私用で久々に秋葉。ちょうど一昨日、麻生太郎が秋葉で演説するというのを知ってワクテカが二倍増し。まあ、太郎は太郎。前に秋葉行った際、極めてガジェットな広告(図参)を見たのだけど、その広告らしいガジェットな演説だった。
秋葉着が16時50分頃。演説自体は30分位から始まったみたいで終わりの辺りしか聞いていないが、大衆文化にすり寄ったキモチワルいナショナリズムと、日本に対する独善的な賛美しかなかった。
文化産業の面から見れば、首相が率先してコンテンツの育成や輸出に力を入れることはヨロシイ。日本の優れた文化産業については、恥の文化の変奏か、海外から賞賛されない限りはその優れた魅力を積極的に賛美しようとしない面(とはいえ、萌えやオタク文化を健全に賛美しては、文化の持つ猥雑さや耽美、そして背徳さが霧散してしまう可能性がある)があり、そこにテコを入れるのはよろしい。
問題は、麻生の巻く餌には無邪気なナショナリズムが含まれており、口をパクパクさせて餌を待つ鯉の如く、麻生を無邪気に支持する大衆が、麻生の毒が回ってることに気づかぬまま、無邪気な賛美を繰り返し続けると、なんらかのきっかけがあると極右に行きかねない気ガスる。
演説では、日本に対する称賛にのみ(腐りきったこの社会をどう是正するかの話にではなく)拍手が巻き起こるという調子。最後の太郎コールにもなにやら薄ら寒いものを感じた。ほぼお祭り気分だろうけど。んで、麻生はアレだ、文化振興の御輿でしかなく、今の日本は祭りの真っ最中なんだと思う。文化産業は活発になれど、政治自体は全く変わらないと思うし、麻生が変えられるという気は、今日の演説を聞いた限りでは微塵も起きなかった。
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2008/10/27(月) 04:35:46 |
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昨日の話だけど、お灸を据えられてきました。鍼と共に。再診療含めた代金で、前に渋谷のサブカル古本屋フライングブックスで見かけて買うのをためらった(週末に人体の不思議展に行って、数年前有楽町でやった時に行った際に買い逃した図版を買うため)、『エンサイクロペディア・アナトミア』つうオールカラーの図版集が買って200円の釣りがくる金額が逝った
。
件の本、主要な解説が英語で、蝋人形による精巧な人体解体図版の解説に英仏独の平気が施されたゴキゲンな逸品。そして、来月まで店な残ってたら誕生日プレゼントとして買って貰えることが決まって、おお! 歓喜!〔フロイデ〕。
久々の鍼灸で身体がかなり軽くなったですよ。そしていつも晩飯兼晩酌する店で3時間近く本を読んでたことに気づく。昨夜はヒトコマ早く終わったバイトの後に、何かあるかもと感じて向かった川崎ブクオフでの渉猟は下記。
大塚英志『キャラクター小説の作り方』
鵜澤希伊子『続・素顔のフィンランド抄』
佐高信(編)『会社の民俗(現代の世相2)』
佐藤健志『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』
昨夜は大塚を一気に読んだ勢いで佐藤のを9割読む。問題は後者で、「宇宙戦艦ヤマト」、「ゴジラ」(初代から平成版キングキドラまで)、「ウルトラマン」&「ウルトラセブン」、「風の谷のナウシカ」、「おもひでぽろぽろ」、そして「紅い眼鏡」&「犬狼伝説」&「ケルベロス」を扱い、日本の戦後民主主義の甘えや怠慢を炙り出すとかね、掘り出し物にもほどがある。
1992年のヤツだから、特に押井守関連のは押井が「マモル・オシイ」になる以前の話なので、ギラギラした犬時代(なんか今のオシイは猫な感じがするのだが)「オシイ」の色眼鏡抜きに論じてあり、もうボッキモンですよ。
そしてねー、ゴジラVSキングキドラねー。VSビオランテから欠かさず劇場に通ってたから、作品の中に無自覚に込められていた政治的な甘えだとか、排他的な民族主義とかに気づかずに楽しんでいた小学校低学年の頃を懐かしく思う。平成ゴジラの敵として未来人を使ってしまった以上、敵はもう宇宙人くらいしか無いようなことが前書に書いてあったが、スペースゴジラでやっちまったからなあ、それで日本を舞台にして、敵としてねゴジラを作るための根拠が完全に無くなってしまったんだろうなとか、もう長らくその名を見なくなったゴジラ映画のことを追憶する。
今の若い子ってゴジラを知ってるのかなと、ふと思う。とりあえず今日受け持ちの中学生に聞いてみるかしらん。そして、低学年で見た「VSキングキドラ」ね、子供心に「さすがにメカ・キングキドラとかねーよwww」とか思たね。
2008/10/22(水) 13:42:05 |
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風邪が流行っているもようで、JUNKさんも先週くらいから鼻風邪が治らず、高度経済成長的に長引き中。今日はスタジオだったがボーカル&ドラムは体調不良でダウン。ベースは風邪が多少回復しつつも、咳こみ気味。ギター(俺)は鼻風邪という具合で、症状の軽い2人でセコセコとスタジオ。
あと、また「オトナ帝国の逆襲」を観た。たぶん、人生で一番観てる映画かもしれん。次点は「ブレードランナー」と「アイデン&ティティ」と「ジャッカス・ザ・ムービー」。「オトナ~」は観るたび観るたび、泣き所が変わるから困る。しかし、最後ね「おかえり~、とうちゃん、かあちゃん」から、とどめのED「元気でいてね」は鬼畜の業だよな、
今回の視聴では、しんちゃんの「コンビニに行けば何か食べるモノがあるゾ」という科白が、やたら怖く感じてしまうと同時に、「ビューティフルドリーマー」におけるコンビニの薄気味悪さを思い出す。
サトーココノカドーの食費品売場でも、パン屋さんやお肉屋さんでもなく、コンビニなんだよな。そこに気づいてしまうと、イェスタデイ・ワンスモアのユートピアを求めるような姿勢に対して、否応なしの共感を覚えてしまう。
消費社会論や、コンビニについて語る際のクリシェ、ケイコさんのいなり寿司についての記憶はないが、コンビニの深夜営業やテレビの深夜放送が過渡期の頃(都内にホットスパーがあったり、まだサンチェーンがあった頃)に幼少期を過ごしたせいか、しんちゃんの科白に若干の違和を覚えるのだが、劇中の、懐かしい夕日のある、かつてはどこにでも町並みに既視感を感じない世代は、子供たちが即座にコンビニを目指すことに違和を感じないのだろうなと思う。
とりあえずだな、「ゾンビ」、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」、「クレヨンしんちゃん モーレツ! オトナ帝国の逆襲」の3本を観なければいけない。モノ余りの時代や、現代日本を考えるのはその後だ。
2008/10/20(月) 00:32:26 |
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バイト前に今日リニューアル開店な町田のブクオフに狩りにいってきた。平日の昼間なわりに、鬼畜的な混み方でワロタ。
(´∀`)平日の昼間からブくオフとか、おまいらも暇な(以下略)
以前は地上3階、地下一階だったのを駅ビルのワンフロアに圧縮したから規模が小さくなったかと思えば、棚と棚の間の空間まで圧縮したので、品揃えは悪くない。ただし、通路が狭すぎてピーク時には落ち着いて狩猟ができない。渋谷に近い感じ。書籍しか見なかったからマンガとCDの品揃えは不明。
セールがあると期待していったが、特にセールやイベント告知はないが、初期在庫の豊富さと補充の早さに、俺、フロイデ[歓喜]。別の棚を見てたら、狩りを終えたはずの棚に掘り出し物が増えてるということが繰り返し起こる。結局、昨日も綱島のブクオフで3冊くらい買ったのに、今日は15冊くらい買い込んだ。以下渉猟。
大畑晃一『世界トホホ映画劇場』
寺山修司『死者の書』
小阪修平『はじめて読む現代思想2』
斎藤貴男『安心のファシズム 支配されたがる人びと』
安達忠夫『ミヒャエル・エンデ』
赤瀬川源平『超芸術トマソン』
プリーモ・レヴィ『』アウシュヴィッツは終わらない
養老孟子『身体の文学論』
上野千鶴子『発情装置』
ジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』
中沢新一『幸福の無数の断片』
澁澤龍彦『黄金時代』
澁澤龍彦『妖人奇人館森川喜一郎『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』
津田幸男(編著)『英語支配への異論』
全部105円とかうめええwwwこれでも持ち帰りの荷物具合や懐と相談してかなり厳選したんだが、また近日中に10数冊買い込んでそうで怖い。今度、旅行鞄をガラガラ転がしながら、半日かけて町田、十日市場、中山、鴨居、綱島、加えて自由が辺りを巡礼する、定期圏内プラスαなブクオフ渉猟祭でもやるかな。予算決めて。
2008/10/10(金) 22:33:50 |
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最近読んだものと読みかけ中のもの。矢川澄子訳の『鏡の国のアリス』。ドゥルーズ・ガタリ『アンチ・オイディプス』。浅田彰『逃走論』。井田博『日本プラモデル興亡史』。J.G.バラード『クラッシュ』。浅羽通明『天使の王国』。大熊一夫『新・ルポ精神病棟』。あとなんか沢山、名も覚えていないような書物を浪費。ここ暫くはいつもブックオフに無目的な渉猟だったんだけど、久々に本屋にいったりすると棚を全部買い占めたい気持ちになってやばいね。
朝は近所の騒音にうなされながら、何か精神的に追いつめられた感じに起床。『アンチオイデスプス』の読解にかなり手こずっているので、副読本にと浅田彰が欲しくなってターミナル駅の大型本屋に赴くも、『構造と力』の文庫版が出ていないので、ジリ貧の俺涙目。とりあえずちくまの文庫版が出てる『逃走論』を買ってきた。蒲田のラーメン大とか、電車での移動中とか、いつもの店で酒飲みながら読んでて、初読オヨビ線引きは完了。今後、『アンチオイディプス』と付き合わせながら読むということを考えると、堂々目眩。まぁ、「そういうものだ[So it goes]」。
とりあえず、ラーメン大の後はドトールでうだうだしてバイト。授業あいまに翻訳作業とか、読書とか色々。速度的に過ぎ去っていく一日。「そういうものだ[So it goes]」。いつもの店でうだうだとホッピー飲んでて、『逃亡論』の初読が終わったので、昨日、ハンプティ・ダンプティが出てくる直前まで読んでいた『鏡の国のアリス』の続きを読んだ後に読了。
JUNKさん的には、不思議の国より鏡の国の方が好きなワケなんだが。特に、巻頭と終末に掲げられている、アリスに捧げる詩だとか、ジャヴァウォックに関する詩などはゾクゾクくる。なんていうかね、アリスはあれだ、純粋培養された寺山修司の修辞的な少年少女のための云々って感じなんだけど、鏡の国の方は、中年童話って感じ。アリスのみに関心のある人たちは不思議の国だけ読んでおけばよろしい。
少女の残酷性だとか、「思春期」という歪められた邦題によって、本来その作品が持つ価値を存分に乏しめられたムンクの「初潮」(原題に忠実な邦訳)にゾクゾクするものを感じたり、ディックの『電気羊は~』で、レプリ女がムンクの「初潮」に関心を示した場面に、脳髄を働かせながら論じたがる連中は、鏡の国の巻頭詩だけで読んでおかなければ(絶対的運命黙示録的に矢川澄子の訳が望ましい)、「ソフマップを知らないヤツはモグリだぜ!」的なモグリなんだぜ。
2008/10/08(水) 02:43:06 |
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