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続・JUNK屋日誌

blogへのテラ・フォーミング(2005/12/17)。遂に時代の流れには逆らえづ、本サイトの日記のみをblogへ移行。

Aufheben zur dem M

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 蔵書の増え方がほんとやばい。今日もまた愛蔵版『スケバン刑事』を...

 んな調子で、わらわらと倉橋由美子「マゾヒストM氏の肖像」と天野哲夫「K女史の肖像」に、沼正三『ある夢想家の手帳から』辺りをぶちこんで、マゾヒストとは何かについて、色々書いているワケだが、キーワードは下降願望と苦痛淫楽症だなあと思う。

 もちろん、マゾヒストが男か女かでも、かなり変わってくるんだけど、男の場合は特に下降願望や女性崇拝が重要になるのに対し、女の場合は下降することによる被虐的快楽とはまた違う文脈があるような気がするの、私。

 無意識の内に、世間に氾濫する「女らしさ」や、男の期待するニンフォマニックかつ犬的なマゾ女像に合わせてしまってるんではないかなあとも考える。

 結局んとこ、マゾ男性(下降願望や苦痛淫楽症を問わず)を異端者や倒錯者と見なそうとする意識というのは、男性優位で女性を支配しやすい社会の秩序を崩される可能性(男が女性化するとも言い換えられる)を無意識察知して起こる、男たちの防衛本能かなとかも考え始める。

 マゾヒストっつうのは夢想家で、ロマンティシストで、フェミニストかもしれない。

 や、ソンナことはどうでも良くなる位に、蒸し暑い(´・ω・`)。
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  1. 2009/07/29(水) 23:10:54|
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幻想の少女あるいは文化の中の不満

 ナボコフの『ロリータ』の主人公、ハンバート・ハンバートは、幻想的であり、なおかつ理想的なニンフェットとしての「ロリータ」を追い続け、12歳のドロリス・ヘイズに「ロリータ」の姿を見いだした。

 ルイス・キャロルはアリス・リデルによって触発された「アリス」のイメージを始終追い続け(周知のように、キャロルが『地下の国のアリス』で、自らの挿し絵で描いた「アリス」は、アリスの妹イーディスを模したもの)、小さなお友だちの中に、キャロルが記してきた「アリス」の断片を見いだしてきた。

 ロリータことドロレスは17歳で妊娠し、かつてのパパに金をせびる、したたかな人妻となり、「アリス」は『鏡の国のアリス』で、童心を忘れない白騎士に別れを告げ、したたかな女王になり、アリス・リデルもまた人妻になり、母親になった。

 童心と幻想を忘れない、永遠の少年たちの前に、彼らが追い求めた理想の「少女」はいないが、谷崎が『痴人の愛』で描いた残酷な少女は、終幕においてもやはり、残酷な少女であり続けた。

 ロリィタちゃんの追求する「少女」もまた、ハンバートやキャロル、谷崎が求めたような理念的かつ偶像的な少女であり、ゴスロリちゃんの求める、日本的な「ゴス」もまた、少女と同様のものである。

 ニンフェットであり、ファム・アンファンであり、「アリス」であり、「ナオミ」であっても、少女は少女である。同様に、ウォルポールやルイス、メアリ・シェリー、ポーの作品が登場せずとも、「ゴシック」あるいは「ゴス」として機能しうる。

 それらは、ギブスンが『ニューロマンサー』で描いたチバ・シティや、『あいどる』で描かれた電脳世界上に存在する九龍城のようなものであり、歴史や実証に基づいた事物とは異なった、極めて観念的かつヴァーチャルなものである。

 それらを認識することなく、彼/彼女らの文化や歴史に対する認識や実践が「にわか」染みたものだと批判するべきではない。彼/彼女らはブリコラージュによって再加工された、ありうべき理想世界に生きているのだから、「にわか」を批判するよりは、その世界に参画し、自信が「ありうべき世界」学ぶと共に、自らの脳髄に根付いてきた本格的ないしは実証的な世界に、住人たちの関心を向けるように努力すれば良いではないか。偉大なる旅行者であり、ソクラテスのように貪欲な哲学者であるガリヴァー氏の如く。

 ↑本日ムニャムニャしゃべったことの総括。
  1. 2009/07/27(月) 01:46:26|
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Lolita Lolita Lorita?

 あと何回「ロリィタ」とタイピングすれば良いのだろうか。先月は同じように、あと何回「アリス」とタイピングすれば良いのだろうかと書いていたde-ja-vu.

 そして、なんだか文章の締まりないんだよなあ。なによりも、何度もコメントが引用されるヒロオカ[Hirooka]さんの姓が出てこない。見落としたか? と、ずいぶん前に粗訳を済ませた、去年のJapan Timesに載った記事、Eric Talmadgeの“Tokyo's Lolita scene all about escapism”を、原稿に引用するために見直してたら、一段丸々(段落じゃなくて一段、短いセンテンスが9段落くらいい)見落としていたことに気づく。しかも、「h.NAOTOのナオト・ヒロオカは」とか、見落としていた部分に思いっきりかいてあるじゃん。

 さらに、ややこしい形容詞が氾濫しながらロリィタの外見[looks]について記述する部分だから、訳す際に面倒すぎて泣ける。例えば“frilly dresses and thick platform boots or Mary Jane flats ”とか、断片から何を指すか想像はできるけど、できるから辞書を引くのがだるく感じる。

 しかし、記事の冒頭“Growing up――forget it. Looking sexy, too. And apearing as though you might have a pulse? Better to glow blue like porcelain. Or to break out the lipstick.”(性熟――そんなことは眼中にないの。性的に見られることも同様。とはいえ、アンタを興奮させるような感じの姿で現れるかって? 磁器人形のように青く輝いてる方がマシ。黒い口紅を塗りたくった方がマシ。)っつう一節になんかしびれた――やはり、乙女だなと思うの、私。かなり意訳・誤訳は多いと思うが。

 そして神隠しにあってた、愛用の浴衣と帯が出てきた。よーし、今度はオジチャソが帯を締める番だ!
  1. 2009/07/22(水) 22:44:02|
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『ある夢想家の手帖から』に対する夢想から

 沼正三『ある夢想家の手帖から』(都市出版版、三巻組)の第三巻目がやっとこさ読み終わる。果たして今日の自称M男性諸氏が、これらを読んで被虐心に陶酔するだろうか。

 沼先生は、マゾヒストは夢想家であり、観念的であり、ロマンチストであるという。事実、沼正三という人物も、筆名の元ネタとされる在野の性科学者Ernst Sumpf氏と同様、イデアルな人である。

 JUNKさんは変態とか倒錯とか逸脱とか、そこら辺りをずっとウロウロしてたり、それらについて考察し、書いたりしてると、世間でいうSだのMだのという区分はどうだってよくなってくるんだよね。

 被虐趣味も加虐趣味もないが、そういった世界に対しては、好奇心に突き動かされた窃視症(スコプトフィリア)じみた関心があるんだよね。窃視し、実践し、参加してみたい。何故なら、加虐者にしろ、被虐者にせよ、私は彼らの目から見える世界を知らないからだ。

 世の中は不思議なことに満ち溢れている。ことに、世の中には聞いてもいないのにSだのドSだのと主張し、まるで自らの身体と精神は甲殻類のような固い殻で覆われているがのごときことを主張する男性には事欠かない。彼らが真に、そして誠実にサヂストであるというならば、彼らは家畜や玩具のように虐げられる雄の獣畜の哀れな姿を見ても、性的まではいかないでも、興奮をしなければいけないはずだ。マゾッホの描いたギリシア人の如く。

 ここでサヂスト男性を殻のある甲殻類に例えたのに対し、マゾヒスト女性を例えるには、「ぬかに釘」という、実に言い得て巧妙な諺があることを思い出す。マゾヒスト女性は釘(観念的、肉体的、などを問わず)を打たれようとも、ずぶずぶと、釘を打った瞬間になにがしかの手応えはあれど、ただ貪欲に反動を吸収し続ける存在であろう。これは真なる下降願望(ドミナの前において畜生や非人間、従僕になることを至上の喜びとする、犬派[舌による奉仕を重視]、馬派[跨がられ重視])を持つ観念的・実践的の両マゾヒズム男性にも当てはまる。

 では一方、ドミナ、いわばS女性はどうだろうか。彼女(Sie)ら[ドイツ語の“Sie”は代名詞の“she”と尊敬語を兼ねる]は柔らかい皮膚の下に、釘を撥ね付ける、男権・父権制の歴史に対する反発によって鍛え上げられてきた固い身を隠している。これは固い殻の下に柔らかい身隠す、表層的なサヂスト男性に比べ、なんとも凛々しく、女らしい(ここでは『家畜人ヤプー』に倣って「男らしい」と同様の意味を持つ)ことか。

 夢想家に感化された、窃視症的なソクラテスのごとき好奇心、あるいは病める思考は止むことなく、今日もまた、脳髄の中で奇妙な知彗と戯れることで、日常に氾濫するノイズによって喚起される厭世感や劣等感を中和させているのだろう。しかし、それもまた、何も知らない私にとっては、知ることのないものであるため、仮定形にせざるを得ない。

渉猟
西川英明『職業殺し屋。』2巻
美内すずえ『聖アリス帝国』(文庫版)
和田真二『スケバン刑事』1巻(文庫版)
小田晋『狂気の構造』



  1. 2009/07/21(火) 22:59:19|
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降臨

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 最近のお気に入りは『職業殺し屋。』。蟷螂カワイイ! セックス&ヴァイオレンスは日本マンガの十八番なり。つまりは豪ちゃんの『バイオレンスジャック』ですねわかります。飛鳥了と美樹ちゃんが人犬として出てくる場面の鬱具合といったらもう\(^O^)/。ジャックではエルドラド編が一番好きだな。

 んで、今日は母方家業の幼稚園のお泊まり保育を手伝い、深夜に帰宅したわけだが、ついに注文しておいた沼正三『ある夢想家の手帳から』全3巻函付きが届いた。

 現在手に入る普及版の『集成 ある夢想家の手帳から』上下巻は抄録だから、30年近く前の完全版(大概は2巻組ばかりで3巻セットは珍しい)が手にはいって、おお! 歓喜[Freude]。

 あとはブクオフで島田雅彦の『亡命旅行者は叫び呟く』だとか、実内すずえの作品集『人形の墓』とかを手に入れてきた。ついでに、ヤフオクでも文庫版『洗礼』全巻他、また楳図作品をワラワラと→本棚のスペース\(^O^)/圧迫されてオワル。
  1. 2009/07/19(日) 03:39:18|
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たまには早く寝ようと

 思ったんだが、気づけばこの時間とはなんぞや? きっと宇宙人にアブダクションされて、空白の時間が消去されたんだ。もしくは、きっと「しまっちゃうおじさん」がやってきて、何かしら都合の悪い記憶と、それに相当する時間を消し去ってしまったんだ、きっとそうに違いない!

 あともうひとつ、毎日が退屈だから、mixiにせよ2chにせよ、かなり人的交流や情報の流動性の大きなコミュニティで、何か「おもしろそう」なことがおきないかと期待するあまりに、素直に眠れないのかもしれない。

 家にいる際にPCに触るのは大概帰宅後の1時過ぎということもあるかもしれないけど。とりあえず、相変わらず購入予定リストとか、コピーする資料のリストとかを作ってた。何か不毛な時間を過したために、脳髄が記憶を消去してしまった、ある一定の時間を除いては。

天野哲夫,『我が汚辱の世界』
 ――『女帝ジャクリーンの降臨』
 ――『異色嗜的作家論』
『イメージの冒険(2)絵本』,
『イメージの冒険(4) 少女』
『イメージの冒険(5)神話』
『伊藤晴雨写真帳 責め絵の女』
リチャード・コールダー『デッド・ガールズ』
 ――『デッド・ボーイズ』
 ――『アルーア 蠱惑』
アラン・ブラウン『オードリー・ヘップバーンズ・ネック』

 あたりが、また買い物リストに追加された。全部セコハン。っつうか、新書じゃ手に入らないんだよ、こんな御時世。何かを書くためには、沢山の何かを蒐集して、読んで、昇華しなければならない。これ、創作者の鉄則。

 オーケンも何かのエッセイで書いていたさ。創造力を枯渇させないためには、常に引き出しを増やし続けなければイケナイと。そうしないと、お肉の塊かマタンゴになっちゃうよ!

  「あたしたちが笑ってあげれば、お兄さんたちはもう苦しまないんでしょ? 仕方なかったんでしょ? お仕事だったんでしょ? 運命だったんでしょ? 血と、肉と、死で彩られたお兄さんたちの毎日は、与えられた運命だったんでしょ?あたしたちが笑えば、もう気にすることはないんでしょ?笑うよ、笑うよ、あたしたちはニコニコと笑うよ。だからさ、気にしなくていいよ。全部、全部、許してあげるよ。」(大槻ケンヂ,『ステーシー』[単行本版],127頁)と言われなければ、このsomething to hotから逃れられない世界に、ワレワレは生きているのだという妄想から逃れるためには、この熱帯夜から逃れて、何も考えず、素直に俗っぽく笑っていられる世界にクロス・ザ・ラインできれば、どんなに幸せであったかのかもしれないとね・・・。

 そんな時に、イヤホンから流れるのは、青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」ですね、わかります。シュドゥビィドゥ゛ィドゥヴァと。とりあえず、寝る・・・。しかし、なにか、こう、なにか、こう、なにか、こう・・・・・・何がしかを書き留めておかなければイケナイと思わせる、この脳髄の中にある何かが笑っている限り→「ワラッテル、ミテロヨ」/「キノセイサ、ワラエヨ」の世界からエグザイルしてディアスポラできないんだろうなぁ。

 人は麿のことをスキゾというか、あるいは朕のことをパラノというか・・・・・・? まぁ、もう21世紀なんだから、人類の進歩と調和だとか、冷戦時代の夢物語なんか捨てて、破滅に向かってゴーゴーにダンスを踊ってりゃあ、少しはこの世界が厭になるってもんさ・・・・・・。

 気分的に思弁小説(現に、メタフィクションな思弁的少女小説を、ライフワーク気味に書いているが)になってきたゾ。「21世紀の弘法も筆の誤り者」って感じ。キング・クリムゾン的な意味で。

そして、明日起きた時にこういうだろう。「こんな、日記書いた覚えがねえよ!!!」と。
  1. 2009/07/15(水) 03:45:06|
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Gloomy Sunday

 昨日は割と涼しくて快適であったのに、今日は蒸し暑い。こう暑いと鬱になるよ。年中肌寒い国に生きたい。泥酔すれば、たぶん南方気質なんだけど、創作に励む際と普段は絶対に北方気質だな、JUNKさん。こう暑いと、夕方から夜のヨコハマの波止場に行きたい。

 やや日が暮れた頃、若鶏の焼き肉喰いながら、片手でビール瓶持って、カイザーヴィルヘルム教会の近くの通りを歩いたり、フュアクルステンダム駅の近くにあるトルコ人街を、やっぱりビール瓶片手にフラフラしながらアパートに戻る道を散策していた短期間のドイツ滞在の生活が、実に馴染みすぎて困った。

 日本の夏なんぞ、ビールが美味いことと、街で、電車で、女の薄着が見れる程度の良さしかない。自分自身は薄着になるのは好きじゃないのにね。でも、薄着を視姦したところで、雌の肌に対する俗っぽい反射的興奮以外のものは何もない。

 重力に逆らったて飛びたったロケットは、燃料がなくなれば空虚や鬱に向かって落ちるのみ。人間の人生って、なんだか性的興奮にも似たロケットと同じようなものだよね。今年の誕生日は、オスカー・ワイルドを意識して26歳のJUNKさんのために喪に服すかな。そして、薄着から感じるものは、夏の雰囲気は嫌いだというアンチテーゼでしかない

 そんな調子で暗い日曜日。昨日と同じドトールの同じ席で、ざざっと野ばらちゃんの『それいぬ』を読んだ後、昨日に続いてトマス・ピンチョンの『重力の虹』を読んでた。なんだか、2部から3部にかけて、手が止まらない勢いで困った。第1巻も残すところ数十頁です。たぶん、『重力の虹』だけで3時間半近く読んでたよ・・・・・・もはやビョーキ。

 「読む」という行為は、献本や書評の依頼が絡んでいなきゃ、一銭の金にもなりゃしない。しかし、金になる可能性を秘めた書くという行為は、時と場合と名声に応じては金になる。しかし、書くという行為の精度を高めるためには、読むという無償の行為に従事しなければならない。結局、このワーカー・ホリック状態から抜け出せないっつうことだ。

 一銭の金にもならないが、ある窮屈な世界において、ある種の名刺代わりになるような書き物を幾つか進めているワケで、「はいはい、暗い日曜日」とか言ってないで、とっとと進めなければならないと。


淡谷のり子「暗い日曜日」


Gloomy Sunday(原曲)×サイレント映画版『不思議の国のアリス』(1903)


テルミンによるgloomy Sundayと『アリス』(1903)のフルバージョン(8分)


青江三奈「伊勢佐木町ブルース」







  1. 2009/07/12(日) 19:26:57|
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ぱふぱふ

 トマス・ピンチョンの『重力の虹』を読み始める。木曜に酔っぱらった翁から「超へヴィだぜ~www」と洗礼のアドバイスを受けるが確かに読みづらい。しかもクソ分厚いのが2巻組とか、上巻だけで2段組491頁とか、新手の苦行だよね。

 容赦無く視点が入れ替わり、難解な文体が氾濫する群像劇だが、バロウズとギブスン、ついでにバロウズにドゥルーズ辺りで悪知恵をつけておけば、多少は速度に振り回されずに済むような感じがする。しかし裏表紙の作品説明だよ。

 「航空力学、パブロフ派心理学、映画、マンダラ、ゲルマン神話、コミック、SM、経済学、超能力、革命、ドラッグ、タロット、ロマンス、ポルノ、植民地、スパイ、闇市、降礼術・・・あらゆる知識、あらゆる断片、あらゆるアイデアとガラクタをかきあつめ、あらゆる境界線を破壊するパラノイア的想像力が生み出した」なんて書いてあるんだが、断片の並び方の一部が、非常に他人事とは思えないんだよね、極めて僭越ながら。

 いつもの蒲田東口ドトールの窓際の席で、ロバート・N・プロクターの『健康帝国ナチス』を7割り方読んだ後、読み始めたんだけど、読みづらいが面白い。

 んで明日は都議会選ですな。ドトールの窓が駅前ロータリーを見下ろせるんで、街頭演説会の様子もよく見えるんだけど、やたら群衆が集まっていて、なんだか熱狂的な群衆も多くて、ヒトラーの演説の雰囲気って(眼前のは規模は小さいが)途方もない規模で、あんな群衆がいたんだろうなあとか思う。

 いやしかし、ドトール入る時、某政党の候補者が選挙カーとか使わずに路上演説してたのと比べると、段違いに群衆が集まって熱狂してるなあ、とか感心しんしてたら、公明党だったという罠。

 おけwww把握したwwww
  1. 2009/07/11(土) 23:28:32|
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仙台メイドさんシーシーズ

 朝まで飲んでた。朝方、新宿方面に向かう小田急に乗ったのに、なぜか反対方面の本厚木で乗ってた電車が回送になるんで起こされて降車。寝てたらしい。

 降りたらメガネがないことに気づき、回送電車が発車した直後、駅員さんにメガネを忘れた旨を(酒臭く)伝えたら、「頭にかかってますよ(プゲラ)」と言われて、頭触ったら、サングラスのようにメガネが装着されていたという罠。

 ススムちゃん大ショック\(^O^)/ハズカチィ。

 あとは電車とバスで寝まくって、蒲田―五反田間を3往復くらいした(帰宅して寝床についたら夕方からの労働に寝坊しそうと踏んだ)。つまり、蒲田発の電車で寝る→五反田からまた蒲田に折り返しの電車で寝る、蒲田で降りてまた電車に乗ると。極めて哲学的な漂流だな。

 夕方は体調・脳髄 絶不調で、労働先に移動するまで『新・子連れ狼』を読み漁るくらいだったけど、夜になったらだいぶノってきて、若島正の『ロリータ、ロリータ、ロリータ』を読み終えるくらいには回復した。後半は風呂入りながら一気読みですばい。

 次は井上章一の『狂気と王権』あたりかしら。積読、依然として減らず。
  1. 2009/07/10(金) 23:43:07|
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駄日

 カントAIとかヘーゲルAI、ついでにニーチェAIのCPUが対戦するボンバーマンの夢を見た。なにがどうカントだったりヘーゲルなのか、さっぱりワカラナイけど

 爆
壁○壁
 壁

○=CPU×4

 の状態でドローゲームwwwオワタ\(^O^)/な状況に大爆笑する、という夢を見てうなされて、ついでに朝方に雨降りやがって寝坊した。

 駅に行く道すがら、ライターを忘れたことに気づいて、伸びまくりな襟足を結ぶヘアゴムを忘れたことにも気づく。さらに出向先の最寄り駅に着いた時に、俺の脳髄の生命線であるライブラリーカードを忘れたことに気づく/(^O^)\先週も忘れたんだよ。

 ついでに鞄の中には既読書ばかりなうえ、いまいち読み進める気にならない(開けば読むワケだが)洋書が一冊。しかし家にはブンガク中心に積読の山が/(^O^)\。

 家出る時は晴れてたから、傘持たないで出てきたら出向先から駅に戻る道が雨だし。しかも晴雨/(^O^)\。町田着いたら雨上がったけど。

 あ、でも久々に町田ブクオフという名の狩り場にきたら、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』と巽孝之『サイバーパンク・アメリカ』が転がってたんで火急的速やかに救出してきた→また新しい蔵書が増えました→また蔵書スペースが減る/(^O^)\→そして読みかけてる洋書、巽さんのFull Metal Apacheがしばらく放置されるワケですね、わかります。

 なんていうかダメダメですね。人生をイージーモードでやり直したい/(^O^)\。それはそうと、8月は飲み会しようぜ。屋形船とかで。浴衣ですねわかります。

 ドクロ柄と帯が行方不明のまま見つからないから、買い直さなきゃな。しかし着流しfeat袴な書生服もほしいんだ。ついでに沼正三についての原稿書く関係で、飯田橋の風俗資料館の会員にもならねばいかんし→働いても働いても我が暮らし云々/(^O^)\。
  1. 2009/07/08(水) 15:39:09|
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Hot too hot to hot hot hot hot

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 最近つけ麺も熱い。さすがに、こう熱い時期に昼にラーメンとかかなり修行プレイなんで、最近つけ麺を良く食べる。どっか良い名店でも行きたいね。

 今日は日高屋で塩つけ麺を食べたけど、昔近所にあった中華料理やの名物、冷湯麺(リャンタンメン)にかなり近い味付けで、ド坪過ぎた。しかし暑すぎてやる気がでない。

 七夕? Fxck off! って感じだよ(´・ω・)y-~~ こないだ天文学と占星術に関する本を読んでて、七夕にまつわる蘊蓄(元の実は7月7日ではないとか、織女星と牽牛星の話とか)があったんだけど、ド忘れした。雨が止んだと思ったら熱すぎるしね。

 して、去年は冷房なしで過ごしたが今年はついに扇風機が投入された。昼間に部屋掃除したり、蔵書整理したり、ついでに楽器弾こうとするなら、扇風機がないとマジ無理(´・ω・`)。

 今日は野ばらちゃんの『エミリー』(文庫版)とコリン・ウィルソンの『アウトサイダー』、ついでに相変わらず読みかけなFull Metal Apacheを鞄に詰めて町へ降ってます。
  1. 2009/07/07(火) 17:03:36|
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続・ちょっとピンぼけ

 芥川が宇宙やばい!(今さらか)。昨日の深夜に電気ブランを煽りながら「河童」を7割り方読んで、ナンだかずいぶんト、スウィフトの『ガリバァ』めいた話だなあと、云々。

 今日ドトールで読み終わって、「いやあ、やっぱり『ガリバァ』だなあ。むしろ夢野久作でもある。ハハハ! これだからキチ○イものはやめられない。

 そのまま「或阿呆の一生」に突き進む→「彼は彼自身彼の病原を承知していた。それは彼自身を恥じると共に彼等を恐れる心もちだった。彼等を、――彼の軽蔑していた社会を!」。(´・ω・`)あの阿呆、無茶しやがって。

 坂手さんの『天皇と接吻』って感じだよ。『天皇と接吻』というタイトルを見た際、素晴らしくキッチュで冒涜的なタイトルに勃起した。でも、今読んでる巽さんの『Full Metal Apache』では「Yoji Sakate's Tenno to Seppun(The Emperor and the Kiss)」だった。

 「と」をさ、「the kissing with the Emperor」と、ちょっとピンぼけに解釈して、キャンプ具合にひとり興奮していた俺ガイル(´・ω・`)。はいはい、孤独地獄孤独地獄。
  1. 2009/07/04(土) 18:57:57|
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マーガレッド・ワイルド(文)/ロン・ブルックス(絵)『ぶたばぁちゃん』

 『ぶたばあちゃん』[OLD PIG]、この本は死、あるいは臨床をテーマにした物語で、死を予期した「ぶたばあちゃん」と、ばあちゃんの覚悟を段々と、ひっそりと受け入れ、それと向き合う孫娘の日常を描いた本です。

 「死」というテーマは、19世紀後半~20世紀初頭のイギリス児童文学が足を踏み入れることの出来なかった領域(キャロルの『アリス』2作、バリーの『ピーターパン』、ミルンの『くまのプーさん』と『プー横町にたった家』など)では、子供から大人へと成長すること、もしくは成長を拒むことなどが、重要なテーマとなってきましたが、『ぶたばあちゃん』では、かつて子供だった彼ら/彼女たちが、大人になり、年を老いた後に待ち受ける、決して目をつむることのできないゴール(あるいは再出発点)がテーマになっています。

 本書は一応、児童書や絵本というかたちになってはいますが、体調を崩して寝込んでいた「ばあちゃん」が町へ出かけた際に行った、事務的な処理の数々は、やたらと生活感に溢れていて、本書のたいていの読者になるであろう児童層には、少し遠い感じがするかもしれません。次に、一例を引用してみましょう。


 「ぶたばあちゃんは、かりてた本を図書館にかえし、もう次のぶんは、かりませんでした。銀行にいって、お金をぜんぶひきだし、口座をとじました。/うちにもどると、ばあちゃんは、のこったお金を孫むすめのさいふにしまって、『だいじにして、かしこくつかうのよ』といいしまた。」


 なによりぼくの心を強く打ったのは、「かりてた本を図書館にかえし、もう次のぶんは、かりませんでした。」という一節です。職業柄、ぼくは図書館との蜜月を絶つことができない性分でして、借りている本を返しにいく道すがら、いつも「今日は何を借りようか」ということを、携帯のメールにメモ代わりに記しておいた書名のメモや、「必読文献リスト」と名うった印刷物や、脳髄に記憶する限りの気になった本を、図書館の端末で検索し、借りて帰ろうということを考えています。

 もし自分が、ばあちゃんのように「かりてた本を図書館にかえし、もう次のぶんはかりませんでした。」というような状況になった際、「死ぬこと」を遠回しに伝えたり、直接的に伝えるのではなく、たくさんの<大切なこと>を、色んな形で伝える、ばあちゃんのような振る舞いを、孫でなくとも、子供に対して、できたら良いな・・・・・・と思わせられました。


 「『さて、それでは』ぶたばあちゃんがいいました。『ごちそうにしようかね』/食欲がでてきたの?」とつぜんの希望にみちて、孫むすめがききました。/『食べものが、食べたいわけじゃないんだよ』ばあちゃんがいいました。/『わたしは、町をゆっくり散歩したいのさ。そして、木々や花々や空や、なにもかもを見て、目に、うんとごちそうしてやりたいんだよ』」。


 本書の原版、OLD PIGは、1995年に出版され、邦訳も同年の9月に発刊され、以後14年もの間(2009年現在)版を重ね続け、ぼくが今回の献本で頂いたものは、第17刷です。文を書いた人は、マーガレット・ワイルド(ふたりの子どもたちと一緒にシドニーに在住)、絵を描いた人はロン・ブルックス(妻とさんにんの子どもたちと、タスマニアに在住)と、本書カバーの著者・挿絵画家紹介には記されています。

 ワイルドは南アフリカの生まれで、1972年にオーストラリアに移住。ジャーナリストや児童書の編集者などを経て、現在ではオーストラリアを代表する児童作家として知られている人物で、『ティモシーとおじいちゃん』(1981, 偕成社)では、文だけでなく、挿絵も手がけています。そしてブルックスは数多くの児童書の挿絵を手がけており、ワイルドとの共作としては、『キツネ』(2001, BL出版)があります。

 ぼくは、日本では、諸外国にくらべ、古典的な児童文学にスポットライトがあたることが少ないような気がします。アリスにせよ、ピーターパンにせよ、プーさんにせよ、ディズニー映画や、昔に読んだ、ソフトな感じに簡略化された絵本の印象のある人がいたに、ぜひとも、キャロルの『不思議の国のアリス』/『鏡の国のアリス』、バリーの『ピーターパン』、ミルンの『クマのプーさん』/『プー横町にたった家』を読んでいただきたい。

 皆さんがそれらの作品を読んだ際、はたして、それらが「子ども向けに過ぎない」と、簡単に断言できないような印象を持つ可能性は、極めて高いと、ぼくは思っています(注文を付け加えれば、ケネス・グレアムの『たのしい川べ』も、なるだけ岩波書店の大判のもので読んでいただきたい!)。

 本書も、前述した作品群と同じように、子ども向けだからと、大人になった人たちが、素直に(本当に素直に!)拒否し、自身で頁をめくらずに、もしくは子どもの前で読み聞かせるために頁をめくってみるということに留まるべき/留めてしまうべき作品ではありません。もっとも、いくつかの名をあげた(ぼくが大きな感銘を受けてきた作品でもあります)19世紀~20世紀にかけての、英国の珠玉のメルヒェンは、児童文学ということもあり、『ぶたばあちゃん』とは比較にならないくらいの文量がありますが、それらの作品では、『ぶたばあちゃん』と比較にならない文量をもってしても踏み込めない領域がありました。それは、本稿の冒頭部分で述べてきた通りのことです。

 この拙い書評で、少しでも『ぶたばあちゃん』や、作者と挿絵画家、そしてキャラや内容はディズニー通じて良く知っているけれど、オリジナル版を読んだことのないという人は、ぜひとも、『ぶたばあちゃん』と共に、それらの作品を(たぶん、英国児童文学方は、大抵のものは町の図書館にもあると思うので)読んでいただきたいと思います。

 この書評を読んでくだっている方の多くは、まだかろうじて、「ぶたばあちゃんは、かりてた本を図書館にかえし、もう次のぶんは、かりませんでした。」とい状況にはならないと思いますし。「次のぶんをかりる」余裕があるうちに、たくさんの本を、たくさんの絵本を、「子ども向けだから」とか、「児童文学だから」とか、不必要な色眼鏡をつけずに、たくさんのものに触れてみてください。

 名をあげてきた児童文学作品を読む前に、まず『ぶたばあちゃん』を読んでみてください(ぼくは、逆のかたちで『ぶたばあちゃん』を読んだので)。それらの作品を読んだ後、(できれば、ジャッキー・ヴォルシュレガーの『不思議の国を作る』も読んでおいて頂きたい)、再び『ぶたばあちゃん』を読んだ後、何か心に残る物があったなら、この書評を見返して貰えれば、あなたとぼくの間に、何かしらの共感が生まれるかもしれません。
[マーガレッド・ワイルド(文)/ロン・ブルックス(絵)『ぶたばぁちゃん』]の続きを読む
  1. 2009/07/04(土) 03:02:13|
  2. 書評〔本が好き!による献本〕
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Regen

20090703231114
 雨がうざすぎてやる気が萎える。とりあえず珍しくAERA ENGLISHを買った。あとは夢で浴衣を見た。そういや、もう時期ですな。駅ビルで浴衣フェアなるもんをやってたし。

 そして、最近、会うひと会うひとに熱弁してる、俺がトリップしてる際に下記連ねていたスペース・ナンセンス格言「キミとエレベーター、どっちがシリアスかな?」を生徒(中3・♂)に教えたらバカウケした。リアルにナウなヤングにだヨ!

 そしたら授業終わり早々、友人(同じく中3・♂で俺が月曜に授業を受け持ってる)に、格言をメールしはじめてワロス。

 んで浴衣ね。帰宅後、蔵書を整理しがてら浴衣を探してたんだが、草履と最初に買った安物なセット浴衣は出てきたんだが、お気に入りのドクロ柄の浴衣と帯が行方不明/(^O^)\。

 買ったのは2年前だしなあ、男帯もスペア欲しいし、ちゃんとした襦袢も欲しいし、新しく浴衣買うかなあ。もちろん変わり柄の。あと、書生然とした着流しが欲しい。

 この夏は大正モダァンがモノスンゴいスペースクール。書生姿の際はモチロン、書物とタロットは忘れずに。
  1. 2009/07/03(金) 23:11:16|
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JUNK

Author:JUNK
 いわゆるトコ、侍魂以降のテキスト系サイトとして惰性してから早4年(2005年当時)。日記部のみblogに移行しました。それまでの素性とか、堆積物は「サイト」の方を参照で。現在の方は「mixi」とか。

 飲んだ暮れ。夢想家。澁澤シンパとみせかけて種村派。専攻は一応、文化社会学とか言いたいんだけど、実際の専門的らしい専門はない(と思う)。

『家畜人ヤプー』、沼正三、女性のサディズムと父権制におけるマゾヒズム、少女のエロティシズム、アリスイメージの消費、ロリヰタファッション、ヘヴィメタル、サタニズム、オカルト、タロット、少女小説、テクスト論、表層的SM批判、ジェンダー論、クィアスタディーズ、なんかよくわかんないけど色々。

 文化批評系よろず同人誌「Kultur Trieb」主宰。執筆者、購読者募集中。HPとかはまだ作ってないので、詳しくはmixi内のコミュを参照。

「Kluture Trieb」(mixiコミュ)


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