今日(5/3)の深夜、帰宅の帰り道で地元では珍しい人身事故があった。そして、現場に赴いて興奮気味にmixiの日記を携帯から更新し、それを帰宅後に一つの文章としてまとめ直した。以下はそれを転載し、blog向けに一部の文章などを推敲したものである。
――5/4/0:55
俺の地元は都内とはいえ都市という感じではなく、私鉄沿いにある小さな町で、歓楽街やターミナル駅とは遠い環境にる。ニュータウンのように漂白されたク景観というわけもなく、昔ながらの商店街があるのだが、その商店の多くは時代の流れと共に駆逐され続け、個人商店の跡地や工場の跡地の多くはマンションやアパートに姿を変え続けるといった現状。
とりあえず、事故の第一報を聞いたのは、二つある最寄り駅の片方。今回事故があった駅とは逆方向にある最寄り駅。終点になる車庫がある駅(最寄り駅から余裕の徒歩圏内)で飯がてら一杯飲んでいた。まあ毎日のことだが、それはそれで良い。『ピグマリオン・コンプレックス』も読み終わって、帰宅の徒路についていたら、駅の放送で人身事故が発生したとの報を聞く。
――1:10頃~
事故が起こった後、すぐに電車が走り出したがそれは最終電車ではなく、事故処理を行っている最中に来た電車が最終電車らしく(一部駅~終点の区間は徒歩で余裕だし一本道だが)処理作業が中断されて、安全確認をして電車を通していた。間近にあるパトカーの前では 0時25分辺りに踏切内でうずくまっていた酔っ払い女性(恐らくは事故の当事者)を見たという中年男性が事故状況や身元を聞かれていた。
終電通過辺りから救助隊や警備から怒号が飛び始め、小さな十字路(通行止め中)に待機する消防車を十字路の横部分に入れて通行止めの拡大を敷き、自転車通行者が一時困惑してた。
消防車の移動が完了した辺りで混乱が収まり、お堅く、制度然とした実況検分が行われていた。野次馬連中が期待するようなケイオス的状況はもうない。あるのは科学的根拠と国家権力の権限に基づいたアポロン的な<処理>でしかなく、そこにデュオニソス的な熱狂や非日常的な祝祭性は存在していない。
<処理>が住み、デュオニソス的な熱狂から解き放たれ、アポロンめいた実況検分に興じる野次馬たちは理性の勝利を唄いあげるかのごとく、事故当時の状況や当事者の四肢が飛び散った/飛び散らないだのといった話を冷静にし始めている。
自分がアポロン的理性を獲得して感じたことは、地元の、それこそ踏切の両端には住宅街が並ぶような環境であり、都市のような匿名空間の事件なのだから顔を知った隣人が被害者になる可能性があるのに、皆どうしてそこまで理性的にいられるのか? という点だった。目の前にある光景は電波受像器の中に映る遠い日本でもなく、映画のように編集された911テロでもないのに。
とはいえ、家から踏切を三個程隔てたトコロで起こった事故を観賞・消費する近隣住民に畏怖を感じる割には、自分家の近隣住民に対しては酷く不干渉(そもそも生活時間が異なるし、休みの昼に寝てる際には隣家から絶え間なく子供の泣き叫びと家父長のヒステリックな怒号が聞こえてくるから尺だ)な JUNKさんが奇妙に映る。そんなものだ〔So it goes〕。
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2007/05/04(金) 03:05:31 |
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