渉猟してきた資料を元に、「おわりに」の項がある程度書かれているためゴールが見えたか? という状態にうる原稿――「制服の修辞学」――を書き進めているわけだが、森伸行の『制服通りの午後』一冊を参照投入しただけで、ゴールが遥か彼方へと遠のく位に夢がひろがりんぐ状態に。書けば書く程に終わりが見えない無限地獄よ。
最初は性的対象としての女子高生をめぐる議論や問題を、制服の視覚的機能といった辺りから攻めて行って、アレは……バクシーン山下と宮台真司の対談での発言だったか、「女子高生の真髄はハイソックスとスカートの間にある」という趣旨の発言が、少女と女性の狭間いる女子高生を象徴しているという辺りを根拠にして語られているものがあった。
少女と女性の中間にある存在というものを拡大解釈すれば、国家からは非性的対象であることを、男性たちには性的対象であることを求められる曖昧な対象であるということになる。それでだ、セーラー服とブレザーのどちらが良いか? という問題に対する過去の議論を整理して、あれやこれやと遊び心満載で「制服の修辞学(上)」を完成させ、献身と過剰な性的欲求を期待されつつ、一方では文化作品の主要なテーマとして用いられる「看護婦」を巡る、世界事例の問題を真面目な切り口で捉えていく論考として、アン・ハドソン・ジョーンズ(編著),1997,『看護婦はどう見られてきたか――歴史、芸術、文学におけるイメージ』に触発されて構想が動き出した「制服の修辞学(下)」を年内にでも…とか考えていた。当初の予定としてしは。
それが何だ、もっと気楽に構えていたはずの「制服の修辞学(上)」が、頁数を増やせば増やすほど、企画モノ歌手から様式美溢れるヘヴィ・メタルへと変貌していくのだ。そして、増し続ける頁数は留まるトコロを知らず。Kluture Trieb用の原稿として考えていたんだけど、胎動し続けるこの忌み子を何処に上梓すべきだろうかとか考え始めてしまった('A`)。まぁ、初出は Kluture Triebに載せるだろうけど、現時点でA4×16枚近くあるヤツをA5サイズに直した際の枚数を想像すると恐ろしい……しかも、当面の雑誌作りは手動コピー&レーザープリンターでの印刷という点を考えると、眩暈がするよね。内容を一部抜粋すると以下のような感じ。
――――――――
制服の意味を簡単に述べるなら、それは体制や権力への従順であり、個を埋没させる要請に対する服従でもある。それはすなわち管理教育の象徴でもあり、女子高生という表象が制的対象化される以前。つまりは90年代初頭頃の制服は、まだ管理教育の象徴という一面を強く打ち出していた頃であると思われる。女子高生の制服は在日外国人(主として欧米圏であると思うが)の興味関心を引く存在でもあった。極めて親日派のアメリカ人であるジョセフ・シルバースティンなどは、管理教育的な面を強く打ち出していた制服についての関心を示してきた。彼の関心を引いた制服は「自由を求める少女との対比を示す無理解な大人たち。制服を強制する学校の「管理教育」。いつもながらのパターンだ。そしてこの記事を読んでいると、どうも朝日新聞は、公立中学校の制服(正確には標準服というそうだが)を全廃したいと考えているのではないかと思えてくる」(ジョセフ・シルバースティン,1988,『我が愛するサムライ日本』115 頁,新潮社)という発言にみられるように、制服の本来的な意味がまだ強く作用していた90年代初頭までの制服であった。
――――――――――
また、先に軽く触れはしたのだが、「スクール・アイデンティティ」の構築や制服改定といった事例を私立学校の経営的戦略とから見るという観点は重要なものである。森は「スクール・アイデンティティ」と制服改定を駆使して、ある種のブランド高校を作り上げた二つの事例――「嘉悦女子高」と「品川高校(現:品川女子学院高等部)」の例をあげている。嘉悦女子はタータンチェックのデザインを浸透させた立役者的な存在であり、自校のブランドイメージを <視覚的>に強調するために、様々な戦略を打ち立てた高校でもある。
嘉悦が視覚的なブランドイメージを構築するために、制服改定以外でとってきた戦略としては、バックやコートといった学校に関連する持ち物や衣服のデザインをオリジナルデザインのものに変更し、それに伴った校章デザインの変更、併設されていた「女子経済短大」の名称を「嘉悦女子短大」へ変更するといったものがある。そのような戦略を駆使して、<視覚的>な嘉悦ブランドを、内部にも外部にも認知させた結果として嘉悦女子というブランドが認知されてきた。
現在では「品女」という通称で知られている「品川女子学院高等部」は前述した通り「品川高校」という旧名を持っていた。品川女学院(以下:品女)は嘉悦以上に制服のデザインを誇示しながら、偏差値面においても名門的な地位を手に入れた成功例である。確かに、品女は現在においても自校の制服を誇示することに強い関心を持っているように思える。
例えば2006年に品女の生徒が主体となり、品女の近所に本社を構えるサンリオに、文化祭の企画として「品女キティ」の製作を持ちかけたという事例がある。その模様は雑誌(雑誌名)の記事として取り上げられ、製作された「品女キティ」は、世界各地(!)に氾濫し、当地を象徴する衣服や事物を身に纏う「ご当地キティ」に倣った形で品女の制服を身に纏ったキティのストラップである。
品川高校が制服改定を行ったのは1991年のことであり、制服改定に伴って嘉悦以上に視覚に訴えるような広告展開を行ってきた。広告の例としては、校舎の壁に新制服を着用した生徒の巨大な写真を掲げ、新制服をPRするためのポストカードやテレホンカードを配るといったものがある。制服改定を始めた当時も、そして現在も、薄茶色を主としたブレザーと、赤(中等部)/青(高等部)のタータンチェックのスカートと、スカートに合わせた色を持つネクタイ、もちろん学校のオリジナルである紺(高等部)/茶(中等部)色のハイソックス、ブランド品に負けず劣らずの高級感を有してブレザーと同様に目を引く茶色の鞄などによって構成される品女の制服は、最早ルイ・ヴィトンと同様に視覚的なブランドと化してきた感がある。
スポンサーサイト
- 2007/02/12(月) 15:42:09|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
色々とお話してたら、魅惑と恐怖対象という両極的な女性イメージ――いわんや神話に表れるような女性嫌悪的イメヘヂ史についても深く掘り下げる必要が出てくるというヤツ。イリガライですか。ついでにラカンもですか。国産毒婦の雄「高橋お田」はまた少し違う気がしてくる――ナイチンゲール以前の看護婦は少し際どいラインだね。
あ『メデューサの笑い』ですか。無軌道歩猟して際に見た気がしまス。ていうか、ドッケンからラカンならまだしも、LAメタルの雄ドッケンからフェミニズムに分類されるイリガライまで飛んで行く大躍進。
ついこないだまでは19世紀のロマン派時代の、個人としての演奏家に熱狂するグルーピーを中心に整理してて、今回はもっと広い視座を取った女性のイメージを掘り下げることになるわけで。ほんとJUNKサンは色好みだね、といわれてもますます反論ができなくなる。好きな画家はレオノール・フィニですし。にしても、アメリカ人てコンサートやエンターテイメントショーでやたらと乳だすよね。しかもコケットな感じではなく堂々と。
え、マキャヴェリですか。一応著作の概略史みたいなヤツは読みました――うちの母親は学校経営してるんですがネ、最近の身勝手極まりない先生たちのワガママ極まりない振る舞いを聞くと『君主論』的な実践て意外に必要かもと思う次第。とりあえず、アジア関連の資料とか色々借りる予定が、不思議なダンジョンが閉まってたから町田の高原書店寄って帰るお(´・ω・`)。
――渉猟物
澁澤龍彦『幻想の肖像』
J.バルトルシャイティス『幻想の中世Ⅰ』
諸井三郎『フランツ・リスト』
西原稔『聖なるイメージの音楽 19世紀のヨーロッパの聖と俗』
前二冊は「モロ」っていう感じなんだけど、後ろ二冊はここ最近生じてきている脳髄の知的転向の依拠するものである。
- 2007/02/10(土) 00:24:35|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「1944年6月6日、フランス上陸の連合軍は「ミッキー・マウス」を合言葉にした。人類はついに一匹の漫画のネズミに征服されたのである」
「ミッキー・マウスやドナルド・ダックに喝采した子供たちは、第二次大戦の兵士となり、戦線で互いに殺戮し合い、幾十万人となく死んでしまった。またヨーロッパやアジアにおいて漫画映画のファンであるべき幾百万の子供が殺された。朝鮮やウ゛ェトナムでは今もその殺戮が行われている。そしていまのアメリカの子供は、自分がいつ原爆で死ぬかもしれないと信じこまされている」――今村太平『漫画映画論』
同書は引用の箇所の後、「バンビ」や「白雪姫」の写実主義性と「不思議の国のアリス」の超現実性的表現の比較を行いながら、アリスの超現実性を、資本主義社会における速度や不安などへと結び付ける。
そしてふと思うことは、(こと日本で)ディズニーグッズやキャラクターを消費し、ディズニーランドを聖地として物心崇拝的に崇める消費者たちの中に、ディズニー「作品」を消費している消費者がどれだけいるのか? という、毎度お馴染な二元論を考えてしまう。
プーさんも、スティッチも、マリーちゃんなどは軒並、物語や作品から切り放されているように思える。前述したキャラクターに対して、アリスや白雪姫、ピノキオやポカポンタス、さらにはバンビなどは前述したキャラ程の消費対象にはならないのだろうということを考えてみることもまた一興。
JUNKさんは「メリーポピンズ」が一番好きなんだけどね、今村の「不思議の国のアリス」に関する批評を読んでたら、DVDが安かったら棚に加えておきたい気に駆られた。
- 2007/02/04(日) 00:54:55|
- 未分類
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0