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続・JUNK屋日誌

blogへのテラ・フォーミング(2005/12/17)。遂に時代の流れには逆らえづ、本サイトの日記のみをblogへ移行。

私の頭の中の記録媒体

 子曰く、底辺まで下降し、そこから這い上がってみせた人間でなければ人の本性を見抜き、それについて肉感的な講釈を垂れることはできない→堕ちよ、さらば救われん。苦痛よりも凌辱を、偉ぶるなバカになれ。

 ところで俺はいったいドコで道を間違えてしまったのだろうと思いながらも、変な横穴や天井裏、あるいは勝手口から、社会、性、文化、変態を語るような隠者になってしまったのだから、もう矯正のしようがない。

 なんてことを、ふと考えてみた。過去を省みず、未来に媚びず、場の空気に退かぬ精神を身に付けると、主流を占めるいろんなモノがグロゲチョな感じに見えちゃうんだけど、まあそれも仕方ない。

 この奇妙な感性を水路づけた時折々の師匠たちは皆、俺がグダまいたような感性の持ち主(しかも、総じて飲んだくれ)だから仕方がない。

 子は親に似るとは良く言うが、それ以上に親しく指導を受けた恩師の流儀に、無意識的に染まるなあと思う。飲んで議論する際の思考の流れや、口癖、会話のリズム、笑い方などが、気づけば師(たち)と似ているのだよね。
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  1. 2010/01/27(水) 21:53:27|
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本の話

20100125215943
 ここ数日、自分でも大丈夫か? と思うペースで、主に学術や批評を中心とした本を消費しているワケだが、それより前の数日間に渡り、物語や小説をガンガン読んでいたことや、ここ数日で大量に読了してきた本は軒並み、今ホットかつ執筆中の原稿に体系的に関わってるモンだから、スリリングにドライヴィングに読めるわなと納得。

 ひと口に「本」や「活字」といえども様々なジャンルがあるわけで、空気を入れ換えるためにも適度にジャンルを切り替えることは大事だなと思う。

 その他、南条あや『卒業式まで死にません』(どうも、売り方や持ち上げ方には何かと複雑な気持ちがあり、自発的に読む気にはならず、これを読むなら高野悦子『20歳の原点』や絶賛積読中なスティーブン・レベクロン『Cutting リストカットする少女たち』を読む)が1998年から既にweb日記として公開され、2000年に刊行ということを読んでいた本で知り、テキストサイトブームや『電車男』よりも先に、ネットでの文章表現と書籍化の可能性を先取りしていたことに驚く。凍結中なテキストサイト論を書く時は、前史で触れるわ→完全サイドワークで、積極的に時間を裂く気になれないから、誰か企画の手をさしのべて呉れ。

 あと、先月31日に買ったipod nanoのイヤホンが逝った。イヤホンのないipodはブリキ缶だぜ! しかし、現行のnanoはイヤホン無しでも音が出ることに衝撃を受けた。
  1. 2010/01/25(月) 21:59:46|
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日々之近況

 最近、色々と動いています。主に現実世界で。まず、3月に「沼正三と天野哲夫-ある覆面作家の素顔を巡って」と題した「テクストとしての沼正三論」(あくまでも『家畜人ヤプー』論ではない点に留意)が、某大学の紀要に載ります。その話はまた追々。

 それと、twitter発の新興メディア「.review」の方で、なにやら不可解な論考を数点書いていきます。多分、桜の咲く頃にはお目に掛けられるような段階まで精練できると思う。詳しくは「.review」のサイトを。

 blogの方の更新がまちまちなのは、いつも飲んだくれたりmixiやtwitterで遊んでいるというのも、ひとつの多きな理由のワケですが、普段、「日記」(この言い方は旧いかもだけど)を書く際、たいていの場合は外出先から携帯で書いているため(今日は珍しく早い時間に在宅)、酔っぱらっている時などは、ついぞ更新用メールの送り先をmixiのみにしてしまい、blogの方も忘れてしまうというヤツです。とはいえ、fc2のスパムコメの量が余りにも酷すぎて更新する気を失念してしまいがちというのも、また大きな理由の一つ。

 本格的な活動に向けて、また移転を考えようかな・・・・・・とも思うのだけど、過去ログが結構な量を堆積してしまっているので、それをまとめて移住させるのはハッキリ言って面倒くさいので、どうにかスパム対策を施して、またぼちぼち活気づく更新をやっていこうかな、なぞと思うのです。

 や、ほんとはね、日々「チ○コー!」とか「マ○コー!」とか、篠房六郎が『家政婦が黙殺』の「名探偵ドイル」並に、放送コードギリギリな、中学生が辞書の「SEX」という項目を引いて喜んでいるレベルの、「ねえちゃんとお風呂入ってる?」、「りかちゃんと勉強してる?」「『ヤ○ターマン、コー○ー、ラ○ター』って続けて言ってみ?」とか、そういった、スゲェどうしょうもない感じの日々を過ごしたいワケですよ。ワタクシとしては-でも吉屋信子の『花物語』に目頭を熱くさせる乙女心は残しておきたいのですよ。つまり、「ママは小学4年生!(くぱぁっ!)」っていう感じの、田丸浩&西川魯介&平野耕太みたいな、アンナ感じでリンリン感じでスンスンスンな感じ。

 とりあえず、今後の動静については、また色々と逐一blogとかtwitterの方に載せていくかと思うので。ついでにスパム対策は何か良いモノがないもんかしら(´・ω・`)。

 以下冒頭で述べた「.review」のコンセプトを引用。同誌の方では随時、表現欲求が抑えきれない坊ちゃん嬢ちゃんたちの熱意を待っているし、JUNKさんの方は自身主宰する文芸系同人誌『Kulturetrieb』(今年の春か夏くらいから、本格的に動いていこうかと思いながら、相変わらず原稿もこないので凍結中)用の原稿だとか、毎月一回やっている「表象ゼミ」(mixiコミュ)でまとめてきた資料を基にした、前衛的な論考を発表していこうかと。弾はある、でも撃たせてくれない! とウズウズしている諸子は迷わずこの祭りに乗るべし。





project「.review」

「失われた10年」から、さらに10年の歳月が経った。日本を覆う終わりの見えない不況は、少なからずメディアと知の世界にも影響を与えている。かつて分野を越えて情況を共有し、分野を架橋する機能を果たしていた雑誌は次々と廃刊になっている。残っている数少ない座席も既出の著名な書き手たちに占められている。それゆえ経験に乏しく、慣習を理解していない新しい書き手が割って入る余地は乏しい。

このような厳しい状況の中でも、新しいメディアが現れている。哲学者で小説家でもある東浩紀氏による『思想地図』、社会学者芹沢一也氏、批評家の荻上チキ氏による「SYNODOS」、批評家宇野常寛氏率いる第2次惑星開発委員会『PLANETS』、社会学者鈴木謙介氏がパーソナリティをつとめる「TBS文化系トークラジオLIFE」などは、その代表だ。分野も、対象も異なるが、共通するのは自分たちが読みたい、聴きたい情報を得るために、自分たちで場を作り上げていることだ。

翻って研究者の卵という私たちの立場を鑑みたときに、いまできること、すべきことはなんだろうか、と考えるに至った。一昔前には学会誌や商業誌以外にも、企業CSRやメセナの位置づけの中で、若手の登竜門といえる媒体が少なからず存在した。またかつては大学院、特に後期博士課程もそのような機能を有していた。少なからず、そのような媒体は雑誌とともに軒並み姿を消し、新しい場となりつつあったブログブームも一巡。徐々に一般に認知されるきっかけとなる場所がなくなりつつあるのが現状だ。

このような状況の中では、もはや新しい書き手が頭角を現していくための場を企業や既存媒体に頼り切ることは困難である。だとすれば、このような場を自らの手で作っていくことが、私たちにとってのリアリティなのではないだろうか。私たちは、問題の責任を誰かにおしつけることも、実現する見込みのない革命に期待することも、そして勝手に捏造された絶望の押し付けなど望んではいない。私たちが欲しているものは、冷静かつ正確に現状を見据えたうえで記述された処方箋にもとづく希望の言説だ。

私たちは、ここに project「.review」の開始を宣言する。

「review」とは、「見直すこと」、そして「再び見ること」という意味だ。敷衍すれば、「.」(dot)すなわちインターネットの上に、知と書き手と読み手の「再会の場」を作り出すとも捉えられよう。project「.review」は、あらゆる知と、まだ世に出ていないあらゆる書き手、そして、あらゆるメディア、そしてあらゆる読み手をブリッジするハブとなる場となることを目指す。

今、眼前に広がっている情況を、その最前線に立つ者たちの言葉で紡いでいく。そのうえで私たちのパースペクティブから見える「現在」を伝え、そこから新たな知とメディアの未来を作りあげていくことが目的である。

project「.review」は、次の形態で始められることになる。ウェブ媒体を通じて無償頒布される、主に現時点で無名な書き手を中心とする「.review β」と、既に商業媒体や学術分野で活動を行っている書き手による論考と企画を含む「.review Premium」だ。

「.review β」は、インターネットを通じて、ある一定の期限を設け、アブストラクト(概要のこと。500字)を広く募集する。分野、テーマは一切問わない。ポートフォリオも可能。アブストラクト提出の後、編集チームとのインタラクションを経て、論考(約10000字)もしくはノート(約4000字)に仕上げてもらう。新しい書き手の周知と媒体の宣伝を兼ねて、これらは随時無償頒布する。このように編集スタッフとのインタラクションは、形式を整えることに徹することになる。なお、ガイドラインについては後日、別途配布する。ただし、当然のことながら公共性に反するものを受けとることはできない。この判断は編集チームが下すことになる。また内容の真偽とクオリティ、剽窃等に関する責任は編集チームではなく執筆者に帰することになり、論考と執筆者の評価については読者と市場に委ねられる。



他方で「.review Premium」は、βの原稿からテーマに合わせて原稿を厳選、さらに再度公募する。βで公開されていたものは公開時よりさらに推敲していただくことになる。加えて既に商業媒体や学術分野で活動を行っている書き手による論考、企画を含む媒体となる。こちらはダウンロード販売、また、紙媒体での販売を実施する。「.review Premium」をはじめとするマネタイズをもとに、将来的にはイベントなども実施していきたい。もちろんマネタイズのあかつきには、執筆者に還元する仕組みを用意する。また、既存のメディアや媒体とのコラボレーション、スピンオフにも積極的に取り組んでいく。



既存の媒体をイメージする者にはこうした新しい形態に抵抗があるかもしれない。だが、それは過去の常識に囚われている。2010年代のインターネット上のストレージ容量は、事実上無制限。建築の言葉でいうところの「切断」を行う必要はない。まだ若い編集サイドにも当然「質」を見分けるだけの力量もない。スタートアップ・メンバーが持っているのは、狭い専門分野の知識と熱意だけだ。したがって私たちにできることは、エンパワーメント、それだけだ。

しかし、ポジティブに捉えれば、新規性ゆえに査読で弾かれてしまう論文や、ニッチなニーズに答える原稿も掲載できる。目指すところは「結果の平等」ではなく、「機会の平等」だ。幸い手軽に使える高機能なICT媒体が充実している時世でもある。一昔前には膨大なコストがかかったプロジェクトも、今では驚くほど低コストで実現可能だ。スタートアップのメンバーを中心に、twitterを介して出会った全国、いや、世界にも広がる仲間、そしてまだ出会っていない新しい書き手たち自身の手によって、あらゆる情報をブリッジするメディアを、まだ誰も見たことのない形で作ってみたい。その意味では、このプロジェクトの成否は参加者のコミットメントに掛かっている。あらゆるアイディア、手法、企画を随時アドバイスいただけると幸いだ。そしてなにより、コミットすることでこの新しい試みの一員になってほしい。


このようなプロジェクトは日本のtwitterからはほぼはじめての試みになるはずだが、私たちはこのプロジェクトの成功を確信している。このプロジェクトのために設定したtwitterのハッシュタグ「#commu2010」やRTを通じて、既に私たちがいただいたさまざまなな分野の多くの応援メッセージや後押しからも十分な手応えを感じている。

project「.review」は、2010年代を牽引する、理想と希望、若さ(そして、それゆえの無謀さ)によって支えられた社会実験であり、また情報化社会を背景とする現代の革命でもある。project「.review」が新しい書き手と新しい知、既存メディア、読者をブリッジするハブとなることを願っている。

2010年1月吉日

西田亮介
塚越健司
天野彬
淵田仁

  1. 2010/01/23(土) 20:24:02|
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The Vanishing Sing

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 近況→特に変わらず。読む本が毎日変わる以外、毎日同じように過ごしている感じもするけど、来月18日の聖戦直前まではそんな感じかもしれない。俺の脳内を地道に開墾(カルティベイト)。

 のらりくらりと生きちゃってるし死なないし的な隠遁生活ではあれど、準備してきたアウトプットは着々と発芽し始めているし、何だか何でもない日々が、実は壁に囲まれた世界で、さらに壁の外では何かが蠢いていて、春がきたら壁が崩れて、新天地か荒廃した都市(「ヒャッハー!」な感じ)が姿を現すと思う。

 でも、今現在のこの宙ぶらりした期間が、なにも考えないのであればえらく心地の良い期間ではあれど、今を主軸にしたかたちで「かつて」と「これから」を展望する際、あまりにもぶれない軸に退屈を覚える→日々、これまた規則的な生活の繰り返し。

 一日何時間、本を読んだりモノを考えているのだろうと考えること、それ自体がバカバカしい考えに到達して、「ああ、ちゃかぽこちゃかぽこ」の永劫循環に陥りかねない。

 しかし、鞄の中には吉屋信子『花物語』、クレブス&デイビス『進化からみた行動生体学』、安部公房『箱男』。ラインナップになんだかなあと思いながら、気づけば『花物語』が半分くらい読み終わる。
  1. 2010/01/20(水) 23:02:37|
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或日のことでございます

20100116175246
 月曜日から本格的に本気出す。午前中にしっかり起きれるように頑張る。かたちだけでも真人間に戻る、いやむしろ真人間を演じれるように頑張る。バイオ真人間JUNK27歳ごっこしよう。

 いやはや、年末年始と先週の三連休のお陰でグチョゲチョに破壊された生活リズムを、良い加減本気で直さないとやばくなってきた→昨日はついうっかり、劇場版『装甲騎兵ボトムズ ペールゼンファイルズ』を観てしまい、気づけば4時過ぎだった。

 最近はまた肩凝りも酷くて、血の巡りが悪い。そして朝が起きれずに惰眠をむさぼり、さらに肩は凝り、気分は欝屈し、慢性的な無気力状態(アパシー)...にはならない。

 書くことや読む本が山のようにあるからなあ、いやはやココロやバディが欝屈しながらも、なにかの活動はできてるんだな。意思というよりも、習慣。今日は山口百恵の『蒼い時』が読み終わり、今田絵里香『「少女」の社会史』に手をつけ始める。

 ついでに久々に鍼灸にいって、お灸を据えられてくる。欝々した時とか、身体・精神の緊張感が抜けない時は、鍼がマジオススメ。
  1. 2010/01/16(土) 17:52:49|
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連休=Shit

20100110190058
 なんだか連休ばかりで頭がおかしくなりそう。もとから脳髄の主軸はぶれているけど。

 暦通りに活動しないジリ貧書生としては、休みが多いとて、無駄な時間が増えるわ、働き口が減って収入が減るし、教育的な面でいえば月曜日の授業が圧倒的に少なくなって、さらに大学で言えば非常勤の人の都合や大学の補講コマ数が合わなければ、月曜日の授業だけコマ数が少なくなって不平等が生じる。

 つまりアレですね。連休なんてものは、持つ者のための余暇であり、持たざる者に怠惰な有限地獄にしか過ぎないと。年明けてから、良い具合のテンションを維持してきたのに、またこの連休のせいで脳髄が緩む。短いスパンでリズムが崩されるのが好ましくない。

土曜日→家で酒飲みながら『逆噴射家族』観てた。

日曜→昼過ぎに起きて長い風呂。喫茶店で3時間ほど原稿書いたり、読書。

月曜(予定)→書類の清書、履歴書書き。蔵書整理。積読の消化。

 たまにはドコかに出掛けたいよな。パーッと。ついでに、今日&明日は成人式の時期ですが。

 空きっ腹に半日酒を入れ続けて、気づいたら家の前で倒れていた程度の記憶しかない→以後、一週間ほどの間、酒の匂いに吐き気をもよおすほどになり、断酒の契機が見えるが、より強靭な肝臓を手に入れる。

 ついでに凄まじい悪酔いや、周囲に煽られての調子づいた飲酒をしなくなる。何事も教訓っちゅうワケですよ。
  1. 2010/01/10(日) 19:01:00|
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落花流水

 京劇熱が再燃して、ちとヤバイ。昔さ、コナミがコブラっつう独自基盤を開発してさ、「ファイティング武術」っつう3D格ゲを出してさ、ゲーセンで。スゴいダメゲー。

 でも2ndも出たんだ。中ボスも使えるようになるガロスペ使用。きらめき高校の制服や、かっぱクンやパンダちゃんの着ぐるみなど、なにかを迷走したやけっぱち新コスチュームを多数追加して出たんだ。

 んで1stでは中ボス格な小娘の衣装に京劇的なのがあったんだ。惚れたね。オリエンタリズムといわれようが、表面的と言われようが、あの豪華絢爛な衣装と白塗りに隈取りな妖艶なメイクで、魂(ハート)に火が点けられたんだ。

 当時は小6か中1くらいか(´・ω・)y-~~ して、最近、皇なつきの『燕京令人抄』を手に入れて、京劇熱が再燃した。むしろ京劇における女形の華美さに、わしゃあもう胸の高鳴りを押さえることができんのですよ。ギリシャ式に。

 今年はアジアについての見識を深める年にしたいわ(´・ω・)y-~~ 主に錦絵、浮世絵、水墨画、英雄図、中国の閏房画、イスラム美術辺りを中心に。
  1. 2010/01/07(木) 01:14:04|
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謹賀新年

 ふと気づけば4ヶ月近く放置していましたね。わたしは元気です。わたしは狂気です。わたしは慎吾・・・・・・ニンゲンです。というような日々を送っています。相変わらず。絶賛mixiの方が拠点になっている調子で。でも、相変わらずmixiの方では、日記と呼ぶにはドラゴン殺し過ぎるブンショウとかいうヤツを垂れ流してます。

 いつもね、携帯からウダウダと書いているのだけど(酔っぱらいながら)、ついぞ此方(blog)の方を送信先にいれるのを忘れちゃう、リトル愚かなわし。今日は田山花袋の『少女病』なんぞを読み返しながら、喫茶店で4時間ほど、今月にやるゲリラ的ゼミで使う「少女論」だとか、どこに出すかもわからないけど、種村季弘の『幻想のエロス』を読んでたら、欠かざるを得ない衝動に駆られた「主義としてのサドとマゾ」なるエッセーを、思いついた範囲の7割方(現在約4,500字)書いてしまう。

 たぶん、年内に何処かに持込む・・・・・・それよりも、今まで書く書くと言っていながら、ついぞ忘却の彼方に忘れ去られたモノが沢山(特に、テキストサイトの再考論)があるんだけど・・・・・・年内に時間があれば、手をつけるかも。去年は『家畜人ヤプー』と沼正三と天野哲夫とマゾヒズムについて書きすぎ、読み過ぎましたです、はい。

 今年は、今のトコ、ヘヴィメタルと旧劇場版エヴァンゲリ<オ>ンと、手塚治の『奇子』と、相変わらず『家畜人ヤプー』と、ロリィタファッションと「嶽元野ばらにおける「ぼく」と「きみ」論」だとか、ネタは大量にあるが・・・・・・テキストサイト論については、余裕があれば。でも、2011年は「先行者」が「侍魂」に紹介されてから10周年だから、それまでには書くかな。

 ブッ○オフの105円棚に、○江氏の本だとか、「ち○」だとか、「ろじ○ら」の本が並んでるのを見ると、なにがしか諸行無常で「夏草や、兵たちが(´・ω・)カワイソス」という感じがするのだけど、テキストサイトブーム当時に人気を博した、あのサイトも、このサイトも、バンドブーム的にいえばBAKUとかゴーバンズとか・・・・・・はたまた、ラ・ムーとか、そういった感じなんじゃないかなあ、なんて思う。

 JUNKさんのテキストサイトも、かつての「女帝」の一派として、当時としてはおこぼれのアクセス数で、それなりの閲覧を集めていたけど、よくあんな感想文に毛が生えたレベルの文章にアクセスがついたなぁ、とか思う。今思えば。その6割位は女帝からのリンクだろうし、うち3割はオフ会での交友関係だったのに。

 そういやアレだね。昔、ぼくも「敵ッ娘。」なんて組織に属してました。昔の話。
  1. 2010/01/03(日) 02:05:32|
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プロフィール

JUNK

Author:JUNK
 いわゆるトコ、侍魂以降のテキスト系サイトとして惰性してから早4年(2005年当時)。日記部のみblogに移行しました。それまでの素性とか、堆積物は「サイト」の方を参照で。現在の方は「mixi」とか。

 飲んだ暮れ。夢想家。澁澤シンパとみせかけて種村派。専攻は一応、文化社会学とか言いたいんだけど、実際の専門的らしい専門はない(と思う)。

『家畜人ヤプー』、沼正三、女性のサディズムと父権制におけるマゾヒズム、少女のエロティシズム、アリスイメージの消費、ロリヰタファッション、ヘヴィメタル、サタニズム、オカルト、タロット、少女小説、テクスト論、表層的SM批判、ジェンダー論、クィアスタディーズ、なんかよくわかんないけど色々。

 文化批評系よろず同人誌「Kultur Trieb」主宰。執筆者、購読者募集中。HPとかはまだ作ってないので、詳しくはmixi内のコミュを参照。

「Kluture Trieb」(mixiコミュ)


◇twitter
割と、お仕事関連とか、読んだ本とか、クダラナイ話とかもつぶやき中。

@junk666
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