fc2ブログ

続・JUNK屋日誌

blogへのテラ・フォーミング(2005/12/17)。遂に時代の流れには逆らえづ、本サイトの日記のみをblogへ移行。

独身男の楽園と貞淑女の地獄

 知っている人は知っているが、我が家は皆身勝手な生活時間を持ち、それこそ経済活動を行うための最小単位のユニットとして、家族が機能している。昔は、父母ソレゾレが経済的独立を果たしていたが、現在は一部生活費(主に食)のみ母方に父方が依存しているという調子。

 近年、ドコぞの家父長気取りが金銭トラブル(弁護士で話つけてあるのに、先走ってキタらしい)で押し掛けてきて、22時頃を回っても、誰一人として帰宅しない状況の襟首を掴んだ調子で、うちの家庭に対する批判を展開した。22時を回った時点でたまたま俺が帰ってきた。しかも随分と酒をかっくらっていた。そして、家父長制の下でヌクヌクと栽培された権力を謳歌しているかのような下品な面を持つ醜悪な気取り屋はこういった。「キミんとこの家族はどうかしてるんじゃない?」と。

 前述したように、俺は鳥万で飲んだくれてきた帰りだったから「うちの連中はメディアが垂れ流すようなお行儀良い家族像とはかけ離れたXXXXだからさ。ステレオタイプ然とした家族像を念頭にして語んなよ」と言い返す。

 権力者気取りはこういうね「じゃあ家主が帰ってくるまで家の前で待たせてもらう」――その日、うちの経済的権力者が帰宅したのは午前2時過ぎてた。気取り屋は何時頃だったか忘れたんだけど、帰宅してJackassを見ながら飲みなおしをしているうちに、痺れを切らして帰宅したみたい。とりあえず、俺の忠告を聞かなかったから貴重な時間を無駄にしたのは自己責任極まりないというヤツ。自分の周囲の状況が運良く一般常識――いわゆる「理念型」に近いからといって、それがさも世界の真理で世の中の常であるかのように無批判に信奉し、自らが信奉する事象に照らした尺度でしか物事を測れないような連中をボクは最も軽視するッ!

 まあ、そんな手前。近所づきあいなんざ、昔は濃密だったが今は疑心暗鬼。(今は静まったが)一時紛争中だった隣家は夜23時頃に犬の散歩に行くが、俺が家にいる際、飯と酒を求めて本を抱えて出歩くのが同じ位の時間。

 今日もその時間に犬の散歩に出ていた隣家のオヤジと自宅の坂上にある踏切ですれ違い、少し過ぎた辺りで振り向くと俺が右か左のどちらに向かうか凝視してて何かとアレね。集合住宅の人間は隣人の顔よりも、米国の大統領やアラブ世界のテロリストの名や顔を良く知っているという寓話がある。

 しかし顔を凝視すれば思いだすような近隣住民に監視されるような状況も中々妙なモンでねえ。身勝手に設定している基準や規範――当人たちは、それが如何に根無し草で、<皆がそうだから>とか<常識的/当たり前だから>という曖昧な根拠に基づいたものだという点については無自覚にいるからタチが悪いよね。

 主は「汝の隣人を、汝の如く愛せよ」と言ってるんだ。あくまでも、それは共通の神を唯一的に信仰する際にのみ、隣人は汝の隣人として扱われるべき存在だとか深読みをせずに字義通りに解釈して俺を愛せ! とか思うよね。いみじくもバロウズが「ブラザー、シスター文句なしに愛こそが答え」と書いているように。まぁ、どんなに酷い噂が近隣住民に対して流されようが、生活時間が近隣住民と重ならないんだ。別にそれがどうということもない。連中は人づてに聞いた我々の生活様相をあ嘲り笑うのみだろう。

 だがそれがどうしたことか? 家庭内の誰かが近隣住民と日が出ている内に顔を合わせるワケでもないし、世間話だの回覧板だの地域協力だのといっ多様な個人、多様な家庭像、多様な親密性といった事例が噴出して、それが自明のものとなっている現在において敢えてなお、多様性を持った家族/多様性になりうる可能性を持った家族を建前染みた共同体に押し込むような制度から自由であるのだから、それはそれで幸せだというこった。そんなツマラナイ/クダラナイことをいちいち気にしていたら、人生という戦場を歩くことなどできん。

 俺自身、大学生時代ら友だちが全くいないような状況を長年続け、ピーク時の学食で独りで昼飯を食うことに対して名状しがたい後ろめたさと孤独感を感じてきた。しかし、大学という戦場を単独で生き延びるにはどうしたら良いのだろうか? ということを命題として様々なことを実践してきた。少なくとも、大学は戦闘訓練場であったといえる。そういった経験が実社会における同調志向や他人志向といったくだらんイデオロギーに対する批判の精神――ほぼ恨みつらみ〔ルサンチマン〕と同義のクダラナイ被害妄想だが――を築き上げてきた。

 とりあえず週明けにでも『華麗なるギャツビー』とか、ギブスンの著作を数点借りてくるかな。
スポンサーサイト



  1. 2007/04/29(日) 01:02:04|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

翔べ! 大清帝国!

 暫く放置していた「フランケンシュタインとその卷族たち」なる原稿に手を入れる。シェリーの『フランケンシュタイン』以降の被造物や、大衆文化におけるアンドロイドやサイボーグ像について論じたもの。

 『フランケンシュタイン』の他は半ば定石と化している感もあるが『ブレードランナー』『ターミネーター』『ロボコップ』に話が及ぶ。そこで、子を産むという超越的最新型アンドロイドが登場するOVA『アミテージ・ザ・サード』の話を噛みあわせるかと構想しながら書いていたら閃いたよ。

 『アミテージ~』と共に日本の文化作品であるゲーム『スナッチャー』があったことを。80年代末、今や『メタルギア・ソリッド』で世界の小島となった小島秀夫監督が「スネーク小島」の名で指揮を取っていた神作。

 『スナッチャー』は『ブレードランナー』からの影響が指摘され続ける。JUNKさんは「人生の中で一番繰り返しみた映画は?」と聞かれると『ブレードランナー』か『ジャッカス・ザ・ムービー』か『狂い咲きサンダーロード』としか答えられない「映画秘宝」誌体質ッ!

 まあやはり、今更ながらに『ブレードランナー』の原作『電気羊はアンドロイドの夢を見るか』を読む。ていうか、『スナッチャー』の美術面は確かに『ブレードランナー』だが、場面の状況設定や人物造形はほぼ『電気羊~』だよな。11~2章(歌姫の<処理>にしくじったデッカードが賞金稼ぎと出会い、美術館で再度<処理>を行う)の辺りは『スナッチャー』だよ。激しく『スナッチャー』だよ。疑念の交錯や、謎の賞金稼ぎとか、モロに。

 とか思いながら、ヨコハマのドトールで一気に『電気羊は~』を読破して猛烈な興奮と、頭のネジが6本位はずれたような不安に襲われる。

 諸君、これこそが知の快楽といふものだ。以上は一昨日の話。
  1. 2007/04/28(土) 00:18:17|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

金魂巻

 ひた鍛練。ひた啓発。今ヨコハマから帰宅の路(文章を書いた当時は22時頃)だが、スタバのある出口広場やJRの改札と東横線のホームに続く階段にひしめく浮かれポンチども(逆に読むと「ちんぽれかう」になるが意味をなさないゾッ!)を視ると、日本が嫌になると共に「みんなキリスト病になって、互いに許し合いながら氏ねば良いのに」とか思う。

 バロウズの読みすぎですな。今日は今日で『ジャンキー』読んでた――「麻薬をやめるということは、一つの生き方を放棄することだ。俺は何人ものジャンキーが麻薬をやめて酒に溺れ、2、3年のうちに死んでしまうのを見てきた。元ジャンキーのなかには自殺するものがしばしば出てくる。なぜジャンキーは自分から進んで麻薬をやめるのだろうか? この疑問に対する解答はだれにもわからない。麻薬がもたらす損失や恐怖をいくら並べたてたところで、麻薬をやめる心の推進力にはなりはしない。麻薬をやめようていう決意は個体の細胞の決意なのだ」『ジャンキー』鮎川信夫 訳。

 麻薬の部分を、「テレビ」とか「共感主義」とか「自分探し」とか「友達至上主義」とかの言葉に置き換えても別に良いんだけどさ。とりあえず欧州行きたいよな。餌を待つコイみたいに大口をパクパクさせながら、何も考えないで曖昧で画一的な称賛の言葉でしか虚栄心を満足させることのできない黄色いグレムリンがなるだけ少ない国に行きたいわ。
  1. 2007/04/21(土) 03:14:19|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

徒然なる日々

 しばらくぶりの更新ということで、基本的にはmixiの方にupしたものの再録になってしまうのだけれども、レイアウトの都合上mixiよりもこちらの方が文章としては見易いと思うんだよね。たとえるなら、2DゲームのPS版がmixiだとしたら、こっちのblogはサターン版という感じ。たとえが古いか。とりあえずね。日付に即したリアルタイムの更新ではないけれども、ラグを念頭において読んでくださいな。久々の更新ということもあり




 久々PCからの更新ですよ。キーボードだと親指が痛くならないからいいよねッ!(イイヨネ!)。とりあえず今日もまた一冊本が増える。出向先に来る間に数日前から呼んでいた武田龍夫の『戦う北欧』は読み終えたが、また次の本が増えて鞄の中に装填される。今日はこれから私用でヨコハマに行くが、まだ古本市やっているだろうからまた増えちゃうんだろうなッ、本が。バロウズ本を買ってしまった前回、目をつけていた『世界のビール大百科』みたいなものがまだ残っていれば良いのだけど。

■学生ののしるメモ書き、金持ちへの反感か…米の乱射容疑者(読売新聞 - 04月18日 12:21)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=196518&media_id=20

 そして、例の銃乱射事件ね。次々と出てくる犯人のパーソナリティはもうアレなんですよ。最近、「ファウスト的人間」のネガとして「タクシードライバー的人間」というものを考えていて、今回の乱射犯はモロに「タクシードライバー的人間」だと思うのですね。とりあえず、メモ書きを基にして簡単に特徴を述べてみようか。ああ、モチロン由来はマーティン・スコセッシの『タクシードライバー』(1976)ね。

○ファウスト的人間
 生きる意志を強く持ち、努力の中で迷い、進歩や発展に憧れを持つ、また、超常的な力によって自己を強化する。自身に溢れたセクシュアリティの誇示(例えば若返ったファウスト博士が意気揚々と若い娘を口説く場面を想起されたし)

○タクシードライバー的人間
 無力感や破滅感を抱き、現状に対して悲観的である。近代社会の産物でもあり、性的抑圧や女性への執着および嫌悪がある。さらには、ドストエフスキーの「地下生活者の手記」に見られるような自意識の過剰を有している。ファウストの場合は超常/空想的な力によって自らの力を強化したが、タクシードライバー的人間は機械(むしろ銃)によって自信を回復したり、力を有すような感情を経験する。

 そして映画『タクシードライバー』の劇中で、主人公トラヴィスは、入れ込んでしまった少女売春婦のアイリス(ジョディ・フォスターが演じていた)に対して金を払いながらも道徳を説く。また、終盤では銃を持ちながらモヒカンヘアーで登場し、大統領候補を狙撃するつもりがギャングたちを一掃することになり、結果として少女売春婦を救ったヒーローとして担ぎ上げられる。そういったくだりに、前近代的な父権制や、マッチョな男性像への憧れが垣間見れる。

 「アイリスが少女なのはブレマーの初恋の相手ジョーンが15歳だった事実に基づいている。とはいえ、ブレマーもトラヴィスもロリコンではない。精神年齢が中学生並だというだけだ。「オタク」に代表される未成熟な男は女性に対して「天使」と「娼婦」という両極端なイメージしかもてない(トラヴィスがベッツィをポルノに連れていったのもそのせいだろう)。しかし、現実の女性はどちらでもないのだ」――町山智浩,2002,『<映画の見方 >がわかる本』,181頁。


 述べてきた「タクシードライバー的人間」――特に女性への執着と嫌悪といった点――を念頭に置きながら、これから続々と報じられてくるであろう射殺犯のプロファイルを読み解いてみると、少しは楽しくニュースが見られるかもね。




 そして帰宅後、日付が変わった辺りでの一コマ。


    ∧,,∧  ∧,,∧
 ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
| U (  ´・) (・`  ) と ノ
 u-u (l    ) (   ノu-u
     `u-u'. `u-u'

 罪に対する許しを得られるか審議中……最近の世の中はとても悲しいことばかり。だからこそ「文字どおりの分派である無慈悲な許し屋たちは、敵を探しだして許すことに全力を傾ける。マフィアのドンが、ロングアイランドの隠居所にバリケードを築いてこもる。さもないとライバルのドンが忍び込んで、かれをかき抱き、何もかも許してくれてしまうのだ。犯罪者たちが警察署に群がり、手を差し出して手錠を待ち受ける。ブラザー、シスター、文句なしに愛こそが答え」,W・バロウズ『ゴースト』,山形浩生(訳)。ということだ。

 そうだ、銃撃や狙撃が起こる、悲しい世界だからといっても、「ブラザー、シスター、文句なしに愛こそが答え」。だったら「文字どおり主義者たちは、キリストの言葉を実践して酷い状態に陥る/さてキリストは、もしどっかのろくでなしが汝の服の半分を盗んだら、残り半分も差し出せと言う。これに従って文字通りたちは通りをうろついて追い剥ぎを探し出し、一人見つけると素っ裸になってしまう。多くのかわいそうな追い剥ぎたちが、半裸の文字どおりたちにラクビーのスクラム状に飛びかかられて、押しつぶされてしまった」(前掲同)。結局のところは、そうだ。「ブラザー、シスター、文句なしに愛こそが答え」。

 とりあえず、今日もまた新しい仲間(本)が増えました。朝日新聞刊の『世界のビール』、THE LIFE BOOKSシリーズの『THE NAZIS WWⅡ』――昼間は昼間で映画「ヒトラー 最期の七日間」を見ていたし、先月はブレヒトの演劇「第三帝国の貧困と悲惨」を見た。ここ数日は、北欧の対ナチス(およびソ連)戦史に関わる本を読んでいた。どどのつまり、北欧の近代史を語るうえでは、対ナチスおよびナチス・ドイツ史に対しては潤沢なる知の放蕩が必要というわけで……ここ最近ナチス関連の文献がモーレツに増えていることをヒシヒシと感じる。クラウス・テーベライトの『男たちの妄想(上・下)』も早く購入しなければと思っているのだけど、上下併せると9千円超えとかね、泣けすぎるよね。たかだか本の分際で。

 前述の二冊にくわえて、本日仲間に加わったものというと、加藤秀俊『文芸の社会学』と村瀬典雄『ナチズム ドイツ保守主義の一系譜』。いい加減資料整理用の本棚が欲しい。

  1. 2007/04/19(木) 02:49:06|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

プロフィール

JUNK

Author:JUNK
 いわゆるトコ、侍魂以降のテキスト系サイトとして惰性してから早4年(2005年当時)。日記部のみblogに移行しました。それまでの素性とか、堆積物は「サイト」の方を参照で。現在の方は「mixi」とか。

 飲んだ暮れ。夢想家。澁澤シンパとみせかけて種村派。専攻は一応、文化社会学とか言いたいんだけど、実際の専門的らしい専門はない(と思う)。

『家畜人ヤプー』、沼正三、女性のサディズムと父権制におけるマゾヒズム、少女のエロティシズム、アリスイメージの消費、ロリヰタファッション、ヘヴィメタル、サタニズム、オカルト、タロット、少女小説、テクスト論、表層的SM批判、ジェンダー論、クィアスタディーズ、なんかよくわかんないけど色々。

 文化批評系よろず同人誌「Kultur Trieb」主宰。執筆者、購読者募集中。HPとかはまだ作ってないので、詳しくはmixi内のコミュを参照。

「Kluture Trieb」(mixiコミュ)


◇twitter
割と、お仕事関連とか、読んだ本とか、クダラナイ話とかもつぶやき中。

@junk666
フォローはお気軽にどうぞ。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する