うっかり、とあるURLを開いたせいで、さっきまで書いていた文章が全部ぶっ飛んだ(´;ω;`)。今更同じ文をもう一度書けといわれても書けるものではないので、要点だけかいつまんで書こうかと思う。
○匿名性の是非について
匿名性は至極両義的(アンヴィヴァレンツ)なものである。関係者・当事者たちにとって、匿名の意見が肯定・ポジティヴ・擁護的なものであるならば、有用として称賛される。逆に、否定・ネガティヴ・批判に加えて誹謗・中傷的なものであるならば、「匿名性」と言う部分に体の良い帰属処理が施され、批判や、意見自体が「無価値」なものであると見なされる。
そもそも、匿名性を批判する当事者自身が、匿名性は良いものなのか、悪いものなのか―というよりも、非匿名な意見が「本当に良いものなのか」といったレベルでの分別や定義付けができていないという点が多々あることが、少々鼻に付く。私自身は、匿名・非匿名に限らず、それが有用な意見であるならばしかと受け止める。
「俺は厳しいが公平だ、人種差別は許さん。黒豚、ユダ豚、イタ豚を、俺は見下さんすべて―――平等に価値がない!」と言うヤツだな。匿名・非匿名を問わず、全ての意見を同様に並べてみれば、価値・無価値はおのずと見えてくるはずだ。偽善極まりない「正義」や「道徳」などというものに支配されていない限りは。加えて、ネット上において、HNを用いて意見を発信する時点で、匿名性を批判する権利を持たないのではないだろうか。
○匿名の定義について
ネット上で意見を発信する際、HN等を隠して意見を言うことが匿名なのであって、HNやHP・blog上で意見を言うことが非匿名なのか? それとも、身元や肩書き、所属すらを晒した上で発言を行うことが、ネット上においても非匿名であると判断され、意見の中身はどうあれ、責任を持った発言として神聖性や称賛を帯びるのであろうか? 先にも述べた通り、私自身としては、中身を問題視する。つまり、匿名・非匿名のような、単純な二項対立―解りやすい善/悪に分けるような、キリスト教的な思考―などは、非常にどうでも良く思っている。その考えの多くは、澁澤龍彦の影響下にあることは、得てして否定できない。というより、私自身は、道徳を振りかざす偽善や、定義や批評に対する怠慢者による、的を得ない批評・批判に価値を見出せない。
「日本の刑法第百七十五条では、「その内容が徒らに性欲を興奮または刺戟せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道徳概念に反する文章」という定義になってており、この定義には、いちじるしく道徳の臭いがするのである。(中略)。もう一度繰り返すが、「道徳の名前でエロティシズムを弾劾」すれば、それは必ず偽善におちいることを免れないのである」(澁澤龍彦,『エロス的人間』(文庫版),15-6頁)。
匿名に関するものではなく、猥褻に関する澁澤の文章であるが、「エロティシズム」の部分を「匿名性」に代替すれば、私の意見におけめ大筋は理解できるのではないかと思う。まぁ、この駄文をも「所属や素性を明らかにしない、匿名性な文章であるから」無価値な批判である、とするかどうかは、非匿名性であることを無批判に・盲目に賞賛する偽善者たちの腹一つに委ねられている・・・・かもしれない。
51 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2005/12/27(火) 02:13:24 ID:2Gm//jy80
http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_05/image/g20040513qeen.jpg なんかすげーキタネェ。
(from
【グラビア/盗作】グラドル石塚麻畝が上戸彩・中川翔子ら有名blogを多数盗作 自身のblogにそのまま掲載★4 ↑さえ、うっかり踏まなければ・・むしろ、「新しいウインドウを開く」でやってれば、もっとしっかりした文になっていたんだよ(^ω^)。悔し涙を堪えて、やっつけ仕事的に書き直しました。本当にありがとうございます。とりあえず、恐る恐るトラックバックとかいうのを使ってみます。どう見てもチキンです。本当にありがとうございます(^ω^)。
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- 2005/12/28(水) 01:20:11|
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今日こそ「テキストサイト&blogにおける文章のアマチュアリズム性」について書こうかと思ったら、またしても、blog企業を巻き込んだ(?)形でが炎上中ですよ(
参考サイト)。しかし、今年はblogにおける愚鈍な様―特に、陰口に近いもの―が2chに晒されて炎上。その後に、企業を巻き込んだ社会問題へ発展するということが頻繁にあった。あとは、livedoorのニッポン放送買収問題で、連日の様に「blog(社長日記)」が放送されるわ、買収騒動の結末としてblogを基にしたドラマが放送されるわ、有名人blogの書籍化は相次ぐわ・・・。
blogが常々と、話題の中心になってきたような気もする一年ではありましたが、年の瀬になって今回の一件ですか。やっぱblogってスゲェ!!('∀`)。とは思いつつ、未だにトラックバックの用途が解らず、自己満足でしかないモノローグ(独白)的なトラックバックに対し、何か(´・ω・) カワイソス 的なものを感じてしまう。トラックバックはテキストサイトで言うところの「文中リンク」の延長として捉えている。
時と場合と相手と仕掛けた側によるが、文中リンクを張った際、比較的、ダイアローグ(対話)状態―またはネットバトル-に発展することの多かったテキストサイト時代のトラックバックの方が、モノローグ的なトラックバックが主流であるように見える国内のblog状況―まぁ、その殆どは有名人もblogをやっていることがメディアに取り上げられる点が原因とも思えるのだが―よりも魅力的に思えている。ただの懐古主義かもしれないが。
「ところがもとのブログとはほとんど関係のない文章を書いた上で、トラックバックを送る人がいるのだ。とりわけ大学教師やジャーナリストといった知識人が運営しているブログにはこの手の「空トラックバック」が送られやすい。これが第二章で簡単に触れた「『自慢』ためのトラックバック」だ。言いかたは悪いが「空トラックバック」は自分よりも社会的な地位が高い人、頭のいい人、そうしたブログを愛読しているひとに自分の文章を読んでもらいたがっているように見えてしまう。要するに一種の「武勇伝」を創りたくて、有名なブログにトラックバックを送っているのだろう」。
鈴木芳樹,2005,
『スローブログ宣言!』,99頁。
私的に感じる、自己満足を伴うモノローグなトラックバックとはややニュアンスが違うが、モノローグのトラックバックの中に感じる違和というか、拒否感に近いものは上記の引用文に少なからず内包されている。そのため、トラックバックには余り前向きになれない。というのは言い訳の一種であり、トラックバック貼るの('A`)マンドクセ。や、未知の技術であるトラックバックに対する恐怖感も前向きになれない理由の一つである。しかし、スパム的な広告トラックバックまでも蔓延しているとは、blogの影響力と迷惑広告界の適応の良さに驚かされる日々ではあります。
有名人のblogにおける、モノローグ・トラックバックの量は人気やblogの認知度・影響力の指針になるのかなぁ。などと、
決して有名であるとは言い難い某グラビアアイドルのblogをたまたま初訪問した際、最新日記数件についていたトラックバックが、全てマルチ広告からのものだった辺りに(´・ω・) カワイソス と感じてしまう年の瀬であります。ああ・・・、そういや『Sabra』も『スコラ』もここ暫く見てない気がするヨ。やはり浜しょこタソはENDLESSユニフォームだよなとか思う。
- 2005/12/26(月) 23:37:54|
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俗世間から離れた象牙の塔に「収監」されるに値する職業と人間性を目指す。そのために日々の努力は惜しまない。また、その一方で、バンドの方はプロ志向だのメジャーだのといったものを、商業的として唾棄する原ロック的な(矛盾を孕んだ)イデオロギーを、70年代でも無いのに引きずる。米人の論文で「商業主義を厳格に忌避する」と指摘されたメタル・イデオロギーを魂に強く抱いているのも原因だろうな。私の抱く、それらの気質は、常に、俗世間や商業世界と相対的なものに位置づけられる。
デス/ブラックメタルが持ち込む「邪悪〔evil〕」的なモチーフが、伝統的なキリスト教的教義―悪魔・冥府・黙示録・ドラゴン等―に依拠しているように。私のアンチ精神もまた、相対的なものに依拠している。
パレードを憎む影男の様に。しかしながら、退屈なパレードと思っていたものに、笑顔を浮かべるスモッグを着ていた少年の如く、メイン・ストリームに。特にショウビズ世界に憧れが無いと言えばウソになる。憧れと嫌悪のアンヴィバレンツを抱えているんだな。
以前、旧友に対し、冒頭の様な話―隔離された世界を目指しつつ、どこが華やかな世界に憧れがある―をした。旧友は、「俺はメジャーは行きたいかな。とか思うんだけど、オーラが無いんだよね。人のツテで色々と芸能人とか見てきたけどやっぱオーラみたいなのがあるんだよね。あの、ゆうこりん(小倉優子)ですら」と、その口を開いた。そして次の様にも続けた。
「けどさ、定職を持って。変わり映えしない日々の合間合間に練習して、ちょくちょくライブやって。音源でも出して。またライブやって。そういう生活の方が『幸せ』なのかもしれないとか思うんだよね」。
「嗚呼・・・そうかもしれないね」。と私は言った。だからだろう、多分これからもメインストリームに背く様な、悪趣味・不道徳・禁忌的(タブー)・マイナーなものに、嬉々としてコミットして行く。そして、表舞台には出ることのない、象牙の塔で暮らして行きたいと思うんだろうな。
- 2005/12/26(月) 00:52:03|
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批評性というものは、「そのもの」が如何なるものかということを語り、何故良いのか、何故悪いのかを云々する。例えば、ゴスロリファッションに関する批評を行うならば、ゴシックのルーツ。また、ロリータの語源や、ロリータファッションの源泉や、様々な文脈における語られ方―特に、マーケティング戦略と消費者の論理の相対的比較、メディアに置ける『画一的』なロリータ像の呈示―についての知識。ついでに、恐怖やおどろおどろしさを呈示するゴシックと、幼女的・可愛さ・フリフリを象徴的に用いるロリータを掛け合わせることは、どのような意味を持つのかということを見据えるべきである。ピザなんぞ食ってないで『広辞苑』でも引いてろ白痴! やる気がないなら、Wikipediaでも眺めてろニート!
加えて、リスカ・バンギャ・メンヘラがセットの如きに語られる論調。何故に、V系ファンにゴスが多いのか。それは、V系を聞くこと=V系ファッションにコミットすることに際して、ゴスロリを着用しなければならない/するべきであるという、一種のハビトゥス(儀礼・作法)的なイデオロギーがあるのではないか? では、その起源はどこにあるのか? ゴス的なV系ファンはいつ頃から出てきたのか。
女性のファッション―ミニスカートでありコルセットの排除であり、ストッキングの発明―発展は常々女性の身体的解放や、社会進出を促すものではある。では、ゴスロリのような、身体的解放・社会進出という機能を持たない「ファッションのためでしかないファッション」はどう記述するべきか。また、その機能は一体何なのか。それはメディアが捏造する、解りやすい画一化を伴った流行の一端でしかない。と言うのならそう断言しても良い。そのことを証明できるだけの説得力や、資料などの証拠を提示できるのならば。
「可愛い」「カッコイイ」「綺麗」「汚い」「キモイ」「ステキ」という、批評精神の無い、もしくは語るべきことを持たない白痴的な言葉なんぞ、私は評価の対象とはしない。好きなものを無批判に、無批評に、盲目的に愛すること。それは、この大衆消費社会においては賢い生き方かもしれない。だがしかし、私の様に生きることを不器用とする人間はそれを良しとしない。
だからアレだ。消費の赤で彩られた、メディアの捏造でしかない日本のクリスマスなんて誘惑図はクソッタレだと言うんだ。クリスマスの背景にある消費に向かわせるイデオロギーを批評しない状態で、恋人がいないから云々ことは、先に述べた白痴と同様な存在である。
つまりアレだよ、俺にもステディな関係の異性がいて、メディアの捏造するクリスマス像を、マス・メディアの中に作り上げられるデートスポットを追体験することができるなら、こんなルサンチマンに満ちたテキストを、一大消費際の深夜に書くという無粋な真似はしない。むしろ、性夜とか腰振り祭りの凡庸な担い手として、ロマンティックという偽善に満ちたイデオロギーに隠された本性―肉欲という名を持ち、「愛という偽善的な仮面」を被った情欲的衝動―に埋没していられたんだ。
嗚呼! そのように過ごす方が何とも楽なことか! だから、私は批評をしよう。白痴に成り下がる気は無いから。物事に対してどの様に惹かれるのか・どういった点で嫌悪感を催すのか。凡庸に嫌悪感を持つのなら、批評をすることで嫌悪感を中和しよう。学べ! 学べ! 学び続けろ! 努力だ! 日本が印度になるまて学び続けろ! 老いてもなお! 脳が白痴になるまで! 学び続けろ! 「人間」としてその命を受けたなら。
私の知における水先案内人であり師でもある人。私にとってのアンドレ・ブルトン先生の御言葉、「人は日々進化するべき。一生勉強ですわね。止まったらお終い。どんなことでも前進しないと」。というものを脳髄に命じ、私もまた、前進し続けよう。その歩みが止まるまで。即ち学ぶことを放棄して、白痴に成り下がるまで。学び続けることで、このルサンチマン―爽やかさ華やかさ、加えて異性獲得の不得手対するもの―が中和されるなら、浄化されるなら、異形と化すまで学び続けよう。それが私にとっての快楽であり享楽であり癒しであるから。
- 2005/12/25(日) 00:52:51|
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テキストサイトにおけるアマチュアリズム等について記そうと思ったが、ふと、昔の事―2001~2003年頃にかけての、テキストサイトシーンの中心があった時代を思い出したので、また昔話でもしようと思う。
2001年の夏前頃から2002年の上半期頃まで、大手テキストサイトの一つであった『女帝』の派閥――派閥というものは、門外漢たちから見たレッテルに過ぎないようにも思えるが――に属していた。まずは『女帝』についての思い出でも語ろうと思う。
『女帝』は、侍魂以後のテキストサイトシーンにおける一般的な手法、即ち、黒背景に白文字+センタリングにフォント弄りを踏襲していた。テキストの内容については、日常的の自虐ネタを半ば自棄気味に、半ば大仰に記すといった趣のサイトである。サイトに飾ってあったトップ画像は、18世紀フランスの女王。堕落・腐敗した貴族のカリカチュアともいうべき放蕩女王マリー・アントワネット――尤も、放蕩女といえども根は女王。判決~処刑に到るまでの期間は貴族たる凛々しさを表したと伝え聞く――である。女帝は、放蕩女王の威厳ある肖像画のイメージと、閲覧者の称賛によって構築された威圧的なイメージが「一人歩きさせられていった」感もある管理人、「女帝さやか嬢」のカリスマ性と、「ネタ」の先鋭さから大きな支持を獲得していったサイトである。
私自身は、さやか嬢を含んだ常連が集っていた中堅テキストサイトであった『俺史』のチャットにて、さやか嬢と知り合ったクチである。後に、十(いや、百万だったか?)万ヒットで閉鎖を謳った『侍魂』のフォロワーサイトである『漢道』主催のオフ会にて、さやか嬢及び、後の女帝派閥を構成する面子と知り合い、オン/オフを問わない形で頻繁な交流を続けていくこととなる。
テキストサイトのオフ会は、何か特別な目的、例えば「参加者全員がアフロを被り花やしきを貸しきる等」が無ければ、体外は飲み会と相場が決まっている。名が知れたサイトの管理人がオフに出席するということは、浮動的な参加者を呼び込む大きな指針ともなる。まぁ、つまるところ、後の女帝派閥と呼ばれた面々は、先に述べたチャットにて頻繁に交流を取っていたことと、語る所も多い「漢道オフ」にて更なる意気投合を果たし、悪友といった趣の交流を続けていった。そんな最中、確か2001年の秋頃。「女帝関西オフ」を敢行した頃だと記憶しているが、『テックウィン』誌に『女帝』が掲載された。掲載の話自体は夏頃から伝聞しており驚くような点ではなかったのだが・・・問題は、その掲載内容にあった。
2001年の8月頃、『女帝』フォーマットを駆使し、女帝派閥のメンバーがそれぞれ「○○帝」という名を冠したサイトを期間限定でTOPページにするというサプライズ企画(M作戦)が敢行された。
『皇帝』を筆頭に、『汚帝』『愛帝』『汚帝』『童貞』『暴帝』『愚帝』『最期の皇帝』『獄帝』『奪帝』『牌帝』『不帝』『モ帝』『萌帝』『若帝』と、次々にサイトが増殖した。本来は『皇帝』単独の企画であったはずが、私が『皇帝』に触発されて、即時的に起こしたサイト『痛帝』が『皇帝』以外の「帝シリーズ」が増殖するきっかけを作ったと、
『皇帝』に残存するテキストでは指摘されている。まぁ、それは良いとして。私は、何故か『痛帝』のTOPにシェイクスピアの『ハムレット』に登場する悲劇のヒロイン「オフィーリア」を描いたミレイ作の絵を用いた。無論、当時はシェイクスピアの作品などを知るよしもなく、ましてやミレイの描いた有名な『オフィーリア』すらも知るよしがなかった。ミレーの絵をTOPに用いた理由は「痛そうだったから」という、何とも眩暈をおこすような、それでいて西洋美術に深い関心を持ち始めた現在の自分に繋がるような、何か因縁めいたものを感じてしまう。まぁ、それも良いとして。『女帝』や、当時映画を極めていたテキストサイトに関する記事が掲載されたのは、9月売りの『テックウィン』である(恐らく2001年の10月か11月号か)。『女帝』に関する記事において、「『痛帝』や『童帝』といった、フォロワーサイトと供に云々」なる文章が書かれ、我がサイトの仮面とも言うべき『痛帝』も、不名誉ながら雑誌の一抹を飾るに到ってしまった。
余談ではあるが、関西女帝オフから帰還した当日かその翌日かに、あの「911テロ」が起こった。テロの映像が国内で流れた直後は、例によって派閥メンバーでチャットに興じており、目の前で展開される「ハイパーリアル」―まるで映画のワンシーンのような出来事であり、映画の如く編集され報道される映像―に対して、半ば半身半疑な私や他の参加者と、いたずらに取り乱すチャットがあるHPの管理人との温度差が、今でも記憶に残っている。
その後、2001年内か2002年の6月前後か、正確な日付は覚えていないのだが『女帝』は閉鎖を宣言。先にも述べた、「多くの閲覧者達によって独り歩きさせられた女帝さやかのイメージ」に、管理人であるさやか嬢が疲れ果てたということも、閉鎖の理由であったと思う。特に、オンにおける「女帝さやか」ではなく、オフにおける「さやか嬢」と長いような短いような間、交流を取ってきた身としては、オンのイメージによって、オフにおける等身大の姿から剥離せられていく「さやかというイメージ」に、どこか悲哀的なものすら感じていたような気がする。
『女帝』の閉鎖後、さやか嬢は「女帝さやか」という冠から解放された場所にて、新たなサイトを作った。しかし、『女帝』が、当時異常な盛り上がりを見せていたテキストサイトシーンにおける大手サイトであり、尚且つ、狂信的な閲覧者とも称するべき「信者」を多く獲得したこともあり、新しいサイトの掲示板は、独り歩きして行った「女帝さやか」の姿を追いながら、「女帝さやか」の新しいサイト称賛をする書き込みで溢れかえった。その様相は3年以上たった今でも、思い出すだけで名状し難い嫌悪感に襲われる。その事が主たる原因で、新サイトも閉鎖を向かえた。
バブルとも呼ぶべき盛り上がりを見せたテキストサイトシーンに、2001年から2002年の6月頃にかけてという短期間の間だが、その名を大きく残した『女帝』は、『侍魂』以後、いわゆる「テキストサイト」という一大勢力が群雄闊歩する時代に名を残したサイトの一つである。そして、私も『痛帝』という仮面を付けながら、予想外の所でマス・メディアに引きずりだされてしまった。もう3年以上も過去の事だ。
- 2005/12/22(木) 01:54:10|
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友人宅で
『グッバイ、レーニン!』を鑑賞。予想以上の素晴らしさにDVD購入を堅く決意。しかしながら、西側文化=資本主義の象徴としてのコーラやファーストフード(劇中では以外にもバーガーキング)という肖像はやはの強いなぁ・・・と思いつつ、毎度のことながら、冷戦後、モスクワにオープンしたマクドナルドに多くのロシア人たちが、自由経済・時給制・笑顔の接客などの点で凄まじい衝撃を受けたという一文を、冷戦後直後のロシア事情に関する本で読んだことを思い出す。
クライマックスにおけるレーニン像のシーンは幻想的であり、暗示的であり、ありそうな現実的すら帯びている。むしろ白昼夢的でもある。嗚呼! 思い出すだけでも鳥肌が立つ、何とも幻想的なシーンである。他には、細かな部分に到る小道具類(マルクスのミニ胸像とか)に監督のこだわりをヒシヒシと感じ、教科書の写真でしか見ることの無かった、ベルリンの壁を乗り越えていく民衆の映像を初めて見て「複雑な衝動」を覚えた。革命のドラムに鼓舞をされたか、歴史的事実に驚嘆したか。その衝動については、複雑すぎて語る言葉をもてない。現在の私では。また、劇中の一コマ―東から西へ歓喜の声で流れていく民衆の映像を「西から東への難民」として説明する辺りや、コーラの発祥は東ドイツとかやっちゃう辺りはもう最高に愉快である。
とまぁ、「グバレ!(グッバイ、レーニン!)」については長くなるから休題。友人宅は、部屋をフスマ一枚隔てた空間が居間で、中学時代から友人の自室で映画みたりゲームする隣で、家族がテレビや映画を見るというデュアルスタイルは変わらない。本日もまた然り。
自室の方では、『グッバイ、レーニン!』を鑑賞し、劇中の舞台である1990年の中では、社会主義体制(1989年の東ドイツ)の再現が行われている。居間の方では、ドラマを見ているようで(聞き取れる音声からは
『鬼嫁日記』と推測)、セリフがところどころ聞こえてくる。その中で、特に耳を引いたのは「ブログ」という言葉。
周知の通り、私は反大衆嗜好者であり、テレビ番組はニュース程度しか関心を示さない。しかしながら、文化研究の真似事をかじっている身としては、テレビドラマの持つ性格―例えば、時代の最先端聞きを常に取り入れるなど―などはそれなりの知識を得ている。テレビ番組に関する分析本を読めば、個室電話→ポケベル→携帯電話などのハード-が劇中に登場したことと、ドラマの根幹がハードを軸として形成されているということが度々指摘される。そのため、先に挙げたハード群がドラマの中に登場することに大した関心を持つことは無い。
だが、今回はblogが劇中に登場したことに、一抹の脳内センセーションすら起こってしまった。チャンネルをフリップしていたら、たまたま見てしまったドラマ版
『電車男』を見た際に感じた、嫌悪感にも似た違和感が、ドラマの中に登場するblogによって喚起された。反大衆や反業性イデオロギーの一言では語ることが出来ない「何か」についても、先に述べた「複雑な衝動」と同じく、今の私の脳髄では語るに足る言葉を持ち得ていない。ただの食わず嫌いかもしんないけど('A`)。
少なくとも、「時代は先へ先へと流れている」ということは、blogを根幹においたドラマの存在を知ったことで、如実に感じた。自室の側では、資本主義の勝利という時代の流れと、過ぎ去りし過去の再生。居間の方ではドラマの中にまで登場するblogという新しい時代の象徴が。その両方を眺める位置にいた私は「時代の狭間」にいる様な錯覚すら覚えたような気がした。
テキストサイトはblog程のセンセーションを巻き起こすことは無く、ドラマのモチーフにも使われることは無かった。ああ、2001年以降のテキストサイトシーンを未だに回想・懐古し続ける私もまた、社会主義の亡霊の如きものなのだろう。変化に馴染むことができない逆行者たる。
- 2005/12/21(水) 01:27:10|
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電子の藻屑。いわゆるところの、「若書き」―澁澤で言うならば『サド復活』『神聖受胎』辺りか―が、自分の管轄外のところ(正確にはだったところ)から発掘される。赤面モンだなこれ('A`)。たった二年前だというのに、凄まじい程の開きを感じる。若さも。しかも、荒削りすぎ。だが・・・・それが良い('∀`)。まだ大きな物語を抱えているような、どこか野心的な部分もあって、テキストサイトシーンの中心と周縁がまだ存在していた頃の懐かしさすら思い起こさせる。で、当該のテキスト部な。以下抜粋。
カルカス・・・覚えていますか?。80年代後半、ひっそりとお忍びで来日し、秋葉原の歩行者天国でゲリラライヴを行い、その音楽スタイルと、暴虐的でありながら、耽美的で反神教的な歌詞は、秋葉原に溢れる隠れメタラーと、新興宗教団体を恐怖のどん底に叩き込みました。
まさか、良識な綺麗ロックマンセーの、たまタソがその伝説のバンドを知っていようとは・・。ひっそりと666枚だけ限定生産されたLPであり、唯一の音源。最早幻と謳われている「die karte・die kasse/邦題:饗宴のへヴィメタルエッジナイフ」。をチェックし、メタルを小馬鹿にした発言を繰り返していたとは。
「ライナーやガイドブックの丸写し程度の中途半端な知識で、調子ぶっこいてメタラー批判してんじゃねーよ、この(検閲)!」とかいいたくてウズウズして大洪水になるの我慢してたら、やってくれましたよ。何事もなかったようにカルカスがカーカスに直ってるし。
本当に聴いたんだったら、アルバムか曲と感想位書けよな。と、嘲ってやりましょう。小石投げながら。
(2003/3/18)※日付から当該箇所へ逝けまス
どどのつまりは、脂ぎったヲタが「僕もネゲットモンスターになるでぷぅ」と、比較的甘ちゃんな層の女共を狙いまくったつもりが、上手い具合に釣れたのは、ちょっと痛い漢達ばっかだから、世の中を嘆いて逃げたって事かな?。
所詮、本の書き写し程度の音楽知識であーだこーだ良識ぶって。挙句にはメタラー批判。何だよ「暗黒メタラーって(藁)」。
メタル馬鹿にする前に、缶ビールの缶握りながら、大音響で頭振れ、どーせメロスピ厨だろうがよ!。てめぇは肉棒でも握ってろ!この未遂野郎!ついでにカルカスだ?(以下略)。
(2003/4/25)
まぁ、2003年当時のテキスト系界隈に余程コミットメントしていなければ、リンク先には「?」が付くのでここで軽く説明しておこう。
『ちゆ12歳』以下108名と沢山なVNI(ヴァーチャル・ネット・アイドル)が、当時のテキストサイトシーンには群雄闊歩していた。「ちゆデー」とかは最早死語か('A`)。でだ、そんな中、確か、2003年の1月か中旬辺りからと記憶しているが、「VNIU(ヴァーチャル・ネット・アイドル・ユニット)」なる触れ込みでデビューしたサイトがあった。その名は『テキッ娘。』。
数人のVNIが持ち回りで更新を行っていくという内容で、それぞれが異なったジャンルをメインとして、フリートークと一緒に作品を紹介していくという趣だった。かすかな記憶を頼りにして思い出すと、ネットラジオを筆頭として、「かなり色々なメディア展開。それも商業ベースを見据えたかの様な」ものを、錯誤していたはず。『テキッ娘。』の開設当時、そして休止宣言までの間、5人のVNIの中の人を、管理人独りがやっていた(確か中の人オーディションとかはやっていた記憶があるが)ため、「春休み」を宣言して以降音沙汰が無くなり、最後には多忙のため休止宣言が打ち出され『テキッ娘。』は幕を閉じた。
一方で、『テキッ娘。』の一般大衆受けを狙ったかのような(=テキストサイトの良心ともいうべき、ヲタ・マニアックな要素を排除し、商業的色目を打ち出した)姿勢に反発し―むしろアンチ精神か?―2ちやんねるのWatch板の「テキッ娘。スレ」の有志が勢いで作ってしまったのが『敵ッ娘。(後に「敵ッ娘。#RX」改名)』であり、『不適ッ娘。(後の「やさぐれ部隊」)』などの分裂/フォロワーを排出したりもした。
参考(クリックで相関図出ます)。 『敵ッ娘。』自体は、プレオープン(2003/2/17)から、#RXへの引継ぎ(2003/06)から、凍結宣言(2003/9/30)まで。通算7ヶ月の間存続し、『テキッ娘。』の方は、『敵ッ娘。』サイトに残存する年表によると、3月21日に春休み宣言。4月1日になっても復活せず、Watch板では「終わらない春休み」と呼ばれ、そのままフェードアウト。後に休止宣言。しかしながら、『敵ッ娘。』自体も、主に自分の多忙及び、『テキッ娘。』がいなくなったことによる、モチベーションの低下(いわば、冒頭に引用したテロル的テキストの拠り所を喪失した)などで、更新がグダグダになったことで、惰性で続けるよりはと、凍結宣言を出した。そういった意味では、『敵ッ娘。』の元構成員として、多忙によって凍結した『テキッ娘。』には一抹のシンパシーを覚えなくも無い。
引用文は、そのモチベーションがまだ高かった頃。最早教科書にまで載る様になったロック―ビートルズ―を中心に扱った音楽担当のVNIへのテロルであった。ビートルズを扱うだけならまだ良い。直接的な言動を伴うテロルの引き金となったのは、ヘヴィ・メタル=イロモノという、世の中に蔓延するステレオ・タイプを厚顔無恥で用い、「暗黒メタラー」なる、「ブラックメタラー」とでも言いたかった様な呼称を用い嘲り、敬愛するバンドの一つである「Carcass(カーカス)」を「カルカス」と表記して茶化す様な、その「あざとい姿勢」にメタルを専門として扱うVNIの仮面を被った、まだまだ若かった、熱心なメタルファンがキレた。という様な文脈である。余談だが、『テキッ娘。』側からは何のレスポンスもなく「カーカス」に表記が直っていたが。
偶然に、ブックマークに残っていた『敵ッ娘。』に飛んでみると、(無料サーバーであるため)『敵ッ娘。』=二年前に記した「仮面の若書き」があった。もしやと、懐かしさという期待感を抱きながら『テキッ娘。』の方へ飛んでみると・・・。そこにある惨状は、キミ自身の目で確かめてみると良い、「リンクを貼っておくから」。一文前の「」内をクリックしてみると良い。
テキストサイトシーンに、まだ大きな物語があった頃の話を思い返すと、ついつい文章が長くなる。いつものことながら。
- 2005/12/18(日) 22:52:26|
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とりあえず、mixiに招待されてから、かれこれ1ヶ月足らずで廃人と化してしまったワケだが、実のトコロ、mixiユーザーの典型的な行為――馴れ合いへの耽溺――走ったのはものの2ヶ月足らず。mixiにおける日記遍歴を紐解いていけば良く解るのだが、日を追う毎に内容が深化していく始末。稿末にでも、最近書いたオキ二文でも参考に載せてみようかと思う。
馴れ合いから中身重視への流れは・・・・どれ位の頃だっけかな。女帝が無くなって、濁又が各地のネットバトルを取り上げたのをきっかけに長文――テキストサイト論とかネットバトル論とか、そういう類の文章を書いたことから図に乗り出し、「中身のある文章」とか「読ませるテキスト」「非フォント弄り」「非一発ネタ」というのを意識し始めて試行錯誤の日々が続いてました。
恐らく、テキストに対する変革や自己意識の模索といった行動のピークは2003年の2月辺り。それまで陥っていた、日本の男子大学生に多く見られる大学生活に対しての無気力症(スチューデント・アパシー)から、「活字本を読むこと」によって脱却していった頃かな。今や活字読書が完全に習慣化してしまって、真面目で込み入った文章を搾り出す・・・というよりも、本読んでたら勝手に放射能漏れをするとかいう始末で。特に、mixiの方だと澁澤龍彦作品――特に刺激を受けたのは、『悪魔の中世』『幻想の彼方へ』『黒魔術の手帳』『黄金時代』『エロティシズム』『記憶の遠近法』『幻想の肖像』『神聖受胎』『サド復活』辺り――を読んでいる最中or読了の直後に衝動的な放射能漏れが起こり、携帯から狂った様に長文を打ち込み更新するといった事が度々あった。むしろ新手の自動記述か? おかげで、mixiの過去ログには、随分とまぁ。2001~2年にかけての、当時のテキストサイトとしてはポピュラーな、自省をこめて言えば「必死な」テキストを書きなぐっていた頃より、随分円熟味が増したモンだな。とか思ってみる
(微笑) 懐かしいフォント弄りとかやって、過去の思い出に浸りつつ、下記にコピペするよ。mixi内でどの様な行為に耽っているかが解る一文を('A`)。前置きが長くなったから、コメントとかは無しな。
「最近の関心情事」(2005,10,14)
というわけで、九時過ぎに帰宅して、今日も元気に飲んでおります。昨日は、未来の大学人らしく、研究室に22時まで居残り、勉強したり、酒飲んだりと、色々と。知的生産を伴う活動を実践しておりました。俺の専攻といえば、プロフにもつらづら書いてある通り、一応社会学。で、カルチュラル・スタディーズに限りなく立脚した位置で、ポピュラー音楽研究だの、メディア研究だの、サブカル的文化研究だの、色々とやっております。
最近、特に関心の強い部分と言えば、メディアが送るメッセージと、受け手によるメッセージの読み替え/再解釈/再構成といった事象の数々。いわゆるところの、「文化の意味をめぐる闘争」。それも、日常にありふれているような、マクロな視点での。
事実や情報を選別・編成し、マス・メディアが聴衆に対して提示する現実の構成とか、その辺りについては、女子高生象の剥離―学生として語れる際に提示される、健全な高校生象。そして、非行少女・援助交際/ブルセラという文脈の中で語られる際に提示される「編成された現実」―とか、色々と語れるんだけど、一気に書くのが面倒臭いから、俺に酒でも飲ませて語るように煽ってくれヨ。
まぁ、ついでに、その辺りの関連した参考書だと、少々お堅い部類に入る内容だが、浅見克彦『消費・戯れ・権力』(2002)辺りが、参考になり易いかな、俺の思考形態の基盤を形成している本でもあるし。最近、身近な所でメッセージの読み替えという点を考えたのは、特にポルノグラフィの鑑賞という点だった。作品や文化の持つメッセージは、受け手の慣習によって、どのようにも再解釈される―例えば、先に挙げた『消費・戯れ・権力』の中に「児童虐待の報道に、現在の孤立化や、母性の衰退を読み解き、アイススケート選手の衣装等に、民族性やエロティシズムを読み解く」といったような一節が書かれているように。
アイススケート選手に対するエロティシズムの読み解きという点について、これを芸術に当てはめるならば、本来芸術的価値を持つべきヌードデッサンや裸婦像―女性の性に対する奔放さを描ききった、女流シュルレアリスト画家「レオノール・フィ二」の描く、どこか豊満で、性に対して開放的な男性よりも強い女性。または、著名な画家の描く普遍的な芸術性を獲得している絵画でも良い。もしくは、本来的に性的興奮を覚える対象とは見なされない(見てはいけない)授乳の図でも良い―におけるメッセージを読み替えや、エロティシズム・性的興奮/欲情というメッセージを感じることは、幾らでも可能である。
果たして、人形家であり写真家でもある芸術家「ハンス・ベルメール」の、猟奇極まりない、そして狂気に満ちた芸術作品とも評せる人形写真の数々について。我々は、その性別や性的嗜好を問わず、ベルメールの人形写真を「狂気の芸術作品」として畏怖すべきなのか。それとも、その狂気性と、名状し難い魅力を兼ね備えたエロティシズムについて、只、言い様のない興奮・・・・・恐らくは、性的な欲情を内包したものを感じるべきなのだろうか。
少なくとも、私は、恐らくベルメール自身のものであろう手が、帽子の下に散乱する極めて女性らしい髪を撫で。また、切り開かれた腹部からは、忌々しい、そしてどこか微笑ましさすら感じさせる、木製の張形群―人形(彼女・・・・・恐らくは、ベルメールの、生涯の徒姉妹であるウルスラを模したモノか?)の臓器―が露出する、一枚の写真作品に、素晴らしいまでの感銘を。そして否定のできない欲情を覚えた。
芸術性と性的欲情。ベルメールが彼女に託したメッセージの真意は、そのどちらであるのだろうか? という疑問の答えは、我々には知るよしも無い。むしろ、真なる答えなどは、知るべきではないのだろう。ウルスラを模したと思しき彼女の、鳥肌が立つほどに精気に満ち溢れた目は、「答えなど、知るべきものではない」。というように語りかけているようにすら感じる。
相対的に、芸術と称される作品群の中にポルノグラフィの如き性的興奮を読み解くのならば、下らないものとされるポルノグラフィ―それは、酷い芝居が垂れ流されるコスプレモノのAVでも、『花と蛇』のように、美学を伴う芸術性を内包したものでも、週刊誌の、何の意味ももたない(というよりも持つべきではない)消費対象以外の何物でもない、ヘアヌードグラビアなど―に、一抹の芸術性を読み解くことは、受け手側の持つ感性・メッセージの変換能力の多様性を肯定するならば、幾らでも可能である。と言っても過言ではないだろう。
ポルノグラフィの消費を行う際、現在、自分が眼前にて消費を行っている、このポルノグラフィからは、「どのように、性的興奮を喚起されるメッセージを享受しているのだろうか」。また、「性的興奮を喚起させるメッセージを代替して、芸術性や、性的興奮以外のメッセージを享受するのは、どのような文脈で起こるのか」。そして、先にも書いたが「ポルノグラフィ(写真であるか、線画・CG等の二次元媒体であるか、という点は問わない)と、芸術と呼ばれ、芸術作品として分類される裸婦の表象、は好色に描かれ、男の性的興奮を喚起させる女の絵画の境界は何処にあるのだろう」というようなことを、しばしば、それも、寝る前。そして、毎日のように体験する悪夢にうなされて目覚めた朝に考える。
それが最近の関心ごと。
- 2005/12/17(土) 23:24:36|
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住みなれたhtml形式の日記を捨て、テキストサイトシーンという、過去の遺産を引きづる懐古中も遂にblogに来ることとなりました。ああ、これも時代の流れかね。トラックバックが未だに良く解らない点と、マス・メディアによる気持ち悪いほどのブログ称賛により、根が半大衆気質なJUNKさんとしては、blogには余り魅力を感じませんでした。
身内万歳な馴れ合い(リアルでの)を酷く嫌っていた手前、mixiにも同様に魅力を感じないというか・・・どの辺りだろうか。blogが主流となって、テキストサイトの大手たちが続々とblog&mixiに移住していって、Watch板でmixi内に書き込まれた中堅同士の内ゲバ模様が流出した辺りで、「これだから閉鎖的な馴れ合いは・・」とか思ってたのが、いつの頃か。8月にmixiに招待され、気づけば私も立派なmixi廃人に。その延長でか、テキストサイトへの転進から4年やってきたサイトの日記も、blogに移す事に抵抗を持たなくなったのかもしれない。
というワケで、JUNKのアレ(仮題)第二部-Weblog地獄変―始まり始まり~('∀`)。
- 2005/12/17(土) 23:02:30|
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