バイト先の人が携帯を水没させたらしく、あとでアドを送って欲しいといわれた。今から30分程前、彼女の携帯アドレスには「ドグラ・マグラ」とか刻印されているアドレスが届くことでしょう。そして、水没したのがトイレ。それも洋式トイレ(用を足す前だったことが不幸中の幸い)だったという。ああ、ちゃかぽこちゃかぽこすちゃらかちゃかぽこ。なんて可哀想な携帯。風塵雷神のステッカーが張ってあった渋いアンチクショウ。
携帯を水没させてしまった人の「トイレの浅い方ではなくて、奥の深い方に沈みましたからね。泡がブクブクいってたんでもう見限りましたよ(・∀・)ハハハ!」という一言が忘れられません。外部メモリはSDカードであったが、水没後に機種変した機種の外部メモリが、マイクロSD専用であったという悲劇。
バイト後は市民会館の地下にあるトレーニングルームで、黙々と励んでいた。何に? 勿論、身体の征服に。プラスチックのように変化しやすい・変化させやすい人間の身体を所有・征服するための鍛錬に励むのだよ。いくら衣服や文化のテイスティングで「自分らしさ」や「独特さ」を<着飾った>ところで、自分の本質的な部分――移ろいやすい肉体を征服し、所有することなどできはしないのだ。肉体を制することこそ、独特な自分らしさを所有することに他ならない! 三島由紀夫を見よ!
否、よくよく考えてみれば、三島由紀夫は病弱なる生い立ちや、女性に囲まれ、女性らしさを植え付けられた生育環境から、男らしさというイメージ――女らしさもそうだが、男らしさというものは、幾重にも広がる関連イメージを神話のように紡ぎあげたものに過ぎず、真の男らしさというものはロックと同様に存在しないのではないかと考える――を夢想し、その夢想を現実のものに、即ち、殉教者たるセヴァスチャンのイメージを自らの身体で再現した。自らの肉体をプラスチックの如く、逞しいものに鋳造し、男らしさというイメージに関する一例を追及したのだ。
そして、「超兄貴」シリーズと、シリーズのサウンドや、その他数々のゲームミュージックをてがけ、尚且つバンド「ブラザーズ」を率いて男の道を説きまくった葉山宏治兄貴は、小学校~高校辺りまで、ボクのバイブル、っていうかタルムードでした。生兄貴のライブを見た時の感激は今でも忘れませぬ。そして、下北沢の某ライブハウスでライブやった際、そこのオーナーがブラザーズのKey担当の「劉先生」だったことに漢汁飛び出た。しかも、事務的な内容だけど電話でお話しちゃったし。しかも、劉先生が「GS美神」のOPを作曲していたのを、その当時に知って、さらに漢汁飛び出た。
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- 2006/10/22(日) 21:42:35|
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