脳髄強化合宿で諏訪の方まで行ってきた。一先ず、おとといと本日のまとめを以下に。
7月15日
明け方まで飲んだ後は昼頃にワサワサと起き始め、夜まで哲学的大議論大会。鳥の鳴き声以外は殆どの音が聞こえない環境で果てしない議論とか、牧歌的な状況。熱いね。
認識論・存在論、超人、「ブレードランナー」、『モモ』、超人、ユニコーン、永遠に関する存在論的云々、エネルゲイア、プシュケー、「魔笛」、魂、ジョン・ケージ、ヴィルトゥ どうのこうの、という話について夜までウダダダダ。
休憩時間に山梨の避暑地にて、ノーパソでムンク論をカタカタ書いてたら、仕事してるなあ! という感じがした。10人以上な大人数で食べる食事は良いものよのう(・∀・)
7月16日
諏訪よりの帰還中。昨夜は酒飲みながら、日本の儀礼/祭礼的な祭りや地方の奇妙な御神楽の話――ついでに、宮古島の赤又・白又(「かり又」ともいうとか)の話を聞く。
にしても、日本の民間信仰は海にまつわるものが多いなと感じた。海上の船で儀式を行ったり、神様が海からやってきたりと。対して、アメリカの場合(例にあげたのはラブクラフトだが)、邪なるものや、人間に害をなす超自然的存在は海からやってくる――天国(空)・人間界(地上)・地獄(地下世界)という世界観の認識は、内陸地だろうが沿岸だろうが、生活を営むすべての人間に共通の認識を提供する。
日本育ちにはピンとこないかもしれないが、内陸部で生活を営んでいるが故に、生まれてから死ぬまでの間、海を知らない人たちがいる(知識や写真などでは知っているだろうが、実体験ではないという意で)。
キリスト教圏にしてみれば、海からやってくるのは異教徒か遙か彼方にいる同胞である。従って、海は邪なるモノを運んでくる道であるが故――ラブクラフト自身については魚介類嫌悪という特徴はあれど、根底には海に付与された邪性的な価値を意識している可能性があるかもしれない。
日本の場合は海神信仰の大衆性からか、海から脅威がやってくると考えることが少なかったのかも。なんてことを、深夜まで延々議論してたんですよ、飲んだ暮れながら、海神や離島における猟奇めいた祭礼や、儀礼における想像妊娠で神の子を宿した(らしい)というような話をゲームの『サイレン』における「神食い」――象徴的な面と、単純な飢餓からきた衝動という面などを考えて――の場面と絡めながら、くっちゃべっていた。忘れないうちにメモしておくお(^ω^)。
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- 2007/07/16(月) 17:19:39|
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