
昼に時間が空いたので読みかけていた手塚治虫の『アドルフに告ぐ』を一気に読む。『奇子』もそうなんだけど、聖典、『火の鳥』『ブラックジャク』辺りの周縁にある手塚作品にはやたら萌えキャラや燃えるモチーフがあるから困る。ピノコの例が良く出されながら、手塚が萌えの極北を開いたっつう話があるが、あの辺りは大正文学がとうにやってるんだよな。
とはいえ、『アドルフに告ぐ』あかりさまなエディプス・コンプレックスや欲望の三角形、ついでに男女双方のホモソーシャルがあるからニヤニヤしすぎて困り。なによりココロが勃起したのはクライマックスの「アドルフに告ぐ」の張り紙な。日本的心性としては、張り紙を貼った方のアドルフの孤独な戦いに感情移入してしまう。たぶんアメリカ人的感性だと、父を殺され、妻を汚された復習者のアドルフに感情移入し、復習が果たされたことを称賛すると思う。『ロボコップ』なんかがイイ例。
んで、なんていうかドイツなんだ。すべからくドイチュラント。なんでこんなにドイツが好きなんだろうとか考えると(ほぼ常時的に近代・中世を問わずドイツに関わる本を読み続けているワケで)、極めて不可解な感じがある。
ドイツの何が好きかっつうと、愚直さ、固さ、形式偏重、いわばスペクタクル。まとめればオタク的感性。ドイツ語、一切合切のイデオロギーを排除したナチスの装い、その他諸々が無骨でカッコヨイんだよな。この辺り、ドイツに対する敵対心を知らずに育てられた日本人のアキレス腱。ドイツといってもバイエンルではなく旧プロイセン&北ドイツ的感性。
その意味も、社会的機能も一切合切無視して、美学的にハーケンクロイツやSAの髑髏章、ついでにナチのコートやブーツ、1次大戦時の兵装、「ツェッペリン」や「ブリッツクリーク」という言葉の持つ音韻的な響きのカッコヨサにやられてきた身としては、極めて平野耕太的な1次大戦時の兵士を描いたポスターに(写真)に目頭を熱くさせずにはいられない。
イギリスの気取りは嫌い、フランスの軽やかさやファッション的権威性(とそれをバカのひとつ覚えに盲信する日本の分大衆)には吐き気を催し、イタリア的な楽天性には馴染めないし、大衆を反面教師にし続けていることもあるが、アメリカは受け入れ難い(人や一部文化は好きだが、アメリカの御真影を崇拝する連中には反吐がでる)。どどのつまりはドイツなんだな。極めてオタク的な感性に基づく親和性だが。
『ヘルシング』の少佐の演説の熱っぽさと、エルンスト・ユンガーが描き出してきた塹壕戦の官能性が結びつけられることがほとんどない辺り、動物化だよなとか思うけど、身辺落ち着いたら来年辺りKluture Triebに何か書くよ。
で、やはりドイツだ。周知のように、JUNKさんは北ドイツや北欧(デンマークよりも圧倒的にノルウェー)の陰鬱さに傾倒しているか、リアルな姿を知ってる人に似たような話をしたら、「寒いトコロ、ヨーロッパ北部的な感性が強いと確信してたけど、やはりね」とか言われたな。
おお! 総統! 歩けます!
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- 2008/12/04(木) 01:19:11|
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