中途まで読んでいながら、暫く放置していたD.ダヤーン&E.カッツの『メディア・イベント』を読了。
まず、大筋は省くとして。「メディア・イベント」とは、中継される報道が日常的な事件ではなく、歴史的なモノであるとメディアが規定し、イベントの主催者・放送局・視聴者の駆け引きによって成否が規定される。また、イベントは予めに約束・計画されたものである。
例としてロイヤル・ウェディングや要人の葬送。万博。オリンピックなどがあるが、最近は貴文クンタイ―|Φ|(|゜|∀|゜)|Φ|―ホ! が一番顕著なメディアイベントだな。LDショック以後、「秒読み段階」と囁かれた逮捕がイベントとして発露した際の、各種メディアにおける「祝祭性」たるや凄まじいものがあった。
主催者を、さしずめて検察と規定するなら、成功条件は貴文クンを悪として処理すること。メディアも無論、その流れに乗っとり報道を行う。
だが、視聴者における駆け引きでは、メディアの露骨さを批判する声も多く、主催者の思惑からはややズレが生じている。しかし、近年の拝金的傾向や、野暮ったい勝ち組立身主義、加えてデイトレ・証券バブルの浮わつき風穴を開けたという点では、主催者の思惑はかなりの点で達成されたのかもしれない。
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- 2006/01/31(火) 22:25:11|
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ものスンゴク大雑把に括ってしまえは、mixiは内であり、blogは外である。その差異は、プロフィールをある程度積極的に開示しつつ特定の相手に文章を公開するか、最低限のプロフィールを公開しつつ、不特定多数に情報を公開するか、というところだ。
それを踏まえると、mixiにおける日記・テキストは必然的に日常生活や、雑記的なものに終始する可能性が高い。しかし、そこはアレだ、内だろうが、誰に見られようが、お構い無しに書きたい文章―内から湧き出る批評を書きたてる始末。mixiの更新は6割方携帯から行っている(携帯からの分際で長文多し)。そのため、家に帰ってきてPCの電源を入れた後は、誤字・脱字の手直しや文章の一部推敲を行う程度で、新規に文章を書き下ろすという習慣が減りつつある。ここ最近のblogに対する更新頻度が低い原因の一端はそこにある。
そのため、お茶を濁すかのようにmixiに書いた文章の再録が続くわけだ。今回のテキストもだが、mixiには載せてない書下ろしの文章もちょくちょく書くから、そこら辺りは勘弁してくれヨ。
さて、mixiの方はキャラクター性―それを構築するために、潤沢な自己開示(プロフィール)が存在している―が日記・文章に大きな影響を与えている部分が大きい。これは、かつて黎明を極めた侍魂以降のテキストサイトブームについても、似たようなことが言える。ただ、そのキャラクター性=お約束ネタや売りばかりを頼っていては、発展を見込むことができず、いつかはネタを切らしてしまう。「テキストサイトがつまらなくなってきている」という言葉を最近聞くようになったが、前述した悪癖に依る部分は少なからずあるのでは? と、キャラクター性に頼った文章を、侍魂のブレイクと共に始まった2001年のテキストサイトブーム以降、大体1年半に渡って垂れ流して来た私は思う。
かつてのように、「非モテ」や「痛い」キャラばかりを前面に打ち出し、どうでも言いような事をさも大仰的に、フォント弄りを駆使して書き連ねる手法にはもう飽き果ててしまった。その反動か、「中身のある・読ませる文章を!」という強迫観念に苛まれる模索期を経て、現在のスタイルに落ち着いた経緯が、私が四年以上に渡りネット上に垂れ流した文章には存在している。
とまぁ、そんな昔話は擱いてく。さて、私は先ほど、mixiは潤沢な自己開示があるという点を指摘した。併せてキャラクター性が文章に影響―先には書かなかったが、それはポジティブな評価を錯覚させるフィルターとして機能しうる―を与えることを指摘した。一方で、blogはmixiに比べて自己開示が少ないという点を指摘した。つまり、blogはポジティブなフィルターがmixiに比べて得にくいということに繋がる。
だが、blogにもポジティブフィルターを得るための手段はある。それは、「積み重ねること」である。テキストサイトブームの頃、内容は短文であろうとも毎日更新されるサイトに通うことで、サイトや管理人・文章に対する愛着が沸くという構図があった。とりわけ、短文・ワンパターンなネタに終始するサイトに対して、そのことが言えるだろう。blogもそれと同様、内容が少なくとも・無意味であろうとも、毎日の更新を積み重ねることによって、ポジティブな評価―それは文章に対する好意的な歪曲であり、管理人への愛着をも意味する―を得る可能性がある。
ただ、その点については閲覧者の価値観。とりわけて、「ネットで読む文章に何を求めるか?」という点に左右される部分がある。テキストサイトブームを支えた主要層が、侍魂の大ブレイクによって流入してきた大衆層・ライトユーザーたちであることは重要な点である。そのライトユーザーの価値観を重視するならば、内容を問わない更新の積み重ねによってblogへのポジティブな評価が高まるケースは多いだろう。
だから私は、積み重ねに頼らない文章。どの日の投稿を開こうとも、一つの批評やエッセイとして、読むに耐える文章をできる限り目指そうと思った。天邪鬼も良いところだな。テキストサイトブームの凋落については、過去に、「テックウィンよこんにちは―女帝と私」などのテキストで軽く触れたが、また、気が向いた時にでもちょろちょろと書き綴ってみようと思う。尚、mixi内では、「内意識」からか、過去の栄光であるテキストサイトについて語ることが、何故か少ない。そのため、このblogにおいてテキストサイトに関する文章を見かけたら、軒並み書き下ろしであると邪推して貰って良い。
- 2006/01/25(水) 01:06:38|
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先週、短期バイトを探すため『an』を見てたら、渋谷にメイド喫茶がオープンするんだと('A`)。だから、何度も言っているようにキュア(キュアメイドカフェ)だけは「ガチ」なのよ。ガチな代わりに、マス・メディアが飛びつきそうな、メイド喫茶像とはかけ離れているがな。
ちなみに、雑誌記事を対象としたデータベース(「マガジン+」)で「ロック喫茶」について調べていた際、「喫茶」で調べたせいで、ロック喫茶とはかけ離れた記事ばかり引っ掛かったことがある。色々と調べてみたけど、ロック喫茶に関する記事見つからなかったヨ(´・ω・`)。で、参考までに下記に記事のタイトルを少し載せてみるよ。
「企業研究その2 メイリッシュ(メイド喫茶/本部・東京都/1店
癒しとサプライズをコンセプトに1日来店客数400人超」『商業界』2005年5月号。
「結婚できません メイド喫茶にはまる男たち」『エコノミスト』,2005年8月刊 Vol83。
「焼肉、美容室、居酒屋、果ては金融まで。異業種が続々参入中」
,『SPA!』2005,54号(37)。なお、同誌では「ここまできた!「萌え便乗ビジネス」末期状態」という特集が大々的に組まれている。
まぁ、最早語る言葉を持たず。そりゃあ、メイドさんに五月蝿いJUNKさんも呆れますよ。秋葉原とメイド喫茶を執拗なまでにイコールで結びつけようとするのは、率直に言えばマス・メディアの権力。その最もたるは『電車男』の大ヒットによる「秋葉系文化」の(大幅な誇張を含んでの)捏造ということだ。
キュアができた当時。まだ高校卒業したての3月頃だったから、もう5年前になるかな。秋葉のメイド喫茶といえば、「ひよこ屋」ができるまではキュア一件のみ。主流のマス・メディアにおいても、秋葉というか、萌え産業への注目へは殆ど無かったと記憶している。
それが今じゃあ、『東洋経済』や『商業界』ですら、メイド喫茶ビジネスに熱い眼差しを注ぐ混沌的状況だ。何故、それらの雑誌から熱い眼差しが注がれるか? という問いには、実に簡潔な答えがある。「金になる」。只それだけの話だ。
「メイドさん」のなんたるかを吟味しないまま、とりあえず「ウェイトレス崩れ」のような「コスプレ(笑)」とも取れないような衣装と、「それっぽい」サービス・店名を用意すれば、もう、一億総メイド産業ですってよ奥さん。
極端な話、メイド服を用いる必要性が全く無い職種・産業であろうとも、とりあえずメイド服を制服代わりにして、萌え関連と結びつければ客もメディアも飛びついてくるという、実に浅はかなイデオロギーが、今もなお、萌え産業とその周縁を覆っている。後者はかなりの確立で取り上げるが、前者についてはどうか知らん。
イデオロギーの最もたる例は、作戦の夏に一大センセーションを巻き起こした「もえるーむ」であるという点に異を持つ者はいないはずだ。詳しくは下記のリンクを参照して欲しいが、「秘密のサービス」と言うアレ名前の追加サービスを記載しておいて、「当店は風俗店ではありません」と書く辺りに失笑した、淡い夏の思い出。
◆もえるーむ(跡地)
http://www.moeroom.com/◆もえるーむ(まとめblog)
http://diarynote.jp/d/29705/20050710.html 果たして、この萌え・メイドバブルがどこまで暴走していくか。まぁ、アレですよ。少なくとも「メイド・メード」と「メイドさん」の違いを明確に出来なくては、JUNKさん的には「メイド喫茶」とは呼びたくないな。というヤツ。むしろ、冒頭でも書いた通り、キュアだけはガチ。
加えて、近年メイド喫茶を題材にしての文化研究が人気を博しているようだが、マーケティング面への着目―ようは、先に述べたような雑誌記事の参照や、企業側の戦略等への着目を重視しないことには、浅見克彦が『消費・戯れ・権力』(2002)で指摘した、カルチュラル・スタディーズの悪癖である「肥大化したテキスト分析」への耽溺を逃れる事ができない。
とりあえず、記憶を辿る限りの適当メイド史は、『禁断の血族』→『殻の中の小鳥/雛鳥の囀り』→第一次メイドバブル(メイド対巫女の二極化が主流を占める)→何か色々あって、ギャルゲ・エロゲ市場でのメイドブーム到来。つまりメイドが勝ったワケだな。『エターナルメロディ』のアイリス・『慟哭』の子鈴サン・『上海待女物語』『メイド狩り』他多数のメイドがセンセーションを呼ぶ→『慟哭』と『雛鳥』を主な契機として、JUNKさんのメイド傾倒始まる→『臭作』で幾多のお友だちが涙を飲む→乃絵美ショックで途方も無い数の大きなお友だちが漢泣き→メイドさんロックンロールその周縁・・・・そして混沌とOVA版『夜勤病棟』を通じ、『電車男』。秋葉系文化・メイド喫茶・オタクを取り巻く言説は、『電車男』以前(B・D)以後(A・D)で大きく変化を見せている。
メイドエロゲ乱発期のことを思い返すと、『めるふぇんめいど地獄』を思い出すんだ。何故だか印象に残っているんだな('A`)。
AD:01年。知り合いを案内するため、開店直後に一度だけ行った過去のある「ぴなふぉあ」に行った。で、同行者から「ぴなふぉあ」がドラマ版『電車男』のロケに使われていたという話を聞いた。そのためか、明らかに異質な客―ギャルちゃん・ギャル男の客が多さが目立ったな。
ああ、秋葉原も変わったもんだね。昭和通り口付近も、何かハイテク都市っぽくなって、電気街口も、ホームレスが行き倒れてる広場が無くなったし。
電気街口の駅を出てすぐ。今は小さいニューデイズがある辺りに、「いすづ」と言う名のラーメン屋があったんだ。昔。その頃の秋葉原が懐かしい。「いすづ」のラーメンはメチャウマだったんだゾ。ああ、そうそう、JUNKさん的にはメイド絵師さんのツートップは「横田守」と「村上水軍」だYo。裏ツートップで「田丸浩」と「西川魯助」な。
- 2006/01/23(月) 23:25:03|
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気づけば、大幅に更新が空いていた件について。それでもmixiの方は、毎日バッチリ更新していた。すまない(´・ω・`)。だが、毎度毎度・・・というワケではないけど、内容や力の入れ具合を考えると、極限られた特定の相手に対して向けたmixiよりも、閲覧者の特定ができず、その上無限の海に開かれたblog向きの文章ではないかな。なんて思うんだ。
まぁ、誰に見せるなんてことを一々考えていたら、私が納得する文章などかけるはずも無く、mixi内で馴れ合う気やネゲット―最早死語の感すらも漂う、「ネットで(異性を
)ゲット」の略―する気が満々なら、もっと解り易くて、共感を呼びやすい、「チラシの裏的内容」を書きなぐってるさ('A`)。
内輪ネタや、フォント弄りや大仰な表現・お寒い自虐を駆使して何事もない日常を、さも面白いことが起こってますよ! という形で書くのは、テキストサイトに転進して以降、最初の1年半位でもう飽きたんだ。その辺りは、「『テックウィンよこんにちは』―女帝と私」で少し触れたかな。
そして、此処数日はmixi内で香ばしい祭りがあったり、相変わらず続く楽天祭り。それに追い討ちをかけるような、一昨日の「ライブドア・ショック」にオジャマモンの証人喚問と至れりつくせりで、blogの更新がおろそかになるってえもんだ。というわけで、お茶濁し的に、mixiからの転載ドゾー。
余談だが、mixi内で起こった祭りについては、mixiに登録している必要があるが、
「普遍的美醜の効用及び外見重視祭りについて」を参照してくれ。題名にリンクを張ってあるので。
From mixi 2005年1月17日「 Critics,Behaivor and Madness」
今日は慌ただしいですね(´・ω・`)。耐震問題で小島社長の証人人喚問。それから目を反らすかのような、ライブドアへの家宅捜査。おまけとして、89年にあった連続幼女殺人事件の宮崎勤に対する死刑判決(何回目だ?)と盛りだくさん。
宮崎勤が幼女を殺した動機の一つを、劇場版EVAのラスト―アスカの首を絞めて「気持悪い」と嘲られる―になぞらえたのは大塚英志だったか。多分『おたくの精神史』で。でも斎藤環センセだった記憶も。
まあ、それは置いておく。自分を受け入れる幼女と行く当ての無いドライブを楽しんでいたが、幼女がゴネるか宮崎を拒否する様相を示したため、補完され、完璧な世界は崩れてしまう。即ち、通過儀礼として幼女を絞殺した。そこで「気持悪い」と嘲られたかは不明だが。
判決が迫る獄中で「夏コミのカタログが欲しい」と言う辺り、宮崎はやり手―マスコミ受け狙いが巧みだな。また自著『夢の中』も中々面白い。獄中の成長。孤独の中で得た教養を晒け出す様は、事件直後に知的成熟(と言うより子どもの背伸びか?)が話題になった酒鬼薔薇との対比で輝きを増す。事件自体は忌まわしいものだが、久々にほのぼのした興味関心と狂気を感じた。
- 2006/01/19(木) 01:12:14|
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楽天祭りwwwwwwww依然炎上中。そんな私も、楽天ワンクリック詐欺の「被害者」の一人ですから(´・ω・)。とまぁ、単垢なうえ、楽天とラベルなどによって発生して、元々保持していたポイントに+した形で購入したので、まだ「良心的」な部類に入るのだ。などと、自己弁護をしてみたり。
そんな楽天請求祭りが発生した当日の夜、帰ってきた私はmixiにて下記のやうな一文を書いていた。ここ最近blogの更新がおろそかだったのは、楽天祭りの影響が大いにあった、と言っても過言ではないだろう。
とりあえず、事の詳細~顛末は下記のコミュ「楽天ワンクリック詐欺問題」と、まとめサイトを見てくれヨ。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5349850http://blog.livedoor.jp/rakuten2006mondai/ ガシガシと英文献消化しないとな・・・と思いながら帰ってきた矢先にこれだよ。 盛 り 上 が り す ぎ て 作 業 が 全 く 手 に つ か な い 。自分も自分で「楽天祭りの顛末―宝島社刊『HR/HM黄金伝説』と荷宮和子,『フェミニズムの没落』を頂きました。ミッキー(三っ木 ―)お年玉ありがとう(^ω^)―あなたの慈善により、へヴィ・メタル・スタディーズ・ジャパンはまた一歩前進の徒を踏みました」(2005,1月6 日)。 とか書いてるしな。
で、とりあえず現在はIan Christeの『Sound of the Beast ; The Complete Headbanging History of Heavy Metal』を消化中。英語ワケワカメ過ぎて魂でかけてます。お陰で酒が進む進む('A`)。
148 名前:番組の途中ですが名無しです[sage] 投稿日:2006/01/04(水) 14:14:27 ID:OsKBFPQi0
やべえwwwwwwwww俺のとこも大量にきたwwwwwwwwww
親に怪しまれたbうぇうぇええええええええwww
265 名前:番組の途中ですが名無しです[sage] 投稿日:2006/01/04(水) 17:25:04 ID:vbD+kDkf0
>>252
うちにも同じメールキタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・* !!!!!
おまいらつかわねーだろw
コンドーム:5日発
ミカン:5日発
趣味物:4日発
ラーメン:未定
そのほか注文してないのが2垢。
なんだかんだ言って垢取ってるんだなぁ
132 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2006/01/09(月) 12:02:37 ID:Ubvm6QBe0
普段買わないものを思い切って買ってみました
電動はぶらし×3、痩せる石鹸×20、でんち×20コ、みかん×2ハコ
残り垢40
・・・・・・・・・・・・・・・・(´・ω・) カワイソス 。
(2006/01/09)
- 2006/01/13(金) 23:24:48|
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人間は幾ら文明を、年代を重ねようとも、「恐怖」と「性」を克服することはできないのだろうな、と哲学的な命題を考えてみる三が日二日目。黒人男と日本人女性による情交の複製品を見ていた際、黒人に対する人種差別の根底は、白人男性の、黒人男性に対する性的恐怖―冒涜的な男性器のサイズと、白人女性の略奪・誘惑―がある。という通説をふと思い出した。
黒人に対する人種差別は、白人男性から黒人男性に対するものが主であった。第一波のフェミニズムであるウーマンリブは白人女性らよる、女性解放を命題とした異議申し立てであった。ともすれば、「黒人女性」という、被差別者の一番下に位置するするであろう存在は、どういった形で語られているのだろうか? という考えも同時に浮かんできた。
職業病というか、AVにしろポルノグラフィにしろ、グラビアにしろ。事が済んだ後―酷い時には使用の最中にも―に眺めていると、沸々と疑問やひらめき、批評が沸いてくる。その辺りについては、一例として、以前にmixiの中で以下のやうな事を書いた。
ジョルジュ・バタイユが指摘するエロティシズムは、死に向かうことに似た衝動、いわば情緒・観念的なエロスである。一方、澁澤龍彦が『エロティシズム』において、現代のエロティシズムは「覗視者(ビジョネイア)」であるとする。や、幻視者であったかもしれぬ。
死とエロスの結び付きは、オルガズムによる飛翔感を伴う恐怖や、メメント・モリ(死を思え)という観念が大きく影響していると思われる。「亜美飛んじゃうー!」という、一見何の変哲もない迷(名)台詞の中にも、バタイユ的エロスをみることができる。
M.マクルーハンはメディアによる身体拡張論を唱えたが、澁澤の指摘する幻視的エロスは、正に身体拡張に他ならない。主に動画ではあるが、複製品となった情交を見る我々は、覗視することで情欲を感じ、まるで、その場に言わせず何処かを見渡せる「神的視覚」を所持したかのような錯覚すら感じさせる。
現在は携帯の大容量化により、情交動画の複製品も簡易に落とせる様になった。その点も、身体拡張による覗視に大きく作用している。電波さえあれば、どこに居ようとも、テレビやビデヲといった機器が無くとも、我々は携帯電話と言う神の手を用い、それによって拡張された覗視によって、現代的なエロスを堪能するのだ。そこに死を思う衝動は無い。あるのは、アウラを失い覗視される愛欲のみだ。(2005,12,17)。
まぁ、どうしても色々な事を考えてしまう性質でして。で、丁度冒頭に述べた疑問が沸いた翌日かその当日だったかな、町田のブックオフを散策していると、ハルセル・グレース,1977,『黒い性・白い性』を105円でゲット。ブックオフでは目的を持たずに散策するのが一番か賢い利用法と云えるな。で、入手後は読むのを忘れていたため、正月二日目はケンタッキーにて昼飯後、そのまま読む読む読む。
そんな正月さ('∀`)。色も季節も減ったくれも無いような調子だ。
- 2006/01/02(月) 22:03:23|
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あけましておめでとうございます。マス・メディアの皆様方は、まだまだ、「オタク」で視聴率と言う名のあぶく銭を稼ぎたいご様子で。何時ごろだったかな・・・31日にプライドの裏番組で、「秋葉探検」のやうな単発企画やっていて、また「メイド喫茶」かよ! と、言い加減メディアによる秋葉文化の取り上げ―絶対的な必然性は無いにせよ、その象徴としてメイド喫茶が取り上げられる―に対しては、耳にタコが出来るような思いであります。
確か、正月にドラマ版『電車男』一挙放送。ついでに、合間に(事前収録済み)の「オタク駅伝」を放送とか。もはや、コメントのしようすら無い現状ですか。むしろ「トレンディ」の名の下に、全てが赦されると言うヤツですか。トレンディもしくは普通/キモオタという構造があってこそ、『電車男』という物語が成立するワケで、メディアがはマッチしまくりで、ポンプを使わず、その構造を再生産し続けるという悲しき現実。や、別に悲しくはないが、あざとさには嫌悪感をひたすら覚える。
とりあえず、メイド喫茶と言ったらキュア以外認めない性質のJUNKさんとしては、メディアの露出を最低限度に留めるキュアの方針にこそ「店としての心意気」を感じつつも、メディアが面白がって取り上げるメイド喫茶像を打破できるのはキュアに他ならないと思いつつ・・・・。マスメディアという権力を打破するのはやはりキュアが。とかいう調子になはしない。
まぁ、スタイルとしての「秋葉系」も、『NANA』近辺の気持ち悪いブームと一緒に、直に消えていくだろうなぁと思う次第。しかし、精神性の無いファッションパンクを幾ら批判しようとも、セックス・ピストルズ自身、ファッション・ショップの「セックス」を中心に動いてきたワケだから、ファッションパンクというのは精神性と言う部分を除けば、パンクの伝統に(見かけだけ)忠実なんだよなぁ。なんて思うこの頃。今年も頭から酒びたりです。
- 2006/01/01(日) 00:39:44|
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