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続・JUNK屋日誌

blogへのテラ・フォーミング(2005/12/17)。遂に時代の流れには逆らえづ、本サイトの日記のみをblogへ移行。

Montag再び

 午前中はドトールで朝飯を食べがてら、7割程を既読していた『性と聖』を読破。その後に歯医者。医療現場総じて支配的な関係性が表出するが、歯医者はその最もたるものだ。無防備かつ、被支配的に、それも、その様相は愚者の如く大口を開けている患者を治療する歯医者程恐ろしい存在はない。

 詰めものを施され、乾かす間に先生は隣の診察台に行った。隣からは歯医者に特有な、歯を削る例のドリルの慟哭が聞こえてきた。自らの歯ではなく他者の歯が掘削される音は中々に恐怖をそそる。そして、偶然にもみてしまった。隣を向いて。キングクリムゾンの『クリムゾンキングの宮殿』張りに大口を開けた、生物学的には雌に属する肉塊を。フランシス・ベーコンのような意――人間の本質とは、ただ蠢くだけの肉塊でしかない――における肉塊を!

 嗚呼、歯医者はなんてホラーなのだ! テラーではない。純然たる戦慄を呼ぶホラーだ! そして午後は修論用の枢軸的文献を訳そうと、喫茶店に向かおうかとか思ったら2時頃、携帯が鳴り・・気付けば今の帰宅に到る。そういえば、歯医者が舞台のホラー映画があったな。

 そのビデヲドロームは、歯医者さんがジェイソンやフレディ、レザー・フェイス、その他各種の殺人鬼たち。つまり、ポップコーンを消費したり、青春の怠惰な日々を彩る映画の主役たちの位置にいるヤツ。パッケージやテロップを見ただけで戦慄した。『リトル・ショップ・ホラーズ』ではない。割と最近の、よくある超B級スラッシャー・ムービー。またの名をポップコーン・ムービーと呼ぶような類のヤツ。 

 やはり怠惰さは必要だ。しかもまだシラフだ。21:40を過ぎた帰りがけに、飲んだ気のしない500ml缶を消費をした程度だし(´・ω・`)。そんな月曜日。
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  1. 2006/07/31(月) 22:38:04|
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Herrschaften

 聖アウグスティヌスは、身勝手に、傲慢に振る舞う己の力の証――おじちゃんが言うところの「オヂサンはズボンの中に亀さんを飼ってるんだよ。見てみないかい?」――を嘆いた。

 悪魔と名付けられた存在による、恐怖でと淫美とにまみれた、そして醜悪な誘惑に対峙し、それを耐え忍んだ聖アントニウスはインポテンツだろう ――雌肉による誘惑に動かなければ、然るべき牡肉による誘惑が試行されるに違いないが、傲慢なる権力者は、そこで声を張り上げるだろうか? いや、むしろ、ヒエロニムス・ボスの『聖アントニウスの誘惑』に描かれた聖人は、誘惑の状況すらをも愉しんでいるようにも見える。ああ、つまり、アントニウスは苦痛を快楽と見なす――少なくとも、それを軽々しく「M」と読み解くようでは、聖マゾッホ師にはともかく、偉大なるサド侯爵殿に対する不敬となりかねないだろう――快楽者であるということか!

 自分の身体には傲慢なる君主が二人もいる。一人はアウグスティヌスと同じ君主。もう一人は、本を真面目に読むようになった数年前から、それまでは不毛の大地であった脳髄の中に住み着いた若き君主。後者は無意識下でも泥酔の時も、イメージの羅列を投げつけながら、〈それ>を思考させる。〈それ>の正体を記述し、具現化できるならばどんなに素晴らしいことだろうか!偉大なる先人たちは<それ>を追求する余りに、阿呆船に乗せられたり、逸脱者のスティグマを刻印された。

 とか何とか電車内書いてたら、気付いたらスタジオのある巣鴨駅で。バイト上がり直後の疲れか危うくスタジオのある巣鴨を乗り過ごしかけた。スタジオ逝てきます。

 「10世紀頃から、告白を聞く聴罪師には審問者の役割が求められ、獣姦から夢精にいたる、懺悔総側(罪の償いに関する規則を述べた書)に言及されたあらゆる性的逸脱や悪しき行いについて、ことこまかな質問をするようになり、性的な見返りなくしては女性に罪の赦しを与えようとしない司祭が頻出した」。クリフォード・ビショップ,2000,『性と聖[SEX AND SPIRIT]』,166頁。
  1. 2006/07/30(日) 19:25:43|
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横浜ローザ

 白塗りの娼婦、ハマのメリーさんをモチーフにした一人芝居。8月に公演があるのをすっかり忘れていた。出かけ様、多摩川駅にあったポスタァを見て思い出したよ。
 
 12‐15 日の間らしいからヨコハマ赤レンガに見に逝かなきゃ!値段も手頃なうえに学生席もあるとか、いやはや、ありがたいことです。かといって、現代のインテリゲンチャ見習いは、学徒仲間と共に、哲学書を読んで満足に浸る中学生の如き背伸びをする感覚でブレヒト作品を演じたりはしないのです。

 今はもう昭和じゃないんだオニイサン。それより、バイオリンを10数年ぶりに再開して文化的な有閑振りをアッピィルしようぜ!とかアンビシャる(=野望を抱く)。ガンベルトを腰に巻いて、白塗りクマドリのコープスメイクでバイオリン弾いたりしたら、すごいメメント・モリ臭がしてイイよね! きっとモテモテだよね。バンド活動何かより、よっぽどモテそう。

 肩書きだの資産だのを振り回すのはナンセンスとですよ。肥えたネオリベ共が群雄闊歩する時代、グリコばっかり食ってて漢がつとまるか? 恥を知れ!
  1. 2006/07/30(日) 01:30:40|
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それがblogクオリティ

 ブログになれば文章の質が落ちるか否かという点について。極論を振りかざせば、ブログだろうが、テキストサイトだろうが、mixiだろうが、文章の質には大した関係性はないだろう。オーディエンスに対する意識や、コミュニケーションの姿勢という点は各々で多くの差異はあるだろうが。

 書き手の側が、文章の質――ただ、「質」という曖昧な定義がどのようなものを指すのかは一言では言いがたい――に対してどのような距離を取るのかが問題である。もっとも、オーディエンスの存在や、オーディエンスとの距離感によって質が変化するということは考えられる。
 
 以前、攻殻機動隊SRCを監督した神山監督の対談に立ち会ったことがある。監督は対談の中で、創作活動全般に関わることによって発生する快楽物質は自己に酔うことだけでなく、オーディエンスがいることによっても発生しやすいと述べていた。監督の例では、仕事場に同僚や後輩がいる方が仕事に力が入るという体験談が添えられた。その点は自分も同様で、家にいる時は全く本を読む気がおきなく、外、特に電車内や喫茶店などでは本を読む気が起き易い。家で本を読む習慣がないという生活様式もあるが。監督の対談相手――上野俊哉氏――がネットについて興味深いことを指摘していた。

 対談内容は録音しておらず、内容のメモ書きと記憶を頼りにした復元であるが、、氏は、ネット(主としてブログ)における文章活動は、さしたるクオリティを獲得できない状態・レベルにあろうとも、ギャラリーや名声を獲得できたと錯覚し易い。そして、その錯覚が連鎖的に、書き手の高揚感を刺激する、どこかしらカラオケに近いものがネットであるという指摘を行っていた。
 
 テキストサイトとブログは、どちらの方がオーディエンスとの距離感が近いだろうか? これは一概に言えず、侍魂ブームが黎明期の頃にテキストサイト界隈に参与していた身としては、「テキストサイトシーン」なる想像の共同体に参与していた(いると思い込んでいた)頃の方が、オーディエンス――テキストサイトの観客たち――との距離感は近かったと思うし、サイト運営者同士の距離もテキストサイトシーンというバックボーンがあるためか、ブログよりもテキストサイト時代の方が他者との距離が近いように思えた。
 
 テキストサイト界隈が箱庭だとしたら、ブログは都市だ。猥雑で、色んな思想、高級な思想も、何も考えないで消費できるファーストフードのような思想も。文としての内容のある・ないを軸に据えた質の高低、その他、色んなものが混沌としている。サイバーパンクでお馴染みの、アジアとも欧米のスラムともつかない、あの混希的な世界。その代わり、人々は皆総じて孤立気味にある。そういうイメージがブログにはある。

 ともあれ、ブログは距離が遠いというのは主観的なものなので、ブログの方が距離が近いという人もいるだろう。ならば。距離の近いオーディエンスを意識する余り、快楽物質のたっぷりつまった質の高い文章が生まれるのではないか? 冒頭にも述べた通り、文章を書く側が初めから完成した文章を書くという意識で文章を書けば、それをアップロードする媒体は関係はない。ハードではない。ソフトが問題だ。ハイヒールという矯正器具によって、男が望むように鍛え上げられた膣が問題なのではない。手淫のし過ぎによって膣不感症になった、哀れな陰茎が問題なのだ。
  1. 2006/07/26(水) 18:43:19|
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Reise Reise Reise

充ち足りると思えば忽ちに消える肉の行いの空しさよりも、あの人は朽ちない悪徳の大伽藍を、築き上げようといたしました。点々とした悪行よりも悪の掟を、行いよりも法則を、快楽の一夜よりも未来永劫につづく長い夜を、鞭の奴隷よりも鞭の王国を、この世に打ち建てようといたしました(中略)そして、お母様、私たちが住んでいるこの世界は、サド公爵が創った世界なのでございます――三島由紀夫『サド公爵婦人』。

 何故作った! 名前さえ付けてくれない! 男性的視野から見れば力の象徴だが阿鼻叫喚の港を。そして無限なる海をその皮下に内包する女性――地獄の入り口。巨大なる魔魚レウ゛ィアタンの口を宿す解剖学的部品を持つ者――から見れば小魚に過ぎない部品による物理的弁証法。ナウなドルーグ風に言えば「イン・アウト」。

 希少性と偽善的なる道徳風情によって不可解なる抑圧や、主義主張のない素人には貨幣の交換によって免罪価値を施された「それ」よりも職業柄か、書物を介した旅というものに対しては、この上ない悦楽を覚える。

 用事があったビルに向かうため、横浜にて地下道通ったら、ブックバーゲンてなんですか? 有隣堂さん。3割―7割引きですか。家を出る前、密林から『Goth‐Icky ; A Macacbre Menagerie of Monstrosities』が届いた直後なのに!




 「キュートだって? そりゃ確に。だがねお嬢さん、キュートにはブルドッグを飼うことができないのさ!気味の悪いモノ[Macabre]はそこらじゅうにあるし、あんたは気味悪いモノを身に付けるのさ、フワフワな小兎ちゃんを身につけることと同じ感覚で」(拙訳)。前掲載書、図版壱。Beforeと題された左図の頁より。右図はAfter。

 そして鞄の中には『新文芸読本 澁澤龍彦』と遠藤徹『ポスト・ヒューマン・ボディーズ』が仲間入り。家でた時点で独文法本含め5冊。そこに2冊追加。
  1. 2006/07/25(火) 00:29:04|
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Montag

 昨夜は『ロボコップ』と攻殻SAC2ndをぶっ続け鑑賞。個別の11人が宣誓自決した辺りまで見たお(^ω^)。で、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』がまだ手付かずで家にある。それよりカート・ウ゛ォガネットJrの『スローターハウス5』を読もうと思っていつも忘れる。肉40セント。

 で、真っ昼間ゲーセン。11セント綿。正午は喫茶店で独逸語学習。いっひ れるね どいちゅ。いっひ とりんけ びぃいあ。夜、英語(予定)。昼夜の合間、和訳と原著の比較。

 「定義されるということは、社会的にあるいは社会学的に身分を明らかにするということである。このことは日本においては異常なまでに重視される。ゆえにファッションにおいては誰もが同じことを「言う」。ファッションの「会話」では、最も安全な決まり文句だけが用いられる。世界中の至る所で、服装が「私は何者か」を宣言する手段であるとするなら、すなわち服装は「私は何者か?」という問いにも答えうることになる。(60頁,松田和也 訳)。

 みたいなことが書かれた本――Donald Richie,2003,The Image Factory――の和訳原著比較。如何せん、日本語固有の文化名「Kawaii」「Kosupre」「Hentai」やら「portable phone(keitai denwa)」が文脈内でどう語られるかが気になるため、文化研究書の原著は重要だなあと思いしらされる。しかし、ナニカタノシイコトでも無いもんか。


"Japan's sex industry has been estimated as a ¥4trillion ($40billon)business"(Riche,2003,p63)。
  1. 2006/07/24(月) 16:32:36|
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浴衣

 浴衣ですか。浴衣ですよ。「des japanische Sommerkleid(和製夏服)」とかいうヤツ。しかもスタジオですか。真昼間に。つまりフライングV抱えて、エフェクターケースを手に持っても浴衣ですか。 「des japanische Sommerkleid」ですよ。




 スタジオは巣鴨だからね。お婆ちゃんの原宿なんですよ。しかも今日は三時ごろからだから、大混雑お婆ちゃん。スタジオが刺抜き地蔵通りの方なんで、土日の昼間とかは混む混む混む。そこで浴衣ですか。ええ、浴衣ですよ。飲みなんですよ。いわゆる花火大会とか逢引とかじゃなくて。

 誰かご一緒しませんこと? 8月の多摩川花火大会とか。浴衣逢引とか。飲みとか飲みとか飲みとか。中野ブロードウェイ巡りとか。文化帝国主義者の君主であるミッキーが(表向き)米国の親善大使を務める浦安ネズミ園とか。どこぞのお祭りとか。オヂサン頑張って浴衣着ちゃうぞ。よーし、今度はオヂサンがお医者さんだ。

 それよりも、"J-rock Groupies: 200 Photographs of Unique Japanese Girls"(写真)が早く届かないか(8月1日発売)とソワソワしすぎてやばい。ジャケで注文した。D.リチーの"IMAGE FACTORY"(写真2)も原著が届いたので訳本と対比させて読もうとすれど、前述の「J-ROCK~」が気になりすぎて手につかない。


  1. 2006/07/22(土) 12:31:26|
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Kuluture und Reise

先生からビスカヤの『北欧の戦士を』借りる用事で学校行ったら見事に忘れられため、クルドのHMアルバムでクルド語歌詞とトルコ語訳がついているのを貸された。

 あとロシア・旧ソ(北ユーラシア)のメタルやロックシーンは、冷戦終結以前から何かガラパゴス諸島のごとき化石状態でカオスだ。パンクの洗礼を受けなかったことや、ロシア人の高尚な文化に対する心性が影響している・・・・資料が殆んど無いから詳しいことは言えないが(´・ω・`)。東欧メタルは名状しがたいエキゾチックなメロディがたまらんよね。

 次回はビスカヤと一緒に、ロシアメタルの雄であるアーリアの音源を用意してくれるらしいハラショー。なんだ、このHR/HMを媒介とした文化の旅。

 にしても、夏に中央ユーラシア行くとか、先生羨ましス。部屋にはキリル文字文献だらけで羨ましス。して、今日もまた母親業のお手伝いでお泊まり保育から深夜帰還ですよ。手伝い自体は22時で終ったが25時過ぎに出るまで待たされ、ひたすら本読んでた町沢さんが『ブラジル』や『ロボコップ』や『ブレードランナー』。ついでに『グレムリン』とかについて書いているヤツ。

 そして相変わらず『ヘッドバンガーズジャーニー』を見に行けてない(´・ω・`)。ipodで「ザ・タイガース」を聞き続けてる最近だもんな。今更GSが熱いよ。
  1. 2006/07/22(土) 01:26:26|
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Sense of Wonder

 非常に何かとアレな偏りを見せていたボクのmixiミュージックにも、遂に一般への迎合――重鋼鉄のカーテンがチラっと取り払われる日が来ました。ペレストロイカですか。いや、グラスノスチですよ。そして、開放政策の第一歩となった劣兵がt.A.T.u.ですか。今さら。しかもロシア語版。

 t.A.T.u.の英語版なんて商業主義に迎合したグローバルアイテムなんぞ聞いてられるか! という反骨精神の表れでもありますが、言語に対する魅力を感じているからこそのチョイス。ついでに、ポピュラーミュージック内における英語の覇権(へゲモニー)問題に関する論文も書いているからな。第一項は夏休み前半に書き上げるべき、演習講義の提出課題であるけど。

 「はっぴいえんど」の日本語ロック論争から、旧ソにおけるロック事情。LOUDNESSの世界進出。ノルウェイジャンブラックメタル。ついでに t.A.T.u.の売り上げと英語の関係とか、洋楽アルバムと日本版の関係――日本版が発売されるか否かは英語か否かで大きく分かれるか? とか。あとは、ネットを介して、言語の問題をもろともせずアジアや米国に広まっていくJ-popとかについても触れていく予定。

 課題本となっていたブルデューを読みつつ、「サド公爵」の著作と『デカメロン』と三島を読んでいると友人に言ったら「節操無さ過ぎ」と失笑されたワタクシらしく、事例に対する節操がひろがりんぐな次第でございます。つまりね、話は元に戻るけど、言語ほどSense of Wonder(不思議さ/好奇心にをくすぐられる喜び)を感じさせてくれるものは無いというわけですよ。だからこそ、資料集めにも、資料の読み解きにも、語りにも、文章作成にも熱がこもる。
  1. 2006/07/20(木) 01:37:09|
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Regen

朝っぱらから雨が酷く、8時に起きたのに雨のため再度入眠。Ich klopfe Traum an Flur. それを繰り返し、雨が止む1時過ぎにやっと起きたよ。

 町田の古書店に資料を買いに行こうとすれど、第三水曜につき休みなことに気付き、進路を変えて一路横浜。速読英語塾に行くため。最近はめっきり英語もドイツ語も勉強してねス(;´Д`)。それよりね、ロシア語ですよ。女性の甲高声による歌唱が最高。むしろRammsteinの「Moskau」でロシア語に惚れ込んだ。t.a.t.u.のロシア語版アルバム買うか借りにいかなきゃ! 執筆中の論文の資料にもなるしで。

 Russischは「ダワイ」とか「ストーイ」とか「ヤポーニツ」とか「ハラショー。とても美味しいです」位しか知らんだが。来年こそはキリル文字学ぶか・・。して、Sturm und Drang Geistで今日もWissenschaftに精を出す。本日のテクストはA・トロイツキー(露),『ゴルバチョフはロックが好き?――ロシアのロック[BACK IN THE USSR]』とイアン・ビュルマ(蘭),『日本のサブカルチャー――大衆文化のヒーロー像[A JAPANESE MIRROR]』。

 まだ飯食って、Loftでペン買った位しかしてないのにもう夕方だYo(;´Д`)。
  1. 2006/07/19(水) 23:35:58|
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スカイソフト

 愛用していた洋書の代理注文業者。宅急便で商品を届ける密林(アマゾソ)と違って、文教堂などの本屋でも受け取りが可能なことから非常に重宝していた。我が家は基本的に夕方から深夜位まで人気が無いことが多く、宅急便が中々受け取れないからこそ、本屋に届けてくれるスカイソフトを重宝していた。

 御上からの支援金で、洋書を大量に買い込もうとしたら不正アクセスの影響による情報流出問題などで閉鎖だって(´;ω;`)ウッ。余りにも悲しいので、バイト後、澁谷のHMVでRamsteinの「Reise Reise」衝動買いしてきた。勿論輸入版ね。「日本版のみアートワークをリニューアル」とか抜かしておいて、そのアートワークが「Reise Reise」の次のアルバムである「Rosen Rot」のジャケ(日本版はまだ未発売)をそのまま使っているだけという怠惰にぶち切れて輸入版ですよ。独逸語歌詞だからって、舐めすぎているのですのね。とりあえず、「Reise Reise」はクリップが極めて逸筆すぎる神曲「Amerika」にぶちのめされ買った。「Moskau」も素晴らしいよ。

 独逸語歌詞へのこだわりといい、「Moskau」でロシア語を大胆にフィーチャーしたりする辺り。音楽市場における英語主義――英語を母国語にしない国が世界的な市場に出る際、英語歌詞を選ばざるを得ない状況――に歯向かう感じでカッコいいよRammstein! 最近入れ込み具合がやばいですな。「Mutter」をレンタルして以降、輸入版を二枚とヨ○バシのポイント全使用でDVD『ラムシュタイン的変態シネマ』も購入。再来日したら意地で逝く。とりあえず、Rammsteinは独逸語歌詞という点で必死に独逸を学び始めている自分にとっては二度おいしい。つまるところ「イッヒトリンケビーア」で「シュトルム ウント ドランク」だということ。ブレヒトもマゾッホもシェイクスピアもゲーテだって。おまけにマルクスもフロイトもカイ・ハンセンだって皆ドイチュランド! でも、ムンクはノルウェー!Wondebar!

 スカイソフトが亡き今、仕方がないから注文予定だった書籍類を密林で頼むことにしたよ(´・ω・`)。注文した本を本屋で受け取る、あのドキドキ感。値段的にペーパーバック程度と思っていた本が、とてつもないデカさで、しかもオールカラーだったことに、自分も店員も驚くような、あのセンス・オブ・ワンダーが味わえなくなることは、とても悲しい(´;ω;`)ウッ。
  1. 2006/07/18(火) 02:28:44|
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Ich Freude!

 またまたまた、飲み帰りなわけですが。明日、というか今日は一ヶ月半振り位なバイトなわけです。そんなことより、泥酔とまではいかない、ほろ酔い程度の帰宅後、ウイスキーロイヤルをガツガツと割りながら、攻殻機動隊2ndGIGを観賞。観賞後、ひたすらに、かつてはavexからアルバムが出ていたVOLCANOのDVD、「LIVE FROM THE LAVA」を観賞。映像自体しNOV(AION)が居た頃で、セト加入以前。VOLCANOを初めて見たのは、セトが加入して以降。DUELと対バンした頃だから・・1、2年前頃の渋谷乙(Kinoto)か。

 その時の対バンが「俺たちは渋谷がメタルの街になるように頑張ります」と言ったことを思い出すと、つくづく目頭が熱くなる。「ああ、これがいわゆる『シーン』なんだな」ということを切に実感させられた心地良い記憶が思い浮かぶ。その記憶はまた、自分が、病的なまでにメタルに傾倒して良かったと思わせてくれる瞬間でもあった。メタルを研究対象とする職業柄、メタルを嫌いになる位に客観的な、メタルに対する接し方を考えている性分。VOLCANOのDVDを見ながら、ほろ酔いの気分もあろうが、衝動的なもの――言葉とか、修辞学とか、形容詞の羅列では表せないような、メタルが内包する衝動とか、魅力のようなものが呼び覚まされて徹底的に心地良い。「考えるんじゃない・・・・感じるんだ」という言葉が気持ち悪い位に当てはまるセンス・オブ・ワンダー。

 そのような、自分が直接体験してきた現場の空気を思い出したりしていると、心底、自分が如何にメタル馬鹿であるかということを、改めて確認させられる。自分はメタルという、自分の大部分を育ててくれた音楽の一ジャンルに対して、忠誠や恩義を感じ、誓ったからこそ馬鹿正直に、アカデミックなレベルにおいてもメタルと対峙できるんだなと、改めて――それこそ、形容も名状もし難い、メタルに対する原始的な衝動によって、対峙の喜び〔Freude〕を実感させられる。

 にしても。ああ、ホントに屍忌蛇(
Gargoyle~Animetal~Volcano)というギタリストが好きなんだな、という衝動かつ、盲目めいた感情までもが呼び起こされる。国内ギタリストとしては、屍忌蛇>
TATSU(Ex:Gustank)>橘高(Ex;筋肉少女帯~XYZ→A)という感じの好みで、トコトンにフライングVを抱えるパフォーマーを敬愛するボクです。ああ、やっぱ屍忌蛇大好きだ。最近は忙しくて――それ自体、言い訳とか口実にしか過ぎないことは解っているが――ギターを弾く時間がないよ。
  1. 2006/07/17(月) 02:43:12|
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Geschaft

 最近は忙しかったり帰宅が遅かったりで――昨晩は午前一時頃に家族の晩餐開始。別段、逸脱家庭ではない。無意識に与えられ、刷りこまれてきた家族イメージに懐疑を持つという好奇心を感じなければ、我が家は逸脱・崩壊家庭にしか見えない。

 昨夜はMutter(母者)の手伝いで幼稚園のお泊まり保育で写真撮ったり先生のアシストをしたわけですよ。母者は教育従事者であり経営者―― 機会・国・状況に恵まれた人間に対し、長期間に渡って課せられていく教育の初段階であり最前線[die vorderste Line]でもある幼稚園で斗うケンプファー[Kampfer]なのです。で、0時過ぎ位にVater[父者]のブーブ[Wargen]で帰宅(母者は翌朝再び現場へ)がてら、いつもの店で軽く飯と。それが午前一時頃なわけです。

 その内に書くかもしれないが、大学教育と幼稚園教育は似ているところがある。偏差値という肩書きから解放されている点は、その最もたる点だ。でも幼稚園教育に従事する気はないのさ(・∀・)ハハハ!ピアノも弾けないし、手遊び、お歌、紙芝居朗読もできないし、幼稚園教育に関する講義や概論も一切受けてないしな。せいぜい、一世紀以上前の教育論であるジョン・デューイの『学校と社会』を読んだ位だ(・∀・)ハハハハ!

 最前線である幼稚園には0歳の時から籠やベビーカーに乗せられて通いつめており、園児や先生方に育児されたりも多かった。日本式社員育成なOJTならぬ「OSC[On the Scene Cultivate]/現場に放り込んでの育成」でありました。

 リアルな話をすれば、幼稚園教諭の多くは専門職の割には数年で寿退職する人が多い。使える/使えない先生に関係なく。子育て終了後に再就職する人もいるが。サイクルも早いから0歳から現場に放り込まれていた俺を知っている先生は殆んどいない。24年選手――俺が0歳の時に入った先生――と事務・経理・総務担当の先生位なもので、サイクルが数年で入れ替わる先生方には、教育組織を統括する権力者の血縁ということは知られておらず、現場で Mutterと会話をする際も常に他人行儀に振る舞うのです。

 知られたトコロで、権力の座を譲り受けるワケではないので不都合が無いのだが・・素性が知られていないからこその動き易さとかもあるのです。にしても異人さん(露人)の子ども可愛いよ! 異人さんの子ども!寒冷地域らしい透き通るように白い肌に、金髪とも違う栗色な髪色。まさしくお人形さんみたいな。パジャマは確かプリキュアだった気がしたな。
  1. 2006/07/16(日) 17:33:42|
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エロトピア

 今日も今日とて不埒なボクラのオアシス――蒲田の鳥万にて読書にいそしむわけだ。やっと第一次レポヲトから解放された! Eureka! Eureka! して、本日の夕伽は連日に引き続き北原童夢の『欲望するハイヒール』。

 性に対する言説は、消費を酷く扇る割には語ることを拒否すべき風潮が強い。自らのカサノバ振りを誇ろうとする男ほど、SMの内実を知らずにイメージとしてのSM(多くは日本に顕著な上澄みとしてのSMだが)的に「Sだよ/Mだよ」と誇り・語りたがる輩程、性という厄介な獣の目を直視できていないのではないか? 美学なきS気取りの男は、女に対する支配や所有をフェティッシュに消費しているにすぎないと断罪することは、誇張とは言い切れないだろう。

 ちょうど現在、有害コミック論争に関わる頁で、馴染み深い黄色い楕円形のロゴ。成年マークが登場したのは平成二年頃の話である。宮崎事件に余波としてロリータポルノや性に対する抑圧――13歳以上16歳未満の女子に<関わった男に対する〉処罰が厳しく取り締まられるようになった。

 有害論争もまた、宮崎事件の影響を酷く受けているわけだが・・・当時の性抑圧を全く反省していないようにも思える昨今の性氾濫状況に対し、偽善道徳で押さえ付ける状況もまた歪んでいると言わざるをえない。日本は。
  1. 2006/07/13(木) 03:58:22|
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刺青

 幾らファッション――いわゆる<装い>を誇示して、自分らしさだの、アイデンティティだのといった幻想を主張したところで、それは皮膚を覆った繊維の塊にすぎない。うつろいやすく、モードの変遷で駆逐されやすい自分らしさという擬態(むしろ義体)を表現しているにすぎない。などとアイロニカルに断言してしまうと「夢」がない。ついでに「資本を生み出す意思」とか、新たな文化を生み出す可能性を持ちうる「模倣」すらも否定してしまうことに繋がりかねない。よし、それは解った。

 しかしながら、ファッションの語源である、ラテン語のファッショ(束)のという意味に相応しく、マス・メディアがマス(大衆)のためのオピニオンリーダーを作り上げる。そして、マスがファッショに向かうようなマス・コミュニケーションを作用させ、マスが思惑通りに束ねられているような状態が発声する。そんな状況で自己の所有や統御を果たしていることの錯覚とも言い換えられる自分らしさを主張したところで、それもやはりナンセンスだ。しかし、資本主義下。スペクタルの社会、もしくはシュミラークル(模倣品)と差異で成り立つこの社会で、「自分らしさなんて幻想だ」とか「サイボーグみたいな身なりをしやがって!」と叫んだところで、潮流に乗り切れない者の妬みとして捉えられかねない。

 身体の統御とファッションの関係を考える際、常々思うのが「刺青」「ピアス」「各種身体改造」こそが本当の自分らしさ、いわば伝統的で古典的なな、西洋的な価値に立脚する「不動のアイデンティティ」というものの論拠になるのでは? と思うことが多い。ファッションはしょせん<装い> でしかない。モードと同様に、最新の前段階にあったアイデンティティは捨てられて・殺されてしかるべきものである。確固たるアイデンティティという幻想も既にナンセンスだ。

 しかし、そういったアイデンティティのモードを否定する、侮蔑することによって潮流に乗れない自分たちを正当化する流れはある。大衆と反大衆の関係性の中にも、勿論アイデンティティは発生しうるだろう。モードもモード批判も、実のところは共罪に関係にある。最早形骸的な道徳の展覧会と化した感もある戒律、特に<性>に関わるもので淫蕩を禁じてきた割りには、聖職者、すなわち権力を持つ司祭たちの独占的ポルノグラフィとして機能していたカトリックの告解の醜悪な部分を想像するがいい。時の権力者たちの醜態を風刺と誇張ながらに描き出したサド侯爵殿の著作に群雄闊歩する、傲慢な性的冒険を試みる権力者たちの肥えた陰茎を。偽善者たちが唱える道徳や美徳の醜さを思い出すがいい。

 身体統御と刺青について、澁澤龍彦の猛烈なシンパである師匠と話していた際、次のようなやりとりがあった。自分は身体統御の証として「自分の目が届く範囲の刺青」が重要だと思っており、それを師匠に聞いてみた。師匠は「自分では見ることができず、他人からも中々見られないトコロ。例えば腰と臀部の中間辺りに入れたい」と応えた。なるほど、自分では不可視であるが、身体を統御した――刺繍による痛みを堪えて、<何か>を彫った経験こそが、単純に視覚へと還元されることのない、観念的な自己の身体統御の証であるということか。

 師匠とのやりとりの折、ロバート・フィリップと新原実を敬愛する師匠(自身はギターを弾かないが、ジャパメタとプログレと球体関節人形には相当にウルサイお方)に、自分が兼ねてから抱く妄想的野望。それは恐らく実現されえない――何十年か先に、海外で彫る可能性も無いとは言えない――野望なのだが、右か左の腕に「フライングVのタトゥーを入れたい」と語ったら、師匠のドツボにはまったらしく、大うけしておりました(´・ω・`)。
  1. 2006/07/11(火) 01:16:46|
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北原童夢

 良いよね。前に『ボンテージ進化論』を読んで以来はまる。そして本日の知的夜伽――いわゆる夜分帰宅時の読書本は北原氏の『欲望するハイヒール』。芸術美学を持つボンテージから、昭和40年代の日本ビザール誌(『風俗草紙』『奇譚クラブ』)や「南村俊平」や「中川彩子」といった巨匠たち。洋邦SMその他、聖クラフトエヴィング殿によって「変態性欲」と名付けられた(便宜上の)性倒錯の数々をフェティシズムと結びつけて論考する快書。

 フロイトに依拠するフェティシズムは源流の思想上、男根至上・中心的にならざるを得ない。今のところ、本日の夜伽物にはフロイト的言説は見られず、女性フェティシストの存在も見受けられる。フロイト的な去勢――男根の切除・収奪――自体、男性のエゴから産まれた産物であるということを、頭の片隅にでも留めておくことに損はないだろう。性科学が産まれてから約2世紀が経過した現在なのだから。

 それにしても「鞭」だの「アポリネール」だのといった言葉を聞く度々、犬神サーカス団を。それも『御霊前』を無性償に聞きたくなる脳髄をなんとかして欲しい。こうゆう時にMp3プレイヤァは便利だよね。『御霊前』と性道徳的畔亭数久[グロテスク]の東西対決や酒をエンジョイしながら今地元着。

 レポートの続きヤらなきゃなあ(´・ω・`)。
  1. 2006/07/10(月) 21:21:33|
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ヘッドバンガァズ・ジャアァニィイ

http://www.metal-movie.com/index.html

 ああ、まだ見に行けてない(´・ω・)。行けるか否かは11日に御上よりの支援金が支給されるか否かによる。こんなにも熱く、素晴らしい映画が日本で公開されることは非常によろこばしい。しかしながらひっそりした公開規模や、「何故メタルは嫌われるのか?」という映画のテーマに対する国内の言説等については素直に喜べないというか、まだ不十分かとも感じてきている。しかもこの映画、北米ではとっくにDVD化になっているらしいじゃあないですか。

 聴衆と階層の関係。技術発展(特にMTVとの関わり)。グローバル文化としてのメタル。政治権力と若者文化の闘争としてのメタル。自殺とメタルマガジンの講読数との関係性の統計等々。メタルについての体系的な記述やアカデミズムレベルでの研究――カルチュラルスタディーズ,文化社会学,社会心理学,ポピュラー音楽研究,音楽学などの分野――は、『ヘッドバンガーズジャーニー』よりずっと昔からごまんとあるというのに、同作が先駆的であると考えるのはいささか尚早である。

 日本は市場的にはメタル大国と言われる割に、批評性や実証性のある記述や論考が育たない(非トレンディな、アングラレベルのファンジンなどには素晴らしいものが沢山ある)理由は複雑である。事実上『B!』誌の独裁体制であるジャーナリズムや、B!誌が率先して紹介すべき海外の素晴らしき書籍群に対するアプローチの欠如。その他、ポピュラー音楽研究に関するインテリゲンチアの側においても、メタルに対して<真面目に取組む>ような、良識と知識と愛情と、そして情熱のあるメタルヘッド風情のインテリゲンチアがいなかった等々の点がある。で、アンダー・ザ・フラッグ(Grave Digger)だ諸君。何かアウトプットを出す機会ができ始めたらどっかで告知していくよ。
 
 とりあえず、話を『ヘッドバンガーズ~』に戻すが、バンドやアーティストよりも「Wallser,Robert」とか「Weinstain, Deena」とか、メタルonアカデミアの連中――もちろん劇中には出てくるんだろうけど――について話題になっていないあたりは少々淋しくもあるし、それらの先人たちの著作が真撃に紹介されているかといえば、B!について述べたように不十分であるし、今のところ、日本のアカデミア側からも積極的な紹介や導入は望めない状況にある。素晴らしい先行研究や著作の翻訳も、今のところは望めそうにない。こけからはどうなるか解らないが、今のところの話。だから嫌々ながら修論のために翻訳しているんじゃないか。しかも、とてもじゃないけど外に出せるレベルではない翻訳(´;ω;`)ウッ。

 10年後位先に無事にポストがもらえて、潤沢な語学力が身についてきたらフィールドにしたい、ドイツ及び北欧諸国を。とはいえノルウェイジャンブラックメタル勢の痛切な叫び――ノルウェイの抱えるアイデンティティ問題(ノルウェイの今だけではなく歴史的な視点も視野にいれなければ)についての着目も、日本では余りお目にかかった記憶がない。海外のメタル本では嫉妬を禁じえない程に充実した記述があるというのに!!

 加えて、毎度毎度グチをこぼしているようだがアイドル気取りの「ギャルメタラー」やら、昨今のキモチ悪い「エアギター」熱は、本質性や姿勢を酷く欠いた見世物(スペクタクル)と感じて違和や嫌悪を示してしまう。ようやっと、「元気が出るテレビ」のヘビメタシリーズを冷静に見られるようになってきたというのに(´・ω・`)。こんなことばっか言ってるから「メタルにコミットメントする女は男に認められる・許されなければ、その位置を確保することができない」とか、白い肌でイギリス語を話したり書いたりしちゃう異人さんによって書かれちゃうんだわ! 実際、その指摘は国内外を問わず鋭い指摘となりうるが。
  1. 2006/07/08(土) 22:08:26|
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Legion

 課題軍団が刻一刻とせまる。え~、まずは明日までに本一冊要約。あとは水曜までにレポートを4千字以上。八月半ばまでに1万2千字以上で中論文。それからA4×3枚以上のレポートを一つ。中論文以外は適度な量だな(´・ω・)y-~~

 たかだかA4数枚程度も埋められない学生は授業を聞いているだけで、ものを考えていないということだ。パパとママの、ついでにセンセイや友達の愛情が足りなかったのか? マスコミュニケイションから生じるメッセージなんぞ、鞭にもならなければ毒にもならん。ただの飴を愛情と勘違いしているだけだ。タマ落としたか! もっと本を読め!

 ついでに、本を読むというとの放棄――すなわち、自主的な知識吸収を放棄するあさましき怠惰よ! では、本を読めばレポートが書けるだろうか?、一先ず、書けないことはないだろうが、怠惰から産まれしモノの多くは、作品や人体の華麗なる流用と縫合で『フランケンシュタイン』を書き、名前さえ持たないアウトサイダーを創造したメアリ・シェリーの髪の毛にすら及ばない出来損ないだろう。おお、総統! 歩けます! レポートのために本を読んだところで付け焼き刃。普段の鍛練に書物を介した旅。そして言海にどれだけ溺れてきたかが引き出しを鋳造し、学期末にものをいうのだ。文系に限った話だが。

 そんな偉そうなことを記す割に寝坊&サボリ癖が復活しつつあるボクです。しかし木曜の講義は四・五限だから堂々と昼迄寝たり、ゲーセンなんかに入り浸れるのさ(・∀・)ハハハ!
  1. 2006/07/07(金) 00:52:07|
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検索ワァド

 最近「ギャルメタラー」で検索しての来訪者が多い件について――いつぞやか『METAL HAMMER』誌の充実性を引き合いに出しつつ、国産の『B!』誌について「勘違いした売女や、偶像を推進しようとする見世物的な姿勢にはネオリベのにきな臭い、ついでに言えば不埒極まりない姿勢しか感じえない―出版企業も勘違いした参与者も」とか書いたな。

 JUNKさんのスタンスには、限りなく<あざとい資本主義〉的モチーフやメディアの言説を、さも啓示とするような盲目者に対する批判や情報資本主義批判が顕著にある。それ故、シチュアシオニストにシンパシーを強く感じている。


 その一方で、それが下位文化であろうとも、文化に対する真性的で真面目な享受姿勢〔atitude〕を要求したがる指向がある。それが先のギャルメタラー批判や「にわか」批判に繋がるのです。今日も飲んだくれながら、『NANA』をクリティークしまくりました――特に、中島よりも戸川の純ちゃんや林檎ちゃんの方がヴィヴィアンが似合うとか、そんな話をしながら。ああ、今日は『NANA』が酷く歌姫幻想というバンド内性役割分業を再生産して広めているとかは言わなかったな。

 メタルを上っつらだけで消費しようとする不埒な姿勢は許さん! いちメタルヘッドしては。女メタラーが問題なのではなく、「ギャルや女性」という部分を馬鹿の一つ覚えのように強調する<にわか衆>が問題なのだ。文化研究者としては、享受姿勢の良し悪しについての判断を下すべきではないので、また別の話になってくる。
  1. 2006/07/03(月) 01:13:07|
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プロフィール

JUNK

Author:JUNK
 いわゆるトコ、侍魂以降のテキスト系サイトとして惰性してから早4年(2005年当時)。日記部のみblogに移行しました。それまでの素性とか、堆積物は「サイト」の方を参照で。現在の方は「mixi」とか。

 飲んだ暮れ。夢想家。澁澤シンパとみせかけて種村派。専攻は一応、文化社会学とか言いたいんだけど、実際の専門的らしい専門はない(と思う)。

『家畜人ヤプー』、沼正三、女性のサディズムと父権制におけるマゾヒズム、少女のエロティシズム、アリスイメージの消費、ロリヰタファッション、ヘヴィメタル、サタニズム、オカルト、タロット、少女小説、テクスト論、表層的SM批判、ジェンダー論、クィアスタディーズ、なんかよくわかんないけど色々。

 文化批評系よろず同人誌「Kultur Trieb」主宰。執筆者、購読者募集中。HPとかはまだ作ってないので、詳しくはmixi内のコミュを参照。

「Kluture Trieb」(mixiコミュ)


◇twitter
割と、お仕事関連とか、読んだ本とか、クダラナイ話とかもつぶやき中。

@junk666
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