しばらくぶりの更新ということで、基本的にはmixiの方にupしたものの再録になってしまうのだけれども、レイアウトの都合上mixiよりもこちらの方が文章としては見易いと思うんだよね。たとえるなら、2DゲームのPS版がmixiだとしたら、こっちのblogはサターン版という感じ。たとえが古いか。とりあえずね。日付に即したリアルタイムの更新ではないけれども、ラグを念頭において読んでくださいな。久々の更新ということもあり
久々PCからの更新ですよ。キーボードだと親指が痛くならないからいいよねッ!(イイヨネ!)。とりあえず今日もまた一冊本が増える。出向先に来る間に数日前から呼んでいた武田龍夫の『戦う北欧』は読み終えたが、また次の本が増えて鞄の中に装填される。今日はこれから私用でヨコハマに行くが、まだ古本市やっているだろうからまた増えちゃうんだろうなッ、本が。バロウズ本を買ってしまった前回、目をつけていた『世界のビール大百科』みたいなものがまだ残っていれば良いのだけど。
■学生ののしるメモ書き、金持ちへの反感か…米の乱射容疑者(読売新聞 - 04月18日 12:21)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=196518&media_id=20
そして、例の銃乱射事件ね。次々と出てくる犯人のパーソナリティはもうアレなんですよ。最近、「ファウスト的人間」のネガとして「タクシードライバー的人間」というものを考えていて、今回の乱射犯はモロに「タクシードライバー的人間」だと思うのですね。とりあえず、メモ書きを基にして簡単に特徴を述べてみようか。ああ、モチロン由来はマーティン・スコセッシの『タクシードライバー』(1976)ね。
○ファウスト的人間
生きる意志を強く持ち、努力の中で迷い、進歩や発展に憧れを持つ、また、超常的な力によって自己を強化する。自身に溢れたセクシュアリティの誇示(例えば若返ったファウスト博士が意気揚々と若い娘を口説く場面を想起されたし)
○タクシードライバー的人間
無力感や破滅感を抱き、現状に対して悲観的である。近代社会の産物でもあり、性的抑圧や女性への執着および嫌悪がある。さらには、ドストエフスキーの「地下生活者の手記」に見られるような自意識の過剰を有している。ファウストの場合は超常/空想的な力によって自らの力を強化したが、タクシードライバー的人間は機械(むしろ銃)によって自信を回復したり、力を有すような感情を経験する。
そして映画『タクシードライバー』の劇中で、主人公トラヴィスは、入れ込んでしまった少女売春婦のアイリス(ジョディ・フォスターが演じていた)に対して金を払いながらも道徳を説く。また、終盤では銃を持ちながらモヒカンヘアーで登場し、大統領候補を狙撃するつもりがギャングたちを一掃することになり、結果として少女売春婦を救ったヒーローとして担ぎ上げられる。そういったくだりに、前近代的な父権制や、マッチョな男性像への憧れが垣間見れる。
「アイリスが少女なのはブレマーの初恋の相手ジョーンが15歳だった事実に基づいている。とはいえ、ブレマーもトラヴィスもロリコンではない。精神年齢が中学生並だというだけだ。「オタク」に代表される未成熟な男は女性に対して「天使」と「娼婦」という両極端なイメージしかもてない(トラヴィスがベッツィをポルノに連れていったのもそのせいだろう)。しかし、現実の女性はどちらでもないのだ」――町山智浩,2002,『<映画の見方 >がわかる本』,181頁。
述べてきた「タクシードライバー的人間」――特に女性への執着と嫌悪といった点――を念頭に置きながら、これから続々と報じられてくるであろう射殺犯のプロファイルを読み解いてみると、少しは楽しくニュースが見られるかもね。
そして帰宅後、日付が変わった辺りでの一コマ。
∧,,∧ ∧,,∧
∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
| U ( ´・) (・` ) と ノ
u-u (l ) ( ノu-u
`u-u'. `u-u'
罪に対する許しを得られるか審議中……最近の世の中はとても悲しいことばかり。だからこそ「文字どおりの分派である無慈悲な許し屋たちは、敵を探しだして許すことに全力を傾ける。マフィアのドンが、ロングアイランドの隠居所にバリケードを築いてこもる。さもないとライバルのドンが忍び込んで、かれをかき抱き、何もかも許してくれてしまうのだ。犯罪者たちが警察署に群がり、手を差し出して手錠を待ち受ける。ブラザー、シスター、文句なしに愛こそが答え」,W・バロウズ『ゴースト』,山形浩生(訳)。ということだ。
そうだ、銃撃や狙撃が起こる、悲しい世界だからといっても、「ブラザー、シスター、文句なしに愛こそが答え」。だったら「文字どおり主義者たちは、キリストの言葉を実践して酷い状態に陥る/さてキリストは、もしどっかのろくでなしが汝の服の半分を盗んだら、残り半分も差し出せと言う。これに従って文字通りたちは通りをうろついて追い剥ぎを探し出し、一人見つけると素っ裸になってしまう。多くのかわいそうな追い剥ぎたちが、半裸の文字どおりたちにラクビーのスクラム状に飛びかかられて、押しつぶされてしまった」(前掲同)。結局のところは、そうだ。「ブラザー、シスター、文句なしに愛こそが答え」。
とりあえず、今日もまた新しい仲間(本)が増えました。朝日新聞刊の『世界のビール』、THE LIFE BOOKSシリーズの『THE NAZIS WWⅡ』――昼間は昼間で映画「ヒトラー 最期の七日間」を見ていたし、先月はブレヒトの演劇「第三帝国の貧困と悲惨」を見た。ここ数日は、北欧の対ナチス(およびソ連)戦史に関わる本を読んでいた。どどのつまり、北欧の近代史を語るうえでは、対ナチスおよびナチス・ドイツ史に対しては潤沢なる知の放蕩が必要というわけで……ここ最近ナチス関連の文献がモーレツに増えていることをヒシヒシと感じる。クラウス・テーベライトの『男たちの妄想(上・下)』も早く購入しなければと思っているのだけど、上下併せると9千円超えとかね、泣けすぎるよね。たかだか本の分際で。
前述の二冊にくわえて、本日仲間に加わったものというと、加藤秀俊『文芸の社会学』と村瀬典雄『ナチズム ドイツ保守主義の一系譜』。いい加減資料整理用の本棚が欲しい。
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- 2007/04/19(木) 02:49:06|
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