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続・JUNK屋日誌

blogへのテラ・フォーミング(2005/12/17)。遂に時代の流れには逆らえづ、本サイトの日記のみをblogへ移行。

舞台裏

 水面下で順調に進んでおります。総合文芸の批評・評論を謳った啓発系総合文化ミニコミ誌「Kurutur Trieb」の構築が。そして、今日も今日とて主宰は来るべき決戦に備えて原稿のストックを書き綴るのであります。では、具体的にどのような原稿を書いているのかという点を、少しだけ披露してみと思う。




 近頃の大学生は本を読ないだけでなく、ろくすっぽ勉強までもしないのです。しかし、怠惰な大学生増というのは今に始まったことでいはないのでありまして、つまるところ本を読まなくなった――最低限の教養すらも持ち合わせていない大学生もどきが巷に氾濫し、そういった連中が<もどき>の分際で生意気にも<大学生>を名乗るという不可解な状況が今日の日本であります。こういうと海外の大学はすごい! 日本はだからだめなんだ! といった常套句めいた言説を導きかねないのですが、教育、特に大学教育のシステムについては、日本の大学教育が立たされた現状を憂うオキシデンタリストたちによって、米国がさも教育的理想郷のように語られることは多いのですが、米国の大学教育や学生の資質低下などについては色々な問題が紛糾していることもあり、まぁ、日本の現状を悲劇の一番のように語るのも少し尚早ではないか…と思いつつ、「学生」――「生徒」の読書という行為に焦点を当ててみましょうか。
白痴的な脳髄に疑問や危機感を覚えないままに書を捨て、そして街へ出るような学生たちが大量生産されるような状況に陥ってしまった原因の一つとして、「オピニオン・カルチャー」などと呼べるような、大学生間の基底的書物や共通文化・教養知識――それが一昔・二昔前であるならゴダールやルイス・ヴニュェル、セルゲイ・エイゼンシュタイン、ギー・ドゥボール、レヴィ・ストロースにヴァルター・ベンヤミン。日本では吉本隆明、花田清輝に鶴見俊輔といった、<大学生ならば>読んだり観たりしていなければ恥ずかしい書物//映画が消失し始めているという点が考えられましょう。

 あは! それがオピニオンと呼ぶに相応しい奥深さや批評性を有しているかという点については疑問が残るところでありますが、大学生に対するオピニオン・カルチャーが存在していないとは言い切れないのです。ここ数年の若者向けベストセラーを調べてみると、Yoshiの『DEEP LOVE』(2002)、綿矢りさ『蹴りたい背中』/金原ひとみ『蛇にピアス』、中野独人(編著?)『電車男』(2004)、リリー・フランキー『東京タワー』(2005)などが並んでおります。ぷふい! ザッツ・恋愛市場の投げ売りスペクタクル。

 現在、オピニオン・カルチャーは大学の大衆化叫ばれて久しい1970年代の大学紛争期よりも、より一層大衆化してしまったおります。これは否定しようのない事実でありまして、大学進学率の上昇はなんとなく大学にきて、なんとなく大学を出ていくような輩を量産しているのであります。私自身、見知らぬ古き時代の大学に対する懐古の嗜好は毛頭ないのですが、1970年代の方が現在的状況よりも――それがカッコだけという部分は大いにありますが――大学生の知的水準が高かったという点を強調せざるを得ません。

 あなた、考えても御覧なさい。難解なる観念小説として名高い埴谷雄高の『死霊』が大学生のオピニオン・カルチャーとして機能していた時代があったんですよ。難解といわれる『死霊』をどれだけの学生が読みこなせたかは不明です。むしろ、敬愛なる澁澤龍彦氏によって書かれた『死霊』論のようなSFやエンターテインメント的な読み替えを行った学生たちの方が多かったのではないでしょうか。事実、『死霊』の作中には刺激的なモチーフや、夢野久作や『ドグラ・マグラ』を彷彿とさせる要素が随所随所に数多く<陳列>されているのであります。

 「たしかに島崎藤村で育ってきた平野謙氏や本多秋五氏にとっては、観念小説としての『死霊』は言おうようなく難解であったにちがいない。しかしカフカやボルヘスを愉しみながら読んできた若い世代、例えば現在、「週間読書人」でSF時評を書いている山野浩一氏のようなひとにとっては、『死霊』はべつに難解でも何でもないのではないか。あえて言ならば、『死霊』はエンターテインメントとして読まれても一向に差し支えなかろうし、また事実、エンターテインメントとして読むことも可能なのである(江藤敦氏をして眠気を催さしめたにもかかわらず!)/埴谷雄高氏の作家的名誉のために、私は『死霊』がエンターテインメントとしても読まれ得るということを強調しておきたいと思う。いたずらに『死霊』を難解視して、大衆の手の届かないところに置こうとするのは、むしろ埴谷氏の思想的、作家的真価を貶めることだと思う。『死霊』はベストセラーになってもよいのである」――「難解ではない『死霊』について」『洞窟の偶像』

――「メランコリック者のエッダ(仮題)」


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  1. 2006/11/24(金) 22:53:46|
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JUNK

Author:JUNK
 いわゆるトコ、侍魂以降のテキスト系サイトとして惰性してから早4年(2005年当時)。日記部のみblogに移行しました。それまでの素性とか、堆積物は「サイト」の方を参照で。現在の方は「mixi」とか。

 飲んだ暮れ。夢想家。澁澤シンパとみせかけて種村派。専攻は一応、文化社会学とか言いたいんだけど、実際の専門的らしい専門はない(と思う)。

『家畜人ヤプー』、沼正三、女性のサディズムと父権制におけるマゾヒズム、少女のエロティシズム、アリスイメージの消費、ロリヰタファッション、ヘヴィメタル、サタニズム、オカルト、タロット、少女小説、テクスト論、表層的SM批判、ジェンダー論、クィアスタディーズ、なんかよくわかんないけど色々。

 文化批評系よろず同人誌「Kultur Trieb」主宰。執筆者、購読者募集中。HPとかはまだ作ってないので、詳しくはmixi内のコミュを参照。

「Kluture Trieb」(mixiコミュ)


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割と、お仕事関連とか、読んだ本とか、クダラナイ話とかもつぶやき中。

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