調子。
さいきん、音信の方が不通気味になっているKulture Trieb――JUNKさんが同人を努める総合文化批評系の同人誌――の方だけど、水面下で色々と動いているから、表舞台にしゃしゃりでてくることを乞う! ご期待とかいう調子。今日の収穫では、自分の意見の片鱗を述べた際に、それに大きな興味を示してくれる反応があって(いずれはKulture Triebで執筆予定のもの)、それによって、各琴に対するモチベーションが大きく飛躍するというものが大きかったかな。
とはいえ、自分にとっての文章は、誰かのために書くというワケではない。あくまでも、自分の主張なり意見なり、そういったもの――文字の羅列と論理的な構成によって具現化されうるものがあって、その片鱗を口語と話した際に、その意見に対して大きな興味を持ってくれる人がいた際に、「そういった人に提示したい」という意識こそが、原動力になりはするのだけどね。しかし、それは誰かに読んで貰いたいという意識が最初にあって生じるものではない。少なくとも、それは自分の中で考え、思い描いてきた主張なのだから……。何かに対して、懐疑や好奇心を抱き始めた瞬間、その瞬間こそが、ものを書くという意識が己の中に発露した瞬間に他ならない。
「お書きなさい誰もあなたを引き止めませんように、何もあなたを押しとどめませんように。つまり男性も、資本主義の馬鹿げた仕組みも。この仕組みの中には、私たちに逆らって私たちを監視しながら機能するエコノミーがあり、このエコノミーの要請にこびへつらいながら、この要請をずる賢く中継する出版社があるのです。そしてあなた自身も、あなたを引き止めませんように/女性の真のテクスト。女性の性を持ったテクストは、彼らを喜ばせないのです。それは彼らを恐れさせ、吐き気を催させるのです。彼らとは、読者面をした人、叢書の頭たちや、ふんぞり返っている経営者たちのこと」,エレーヌ・シクスー「メデューサの笑い」(編訳:松本伊瑳子 他)
それでだね、更に悲劇的なことには、浴衣の袖に入れていた携帯電話が多摩川の河川敷に沿った形で設置してある階段のトコロで落下した。電池ケースと電池は階段部にあったのだが、携帯電話本体は見事に水没とかいうヤツ。今日のトコロは、「if」を信じながらも、周囲の説得に応じつつ復活ま可能性を見送ることに――今は、冷房がわりに使っている扇風機の眼前に晒しておいて、水を切っているという調子だが、明日の昼か夕方くらいまでは携帯が不通になっていると思われ。
携帯が無事に復活すればキリスト病だが、復活せしめなかった際は、身代わりマリーとい名の代替機が緒上から配給されるのを待つかという調子。
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- 2007/07/29(日) 01:12:37|
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