fc2ブログ

続・JUNK屋日誌

blogへのテラ・フォーミング(2005/12/17)。遂に時代の流れには逆らえづ、本サイトの日記のみをblogへ移行。

瘋癲言語攪乱近記

 最近は日本語教育のオベンキョ実行中。日本語を外国語のように把握・理解する営みの何とも愉快なことよ! あくまでも「教育」が前提であるため、日本語は日本語で教えるのが良い――日本語クラスを想定した場合、生徒全員が英語を母語と、もしくはアルファベート圏に属する言語を母語にしているとは限らないため――という感じの記述を読む。Ich auf!

 とはいえ、日本語よりも英語をまじめにやれ!  神様にお祈りは? ドイツ語はどうした! 使い魔をだせ! ノルウェー語はまだか!? 霧に姿を変えろ! 部屋の隅でガタガタ震えて命乞いをする準備は OK? ハリーハリーハリー! というお叱りの声が各所から聞こえてきそうな状況にある最近。

 ムキー! 言語学習は複数言語を同時に学習した方が効果的なんですぅ! 日本語を外国人に教えるには、相手の母語(繰り返すが、<外国人だからといって英語>とは限らない)に少なからず精通しておくと意志疎通もスムーズであるばかりか、教育者自身の能力向上にも繋がるのです。


――閑話転回


 俺が横浜に行く際は大抵、偶然にも新古書セールをやっているわけで、昨日も横浜にいたら開催中だった、依然として。新古書セールが。二週間前位にはムンクの版画集を買ったっけね。

――また、新しい仲間が増えました


 沼正三の敗戦・911・『家畜人ヤプー論』などを含んだヱッセイ集『マゾヒストMの遺言』、それから「ROCOCO」なるロリータ/ゴスロリ・パンクスタイルを扱かったムックの1・2号。カストラートについての特集があったり、「ゴスとは何か?」を問い直す特集が掲載されていたので手にとったら、平成バンドブーム辺りから近年に至るロリ服の変遷年表が――ゴスロリに絡めたゴシック論を構想しているのだけれど、そういった年表みたいな資料をどれだけ欲したことか! ついでに黒色スミレについても頁割いてあるから、2冊とも手に入れてきた。ソレにしても沼正三ね。


 「マゾヒズムにはキリスト教的な立場からのキルケゴールとは質を異にするも"死に至る病"といったものが心奥深く刻み込まれているものである。フーコー亡きあとはジル・ドゥルーズだと期待され、マゾッホ研究に哲学的思索を傾注したフランスの思想家の彼が、病苦のためだとはいえ、突然或る日自死を遂げたことなどが頭の片隅によぎりつつ、矢川澄子氏の自死は私にとってはひとかたならぬ衝撃であった。同時に、死とは、さなきだに常に私を誘惑してやまない不可知なるあるものであったからである。上昇よりも下降を、向上よりも堕落を、安吾ではないが堕ちて堕ちてなお堕ちよ! である」


 前掲書から適当な頁を引いてみたけど、ホント、沼正三の筆先からは素晴らしい文章漏れだしている。『家畜人ヤプー』の方は、ヤプー学の講釈やチン棒の下りではエキサティングだが、中だるみして寝た記憶がある。加えて、前・澁澤龍彦夫人という肩書きをつけたほうが興味を引きやすい矢川澄子ね。


 「さいごにひとつ、おねがいがあります。『家畜人ヤプー』と『ある夢想家の手帖から』の二作を以て活字の世界から姿をくらましてしまわれた沼先生、いまはその生死すらも定かならぬ先生に、もしもあと一作、何かを世に遺すだけの余力がおありでしたならば、この上はどうぞ珠玉のメルヘンの一篇をわたくしどもの書架にお送り下さいますよう/どんなものを? さあ、スウィフト以上にスウィフトな、ワイルド以上にワイルドな、とでも申し上げておきましょうか/それは美少女の残酷です」――矢川澄子「一架空作家への手紙」『反少女の灰皿』(1981)

 沼の文体と同様、矢川のそれは名状しがたい高揚感や至福感――make me a happyな感覚を与えてくれる。嗚呼、死ぬまでに一度で良いから、沼や矢川の文章を読んことによって己が眼前へと突きつけられたた感動や衝撃のある文章を書いてみたいね。自らが記した文章を自分の手と目を使って読んだ際に、沼/矢川的な感動が牙を剥きながら擦り寄ってくる感じの文章を。
スポンサーサイト



  1. 2007/07/31(火) 21:40:11|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

Gottheit

 何か適当に色々という感じ。相変わらず今日も蒸し暑いです。今日は今日とて、二子新地で花火とかしてきた。浴衣は涼むための浴衣の分際で、何であんなにも暑いのだろうとかいう調子。

 さいきん、音信の方が不通気味になっているKulture Trieb――JUNKさんが同人を努める総合文化批評系の同人誌――の方だけど、水面下で色々と動いているから、表舞台にしゃしゃりでてくることを乞う! ご期待とかいう調子。今日の収穫では、自分の意見の片鱗を述べた際に、それに大きな興味を示してくれる反応があって(いずれはKulture Triebで執筆予定のもの)、それによって、各琴に対するモチベーションが大きく飛躍するというものが大きかったかな。

 とはいえ、自分にとっての文章は、誰かのために書くというワケではない。あくまでも、自分の主張なり意見なり、そういったもの――文字の羅列と論理的な構成によって具現化されうるものがあって、その片鱗を口語と話した際に、その意見に対して大きな興味を持ってくれる人がいた際に、「そういった人に提示したい」という意識こそが、原動力になりはするのだけどね。しかし、それは誰かに読んで貰いたいという意識が最初にあって生じるものではない。少なくとも、それは自分の中で考え、思い描いてきた主張なのだから……。何かに対して、懐疑や好奇心を抱き始めた瞬間、その瞬間こそが、ものを書くという意識が己の中に発露した瞬間に他ならない。


 「お書きなさい誰もあなたを引き止めませんように、何もあなたを押しとどめませんように。つまり男性も、資本主義の馬鹿げた仕組みも。この仕組みの中には、私たちに逆らって私たちを監視しながら機能するエコノミーがあり、このエコノミーの要請にこびへつらいながら、この要請をずる賢く中継する出版社があるのです。そしてあなた自身も、あなたを引き止めませんように/女性の真のテクスト。女性の性を持ったテクストは、彼らを喜ばせないのです。それは彼らを恐れさせ、吐き気を催させるのです。彼らとは、読者面をした人、叢書の頭たちや、ふんぞり返っている経営者たちのこと」,エレーヌ・シクスー「メデューサの笑い」(編訳:松本伊瑳子 他)

 

 それでだね、更に悲劇的なことには、浴衣の袖に入れていた携帯電話が多摩川の河川敷に沿った形で設置してある階段のトコロで落下した。電池ケースと電池は階段部にあったのだが、携帯電話本体は見事に水没とかいうヤツ。今日のトコロは、「if」を信じながらも、周囲の説得に応じつつ復活ま可能性を見送ることに――今は、冷房がわりに使っている扇風機の眼前に晒しておいて、水を切っているという調子だが、明日の昼か夕方くらいまでは携帯が不通になっていると思われ。

 携帯が無事に復活すればキリスト病だが、復活せしめなかった際は、身代わりマリーとい名の代替機が緒上から配給されるのを待つかという調子。
  1. 2007/07/29(日) 01:12:37|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

凡日とE.Munch

 昼過ぎ起床。午後に活動開始。近所の整体医院に行く。骨盤は通い始めた時よりマシにはなるも、まだまだ歪んでるらしい。そして相変わらずリラックスしきれてないらしい。

 知り合いに肩ほぐして貰った際にも、肩に力入りすぎとか言われた記憶。兎に角筋肉が張り気味らしいんだよね――俺がリラックスできるのは人肌を重ねている時だけだ(´・ω・)銃を向けられる度に5セント貰っていたら今頃大金持ちなんだぜ?

――ねーよwwwいや、セクースしている際、思考停止に陥る位のパッション(劣情)が降臨した際の超越性を考えると、一理はあるかもしれんよ。文化的に構築された性欲だの、エロスだのといった飾りを取り払った形而上にある純粋快楽みたいなヤツ。薄弱児がモノに対して性欲を抱くような純粋快楽。まぁ、そういった形而上的な純粋快楽もそうそうあるわけではなくて、長い人生でほんと2人、3人位だったかな。

 町歩いていたら見慣れた絵のチラシをを見かけた。10月から年明け月にかけてムンクくるってよ! 4回くらい行く(^ω^)ちょうどムンク論を書いてる最中だし、ナニかの運命かしらッ。これはやはり、元旦は(開いているのか!?)ムンクを見た後に映画を見に行くべきだな。

 それよりもね、問題は会場なのね。上野の西洋美術館だったと思うのね。らめぇ! ダリ展の悪夢を思い出しちゃってンンンー! 前回は「たかだかダリ展如きで普段こない美術館なんか来てんじゃねえよ。『よーし、パパにも<シュールレアリスム>が解ってきたぞとか言ってるの。もう見てらんない」で済んだけど、今回はそれどころじゃ済まないと思う。

 「病める子」「灰」「桟橋の女たち」「女性の三相」「そのあくる日」「お別れ」辺りが特に見たいのに、のどかな鑑賞時間は「叫び」意外に興味の無い連中に蹂躙されるんだわッ。なんせ携帯の絵文字「げっそり」にもなる位だからな。ホント、日本におけるムンクの叫びはキリスト並に有名なイコンだぜ!

 あと、密林から本が二冊届いた。今回は速いでやんの。去年の夏に注文はたのに未だ届いてない「日本ロックのファニーなグルーピーちゃんたち百選」(強引な意訳)と…あと何だっけ? 何か頼んだんだけどさ、想いだせない。とりあえず、第一陣できたのは『ヴィルトゥオーゾ』っつう、18世紀のイタリアを舞台にした小説で、去勢された少年オペラ歌手カストラートの神秘性と性的魅力を、女性の視点から描いたと言うやつ。文中で「彼らはデュオニソスだけど、私たちの町の住民は総じてアポロンね」なんて出てくる辺り熱い。

 もう一冊はもB!誌でも紹介されたんで、知名度だけはそれなりに高いかもしれない「Lords of Chos; The Bloody Rise of The Satanic Metal Under Ground」。表紙が教会放火とかね、もうたまんない。あその一方で、メジャーレベルでは日本のメタルジャーナリズムが如何にアレかということを思い知らされてたまんない。ボクですか? メタルを入り口として、シェイクスピア、イプセン、北欧神話、スコットランド史、十字軍、黙示録、そしてアカデミズムへと迷い込んでしまった類の人間です(´・ω・)。今日は一日中TANKを聴いていた。
  1. 2007/07/22(日) 03:09:36|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

骨盤ディストーション




7月17~18日
 現時18日の7:29分(本文章がmixiに掲載された時点)。自主ゼミ後、コンパで20時頃に渋谷で飲み始め、23時頃、新宿の文壇バーに移動。毒蟲関連の話をしていた後に、毒蟲でブースを出店している爬虫類屋さん(雑居ビル5F)にて、毒蟲やGastunkやミラ狂美さんネタで、店の人とウダウダ語り合う。その後、明け方の二丁目方面を歩きながら駅に向かう。

 あんまりにも肩こりがヒドいので一昨日、近所の整体に逝ったら、骨盤がかなり歪んでいることが発覚。昨日も逝ったらだいぶマシになったもより。

 ああ、出勤・出学の群れを尻目に「ウコンうめええ!」とか言いながら家にむかう俺、ていうか着いた――超ロックだよな。今から寝るが寂しいから誰か添い寝してけれ。


 

7月18日

 7時半頃帰宅オヨビ就寝。昼過ぎに起きて街にでたら、おぼろげながらバーボンの匂いが口の中に広がっていた。眠気とか微妙な疲労感で夕方くらいまではココロ此処に非ず的な調子。二泊三日でうち二日間は酒盛りオヨビ哲学的論議が続く強化合宿から帰ってきた翌日に、朝までハシゴ酒だからね、そりゃあ身体にクルわ。

――(´・ω・`)やあ、ようこそバーボンハウスへ。うん、またなんだ。

 ひょんなことから、Mari Boineっつう、ノルウェーの先住・少数民族であるサーメ人(日本でいえばアイヌにあたる関係)歌姫を知る。昔はハードロックしていたのだが、世界少数民族会議に出席した際、故郷に伝わる歌がエスキモーの伝統歌曲と全く同じことに気づいて、音楽や歌唱をサーメに伝わる民族音楽に改めて活動を続けるという調子。

 スウェーデンの属国だった20世紀初頭あたりまで、ノルウェー人の苛立ちがサーメに対する差別というカタチで噴出していたとか。なんか、かなり知られていないサーメに関する資料を集めるような方向に進み始めそう。あと、バーゲンブックでムンクの版画集を買ってきた。
  1. 2007/07/19(木) 00:31:58|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

帰還

 脳髄強化合宿で諏訪の方まで行ってきた。一先ず、おとといと本日のまとめを以下に。



7月15日

 明け方まで飲んだ後は昼頃にワサワサと起き始め、夜まで哲学的大議論大会。鳥の鳴き声以外は殆どの音が聞こえない環境で果てしない議論とか、牧歌的な状況。熱いね。

 認識論・存在論、超人、「ブレードランナー」、『モモ』、超人、ユニコーン、永遠に関する存在論的云々、エネルゲイア、プシュケー、「魔笛」、魂、ジョン・ケージ、ヴィルトゥ どうのこうの、という話について夜までウダダダダ。

 休憩時間に山梨の避暑地にて、ノーパソでムンク論をカタカタ書いてたら、仕事してるなあ! という感じがした。10人以上な大人数で食べる食事は良いものよのう(・∀・)



7月16日

 諏訪よりの帰還中。昨夜は酒飲みながら、日本の儀礼/祭礼的な祭りや地方の奇妙な御神楽の話――ついでに、宮古島の赤又・白又(「かり又」ともいうとか)の話を聞く。

 にしても、日本の民間信仰は海にまつわるものが多いなと感じた。海上の船で儀式を行ったり、神様が海からやってきたりと。対して、アメリカの場合(例にあげたのはラブクラフトだが)、邪なるものや、人間に害をなす超自然的存在は海からやってくる――天国(空)・人間界(地上)・地獄(地下世界)という世界観の認識は、内陸地だろうが沿岸だろうが、生活を営むすべての人間に共通の認識を提供する。

 日本育ちにはピンとこないかもしれないが、内陸部で生活を営んでいるが故に、生まれてから死ぬまでの間、海を知らない人たちがいる(知識や写真などでは知っているだろうが、実体験ではないという意で)。

 キリスト教圏にしてみれば、海からやってくるのは異教徒か遙か彼方にいる同胞である。従って、海は邪なるモノを運んでくる道であるが故――ラブクラフト自身については魚介類嫌悪という特徴はあれど、根底には海に付与された邪性的な価値を意識している可能性があるかもしれない。

 日本の場合は海神信仰の大衆性からか、海から脅威がやってくると考えることが少なかったのかも。なんてことを、深夜まで延々議論してたんですよ、飲んだ暮れながら、海神や離島における猟奇めいた祭礼や、儀礼における想像妊娠で神の子を宿した(らしい)というような話をゲームの『サイレン』における「神食い」――象徴的な面と、単純な飢餓からきた衝動という面などを考えて――の場面と絡めながら、くっちゃべっていた。忘れないうちにメモしておくお(^ω^)。
  1. 2007/07/16(月) 17:19:39|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

脳髄RIOT(From7/6 to 7/7)

 狂い咲くほどに寝坊。朝はメガテリヤキ食べながら、山形浩生の『たかがバロウズ本』を貧り読む。移動後カッフェにて読了。あとは適当に飲んだくれながら、高校時代の無駄話に興じるような調子。

 期限が切れてるとはいえ定期無くしたり、ちょいとした書類が入ったファイルケースを、月曜日辺りに毎度使う私鉄内(もしくは一日に一度顔合わせるか危ういファーターの車内)に忘れたんだっけか。

 だからどうってこともないけど、『たかがバロウズ本』というような調子。常日頃、身勝手にものを考える脳髄は、何故か知らんが異常に鋭い聴覚認識力によって、周囲で話される複数の会話が妙なほどクリアーに知覚できる悪癖によって形成されたもんだと思った男、スパイダーマン!
 


7月7日

 昨日は早めに就寝。起き抜けに脳髄は活発な思考を開始する。脳髄の上半分と下半分が異なる思考をするような感じがした。ポリフォニックにモヤモヤしたもんを考えるみたいヨ。

 上半分は肉体や精神の状態に左右されない純粋思考体むたいな感じでさ、脳髄インターゾーンという感じ。下半分は疲労や精神状態などに引きずられるカタチで、自分自身が認識している性格や、他者に指摘された性格特性なんかに基づいた思考を行う感じ。

 今朝の起き抜け、ひたひたと町を歩いていたら、上と下の思考剥離がハッキリと感じられた。きっとアレだよ。本来は身体に寄生すべき寄生体が、うっかり脳髄の上半分に寄生してしまった感じなんだよ。愛称はノウズィーとかだな――さすがにそれは苦しいか。

 あとは収監先への出向と渉猟。気づけば「ベルセルク」をグリフィスが再臨した辺りから最新刊までを貧り読んでて、再び気づいた時には日が暮れていた。シールケに萌え死するかと思た。

――「おい、最近のアイツ、バロウズやビート系の本ばっかり読み漁ってたが、今日は『路上』なんか借りてるぜ。日本の格差戦争が終わらないうちにインポ野郎になっちまった!」

 という外野の茶化しを一蹴する位に見事な萌え死具合だったよ、ウン。

渉猟物
ウイリアム・S・バロウズ『おかま』
志真斗美恵『ケーテ・コルヴィッツの肖像』
ジャック・ケルアック『路上』
西垣通『ウェブ社会をどう生きるか』
斉藤珠里・玄田有史『仕事とセックスのあいだ』
  1. 2007/07/07(土) 21:30:34|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

レアル




 「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、またそうした危険におちいりやすいのです」――リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー


 今年の三月に、KAZEによる「第三帝国の恐怖と悲惨」を見ていこう、とんとん拍子にドイツ、特にベルリンに関わる事象に巻き込まれていく。うほ! 良い因果律。手始めに、ここ二ヶ月でクラウス・コルドンによる20世紀前半のベルリンを舞台とした転換期三部作(弟一次世界大戦~ソ連軍による占領期)『ベルリン1919』『ベルリン1933』『ベルリン1945』(三冊総計で1500頁以上はある)を一気に読んで、10月にはローリー寺西らが出演する「三文オペラ」の現代再解釈版を見ることになって、ついでに11月にはベルリンに行くことになるという調子。

 1919年の衝突から冷戦期に至るまで、ドイツ(主にベルリン)は過去の反省から何も学んでこなかったという何かとアレな事実を三部作を通して実感してしまうのだが、そのアレな事実を実感するからこそ、現代――我々は過去から何を学ぶべきかを考える必要がある。

 今更、原爆の是非を巡って頓珍漢な妄言を繰り広げている辺り、日本て日和見だよね。むしろ、原爆の是非よりも「実写版ネギま」の方がどうかと思った。思わず立ちくらみを起こしたよ。

 「実写版ときめきメモリアル」「実写版あゆみちゃん物語」「卒業R」「ストリートファイター リアルバトル・オン・フィルム」「実写版SEEK」「実写版デビルマン」……「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」――リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー。

 まぁ、アレだよ。日本は被害者中心主義的な<甘え>から抜け出せない限り、現在的な盲目を克服することはできないよなという感じ(´・ω・)脱亜入欧から、脱米入亜という感じだよな。実は一つではなかった複数のアジアへの埋没。
 
  1. 2007/07/04(水) 15:09:01|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

カットアップの椿事

 コケットリィな女中ないしは待女。異性装のピアニスト。フェミニティを強調した服を着た女と待ち合わせるゲイの薬中老人。喫茶店の駱駝。婦女暴行で連行される婦人科医。人さらいのサーカス。小ぎれいな面をした有名人が演じるテレビの中の河原芸者。

 バイト中、そんなフレーズが頭ん中をチラチラしたんで忘れない内にメモしておこう。イツか比喩表現に使えるとイイね――そんな調子の、6月30日土曜日だった。丁度、その日で一年の半分が過ぎ去ったわけだが、2007年の前半、半年をどうやってすごしてきたかということを考えると、本読んで酒を飲んでファロスをクラフトワークして、あとは適当なとこで適当に過ごして、ギター弾いて、DVDでてモフモフしたりするような日々。

 昨日(6月29日)はニコニコ動画で「寄生ジョーカー」のプレイ動画を見ていたが、よくもまあRPGツクールでアクションADVを作るよな(のび太のバイオハザードもまた然り)と感心してたら就寝は朝四時。ンンンー!

 数日前にツタヤの半額クーポンメールが来ていて、いつものようにお知らせを登録してある渋谷ツタヤでもやってると思ったら、一部店舗では実施してませんだってよ(´・ω・)ホロヴィッツとかを借りてこようと思ったのに。


――何度も書いているように、mixiでの日記は携帯から書いていることが多く、此方のブログの方はmixiにあっぷされた日記を元に加筆・習性をPCから行っているから、どうしてもタイムラグめいたものかせ発生しちゃうんだよね、ンンンー! 今日(7月1日)は下記のようなことを書いていた。


題名:人形の家

 イプセンのアレな。女性の自律を讃歌するように語られるんだけど、アレは人間の欲望(主に男女関係をめぐる性愛的な)と、その駆け引きをめぐる寓話だと思うのよ。特に主人公である婦人と、医者のセンセのやりとりとかね。人形の家に絡めた原稿書こうぜ!――気が向いたらね。

 洗剤がでた当初の英国における広告で、奥から手前にズラっと並んだメイドさんに対置する形で、メイドさんの三分の一程度の数しかない洗剤の箱が並べられ、「洗剤ならたったこれだけの数で、これだけの人数分の洗濯がこなせます」みたいな広告があったっけな。

――傍話
 昨日あった秋葉原解放デモに参列したかったと、デモの写真を見て思った。世俗化したアキバなんかいらない! 駅前に広場があって、生きだおれた浮浪者を鳩の群が蹂躙してるような秋葉原を返してけれ!

――挿話
 渋谷の名曲喫茶ライオンに初めて行く。ヴィルトゥオーソ論を核に据えた『ピアノを弾く身体』を読みながらモヘモヘする。帰ったら、とっとと仕事をするべや。

 そういやさ、浴衣を着たくなる時期だけど特に催しが無いんだが全員浴衣着用な飲み会とかどうよ?(なんか去年似たようなモンがあった気がしたが)。気が向いたらどっかのコミュに企画投下してみやうかね、やるとしたら多分7月下旬。



――解題
 アキバのデモについては、期待と真逆を行くような羊頭狗肉的な状態で、デモ後の展開についてもかなりグダグダらしいね、(´・ω・`)知らんがな。
  1. 2007/07/02(月) 03:33:56|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

クチコミのチカラ


クチコミのチカラ
Amazonで購入
livedoor BOOKS
書評/IT・Web




 クチコミと聞いて思い出すのは95年頃に見たテレビ番組だ。周知のように95年当事といえば援助交際やブルセラブームを背景に、「女子高生が流行を作る!」という風説が強かった次代で、「たまごっち」などがクチコミによるヒット商品の最高峰としてあげられることが多かった。ぼくが見たテレビ番組というのは、会議室に集めた女子高生たちに新作のお菓子を試食して貰うモニターテストのようなものだった。そのお菓子が主要な購買層として女子高生を見据えているだけでなく、モニターを受けた女子高生たちがお喋り、電話、そしてポケベル(!)などを通じて、これから<新発売>されるお菓子の情報を広めていくことを期待してたことは明らかだった。

 多くの人が「クチコミ」と聞いて想像するのは、恐らくはそのような光景だろう。本書では米国式に習ってクチコミを「Word Of Mouth」(WOM)と呼称している。WOMには二種類のものが存在し、本書においては自発生的類のクチコミである「オーガニックWOM」と賃金を支払って評判を広める「ペイドWOM」という二種類のクチコミが述べられている。
 
 ペイドWOMのネガティヴな面が顕在化した例としては、2006年の11月3日にNHKの「ニュースウォッチ9」を発端とした騒動が記憶に新しい。騒動の内容は次のようなものだ。「クチコミマーケティング」についての特集が組まれたのだが、番組内で企業から賃金を貰い受けて提灯記事を<生産>している女子大生の例が紹介された。さらには女子大生の紹介に留まらず、企業から接待を受ける様や、企業が主導となって「上手なブログの書き方」を指導される様までもが放送された。放送を受けて、当該女子大生のブログは炎上し、提灯記事を主導した企業にも大量の批判が寄せられるようになった。

 察しのように、本書が取り扱うクチコミはネットにおけるものであり、特にブログを介したクチコミビジネスや、ブログが有する市場的価値を主なテーマとしている。最近は記者会見や新製品の発表を行う際、数名に留まる範囲だが有名ブロガーの枠が設けられているという話を良く聞くのだが、本書の中でもそういった実例があげられている。

 これまでは、記者会見の場に参列できる人種といえば、マスメディアを掌握している一部の権力者たち、そして権力者の眷属たちといったものだったが、特定のブログ界では著名な人物とはいえ一介の市民的な人たちが、記者会見のような場に参加できるような状況は情報発信の占有を打ち崩す契機として喜ばしく思っている(もちろん、前述した提灯記事の寓話のようなものは少なからず存在しているだろうが)。

 帯タタキに「今、企業はブロガーとの対話を求められている」と書いてあるように、本書はブログを用いたクチコミ・ビジネスが含有している市場価値や、商品展開の一例を紹介し、その可能性を読者に投げかけるような体裁を取っている。従って、本書の傾向としては政治経済的な面が強いといえるだろう。大学生の皆さんの中には、ブログやSNSについてレポートや卒論を書きたいという人が少なからずいると思う。経済学やメディア論を専攻とする浅見克彦は消費・戯れ・権力――カルチュラル・スタディーズの視座からの文化=経済システム批判』(2002)の中で、文化を論ずる上では、文化の政治経済的な側面(クチコミビジネスに話を絡めれば、ブログが含有している市場価値ということになる)を見落とすべきだと述べているが、ぼくもその点については大きな同意を持っている。

 本書がブログの市場価値という点に力点を置いているということについては繰り返し述べてきたが、ユーザー/消費者に力点をおいたブログ論としては鈴木芳樹の『スローブログ宣言!』(2005)が、日記サイトやテキストサイトの隆盛からブログが登場するまでについて、丁寧に解説されているので、本書と前掲書の二冊を併せて読むならば、ブログが市場的な価値を、つまりは企業が商品を売り込むツールとしてオイシイものだと認識するようになった流れを理解し易くなるかもしれない。本書は、ブログを介したクチコミビジネスである「本が好き!」によって献本されたものであり、「本が好き!」というサービスもまたブログを用いた新しい形のクチコミビジネスでる。クチコミビジネスによって頂いたクチコミビジネスに関する本について書評を書くというのも中々に奇妙な気分であったりする。
 
 本書の内容・文体は双方とも読み易く、誰でも手軽に読みこなすことができるだろう。現在のクチコミビジネスの大枠を把握する本としては、特にブログやミクシィが人気を博した影響でネットを始め、ブログを初めてみたという初心者に勧めたいものである。各人がどのようなブログ運営を行いたいかという点について、ぼくは知る由もないのだけれども、ブログを使って何か「オモシロイこと/自分が得するようなアイデア」を展開するためのヒントは収められているかもしれない。

 ぼくの、極めて個人的な感想としては、「その手のビジネス書」や「ハウトゥー本」にありがちな、<軽薄さ>を感じてしまう部分はあるのだが――ちょうど、本書を手に取る前に、2011年を考える会による『大変化時代のキーワード ネット社会とビジネスを語る述語集』を読んでいたのだが、本書を読んでいた際に感じたことは、『大変革~』と似たような<軽薄さ>であった。もっとも、それは個人の読書傾向によるものなので、ぼくのようにスレていない人が読めば、そのような軽薄さは微塵も感じないと思うが。
  1. 2007/07/01(日) 23:02:35|
  2. 書評〔本が好き!による献本〕
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

プロフィール

JUNK

Author:JUNK
 いわゆるトコ、侍魂以降のテキスト系サイトとして惰性してから早4年(2005年当時)。日記部のみblogに移行しました。それまでの素性とか、堆積物は「サイト」の方を参照で。現在の方は「mixi」とか。

 飲んだ暮れ。夢想家。澁澤シンパとみせかけて種村派。専攻は一応、文化社会学とか言いたいんだけど、実際の専門的らしい専門はない(と思う)。

『家畜人ヤプー』、沼正三、女性のサディズムと父権制におけるマゾヒズム、少女のエロティシズム、アリスイメージの消費、ロリヰタファッション、ヘヴィメタル、サタニズム、オカルト、タロット、少女小説、テクスト論、表層的SM批判、ジェンダー論、クィアスタディーズ、なんかよくわかんないけど色々。

 文化批評系よろず同人誌「Kultur Trieb」主宰。執筆者、購読者募集中。HPとかはまだ作ってないので、詳しくはmixi内のコミュを参照。

「Kluture Trieb」(mixiコミュ)


◇twitter
割と、お仕事関連とか、読んだ本とか、クダラナイ話とかもつぶやき中。

@junk666
フォローはお気軽にどうぞ。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する