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続・JUNK屋日誌

blogへのテラ・フォーミング(2005/12/17)。遂に時代の流れには逆らえづ、本サイトの日記のみをblogへ移行。

再考テキストサイト③

※番号は管理上のものなので、今のところ文章全体の通し番号ではない。なお、テキストの時事系列についてはある程度の内容にまとまったところで再編集し、まとめなおす予定である。

◆侍に憧れたボクラがドブネズミのように輝いていた時代

 1988年頃から90年頃にかけて、日本中は「バンド」という一つのカルチャーに沸いていた。いわゆる「平成バンドブーム」である。2006年現在、バンド活動はわざわざ「ブーム」と名付ける程特異なものでもなく、極有り触れた、それこそ道徳基準を酷い程に満たす小学生の課外活動の一環ですらある。平成バンドブームについては、「イカ天」や『宝島』などメディアの影響や、企業側が資本を生み出すと判断した「インディーズ」への注目やバブル景気など様々な要因が複合的に合わさって発生したブームである。しかし、ブームである以上、モード同様にその寿命は短い。
 
 3・4年という短い期間の内に終わってしまったこの一過性のブームは様々なモノを生み出した。ブームの直前を象徴するバンドとしては「BOφWY」が挙げられるが、ブームの真っ只中を象徴するバンドとしては「X」「筋肉少女帯」「JS(W)」、そして「ブルーハーツ」が挙げられる。特に、ブルーハーツはシンボルやオピニオンリーダー、そしてカリスマとしての機能を多いに果たし、ブームに踊りバンドを組んだ若者達にとっては最もポピュラーな模倣対象であった。ブルーハーツが模倣対象として大きな人気を獲得した理由についてもあまり詳しく述べないが、簡素に述べるなら「解りやすさ」「親しみやすさ」「手軽さ」、そして「模倣の容易性」という理由がある。私は常々、平成バンドブームと『侍魂』以降のテキストサイトブームをだぶらせて考える傾向があるのだが、オピニオンリーダーもしくはマニュアルとしての『侍魂』とブルーハーツはやはりイコールで結びつけられる存在だと感じている。

 多くの人が『侍魂』または「ブルーハーツ」に憧れてテキストサイトを開設(バンドを組み)、模倣品としてシーンに対するコミットメントをしていった文化的なムーブメント。両者は共にその寿命は短く、今となってはノスタルジーを喚起する懐かしい言説になってしまった感さえある。平成バンドブームの前後で最も大きく変わったことは、今では至極普通なことなのだが、当時としては考えられなかった「ロックバンドが莫大な利益を生み出す」という点である。では、膨大な参加者・閲覧者が流入したテキストサイト界は資本を生み出したか? という問いを考えると答えは「ヤー」でもあり「ナイン」でもある。

 テキストサイト界で生まれた利益といえば『侍魂』のバナー収入、今風に言い直せばアフィリエイトが印象深い。『侍魂』に張られたバナー広告の収入は「先行者」ネタによる爆発的ヒットを記録した最初の二月程度で100万近くを稼ぎ出した(『テキストサイト大全』,19-21頁)。また、ソフトウェア会社「プロジー」やゲーム会社「ナムコ」などからも『侍魂』に対するバナー広告依頼があったが、大手blog管理者がアフィリエイトを張らせて<頂いたうえ>で利益を得ている現状と比較してみると、実にバブリーな時代であった。

 今現在は、テキストサイト界も――私が見ている/見てきた限りの範囲でいうところの中心を欠き、大きな物語というものが解体してしまい、それこそポスト・モダン的な状況に突入している。そもそも、既に「テキストサイト界」という括り・・・いや、元からそんなものは「想像の共同体(ベネディクト・アンダーソン)」と言うべきものだったのかもしれない。だが、輝かしい時代は確かに存在していた。その時代というものは、皆が抱いた想像であったとしてもテキストサイト戦国時代と称される時代を、私を含めた多くの参与者たちは確かに潜り抜けてきた。戦国時代では毎日がライヴを演るような興奮と、憧れていた大手(スター)サイトの更新を楽しみにし、「どうすればあのサイトのようになれるのか」とか、そんな事ばかり考えていた気がする。そう、ブルーハーツに憧れたバンドブーム時代のバンドマンたちと全く同様の、当時を評した言葉を引けば、繰り返しになるのだが、とりあえず有名になりたいという表面意識以外を持ち合わせていなかった「空虚なイデオロギー」や「表現したいことことなど何も無い」といった論調がテキストサイトブームの最初期には存在していたように思える。

 後述するがブームが進み、界(シーン)自体が成熟――むしろ飽和か?――を迎える頃になると「テキストサイト論」というものが目立つようになってくる。その時期になると前述の論調は無くならないまでも薄れていき、テキストサイト・ナショナリズムという程のものではないが、「想像の共同体」としてのテキストサイト界というものが立ち現れ、数多の参与者が提示したテキストサイト論によって、テキストサイト界はより強固になる形で参与者たちの観念に形づくられていった。

 
 私事を少々語らせて頂くことをお許し願いたい。私がテキストサイト界に参与することになったのは、先に述べてきたように『侍魂』がきっかけであった。界への深いコミットメントは大手サイトの派閥への参加や、ネットバトルやテキストサイト界における出来事に対する言及などで、半ば自己満足的であっただろうが行ってきた。テキストの内容は、当時の他の数多あるサイトと同様に「笑い」「痛々しさ(痛さ)」「駄目さ加減」といった要素を打ち出し、その日その日の内に消費していくような散文が堆積していくようなものだった。2003年頃から、テキストサイト論の隆盛などに感化されてか――自己を振り返ると、そのような方向転換を目指し始めた時期から講義や読書に対して<真剣な>取り組みを見せ始め、無気力状態から脱出し始めた時期でもあった――中身のある、読ませるテキストを書きたい! という欲求が芽生えてきた。有名性よりも人気よりも創造性・作家性を。そのような意識を保ちながら、文章表現や内容、そしてレイアウトなどに対する試行錯誤を行っていく中で、レイアウトはテキストサイトやblogに多く見られる感覚的改行、それほど長くは無い一区切りの文章をまとめた際の改行という形式から、段落形式によるまとまった文章レイアウト。『テキストサイト庵』による定義では、「段落文体」という造語を用い、段落の尊重や段落内の強制改行を排した文体形式というものだ。
 
 段落文体を意識した頃は『テキストサイト庵』の存在を知らず、大学で書くレポートや当時取り掛かっていた卒論で用いる文章表現の訓練という側面が強かった。余談になになるのだが、ワードプロセッサで文章を書く際は段落と段落の間に改行を入れない形式。普段読んでいる書籍のような形式で書いているのだが、Webに文章を書く際は段落と段落との間に改行を入れている。理由は酷く単純で、「文字が詰まって読みにくいから」という理由から、段落間に一抹の改行を入れている。個人的な好みであるが、その形の方が文章が詰まっている形よりもに非常に読みやすい。勿論、紙媒体で読む際は完全なる段落文体形式の方が、縦書き・横書きを問わず読みやすい。
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  1. 2006/06/30(金) 21:57:36|
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再考テキストサイト②

◆テキストサイトの取り扱い説明書?

 現代の日本社会はマニュアル社会である。なぜならば、差異を強調した代替が容易な商品溢れるスペクタクルの社会の一つであるからだ。溢れる商品を如何様に選ぶか・・・、そのためにはやはりマニュアル――というよりも、指針となりうるオピニオンリーダー的な存在が必要とされる。では現代のオピニオンリーダーとは、いうまでも無いことだがメディアであり、マス・コミュィケイションである。日本でそういった傾向が見られるようになったのは80年代中ごろから――雑誌『ポパイ』や『ホットドック・プレス』『ブルータス』の針路転換・登場や、今では定着した「クリスマス狂奏曲」などが出現し始めた時期である。また、クリスマス狂奏曲については、ここで詳しく述べることはないので参考文献――上の千鶴子,1992,『私探しゲーム――欲望市民社会論』(文庫版)、アクロス編集室(編),1992,『ポップコミュニケーション全書』、宮台真司(他),1993,『サブカルチャー神話解体』、小谷敏(編),1993,『若者論を読む』、麻生幸太郎,1997,『ブレイク進化論』、三浦展,2005,『仕事をしなければ自分は見つからない――フリーター世代の生きる道』など――を参照すると良い。

 How to LoveからHow to Fuckまで、青年誌に限らずどのような雑誌にも、どのような<マクドナルド的>書籍にもマニュアルは溢れている。勿論、全ての読者がそのマニュアルの影響を字義通りに受け、それを実践するようにマス・コミュニケーションはありえないのだが、メディアの発信対象がマスであるが故にその影響作用は大きく、マニュアルを実践するようなヒトビトが我々の回りに顕在的であることは否定できない点である。また、テキストサイトに話をつなげてみれば、「テキストサイトはこうあるべき!」というマニュアルは存在していなかったようにも思えるが、マニュアルとなりうる<初期の>オピニオンリーダーは存在していた。それは勿論『侍魂』である。また、フォントいじりの氾濫については先に述べた通りの状況だった。

 『テキストサイト大全』を開きなおし、テキストサイトのマニュアルとなりうるな箇所があるかを探してみると・・・・トピックとして近い部分と思われる190-191頁「今からでもはじめよう、テキストサイト」はあったが、マニュアルとはなりえない。しかし、テキストサイトブームの勃発当初、多くの新規参入者が目にしたマニュアルはやはり『侍魂』であり、(表現の上澄みのみだが)模倣のし易さもあり、テキストサイトブーム初期のカノン(聖典)と考えることは容易い。後述するが、テキストサイト界の成熟によって『侍魂』、つまりフォントいじり系はカノンとしての地位を落としていった。だが、その威光は消えることなく、リンクに『侍魂』を配するフォントいじり系は長らくその数を保っていたと記憶している。
  1. 2006/06/24(土) 21:40:39|
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再考テキストサイト

(最終更新:2006/05/17)

  本稿は、私が2003年の初頭頃から自らのサイトで公開していた「再考テキストサイト」(進行形を伴ったまま未完結)を草稿に見立て書き直したものである。従って、一部の年代表現にズレが生じているが、ズレについては適宜付け加えを行っている。また、更新の際には、書きあがった部分を本稿の下に随時書き加えていく。

 本稿の完結については、草稿段階においても「完結するか解らない」と書いたように全く未定である。更新頻度も、草稿以外の書き下ろしについても気まぐれの更新になるが、日記(blog)内で今まで書いてきたテキストサイトブームについての稿や、これから書くであろう、当時を回顧した稿と照らし合わせながら、更新を気長に待って頂きたい。
◆NWOJTS◆

 1970年代後半から80年代初頭にかけて、ロンドンパンクのムーブメントが凋落の兆しを見せていた英国で、新たなロック・ムーブメントが誕生した。その名も、NWOBHM(NEW WAVE OF BRITISH HEAVY METAL)。NWOBHMの火種は世界中に拡大し、極めて狭い領域で、ではあるが、米国においては「新たなブリティッシュ・インヴェイション」と呼ばれる程の影響を誇った。また、多くの英国産メタルバンドたちが米国ツアーを敢行し、アメリカのキッズたちに多大な影響を与え、その影響が(特に)スラッシュ・メタルという土壌を形成しながら開花するのは八十年代の中頃である。

 NWOBHMについては、話がずれるために多くのことを語らない。とりあえず、NWOBHMはIRON MAIDENの登場を起爆剤として盛り上がりを見せ、先にも述べたように、世界各地に新たな形式のへヴィ・メタル――大作化が進む、旧来ハードロック/へヴィ・メタル(HR/HM)に対し、パンクの方法論で新たなヘヴィ・メタルの雛形を提示した――を振りまいた。

 2001年の3月頃、「先行者ネタ」が口コミで人気を博し、それをきっかけとして大ブレイクを果たした『侍魂』を起爆剤として起こったネット上でのブーム。多くの侍魂フォロワー的――その殆どは劣化版としか言いようがなかった――テキストサイトの他、様々な種類のテキストサイトを大量発生させ、「テキストサイト」というジャンルを各地に知らしめる事になった一連のムーブメントがあった。「テキストサイトブーム」や「テキストサイトバブル」と呼ばれることがあるこのブームは、正式な名称は無い。偉大なるブームである、NWOBHMにあやかって、このブームをNWOJTS(NEW WAVE OF JAPANESE TEXT SITE)と呼称する事にしよう。単名なるあやかりではなく、NWOBHMと同様に、新たな文化の流れ(新参者の参加を促したり、それまであった『侍魂』以前のテキストサイト郡りも、よりポピュラーでコンパクトなサイトが増えたり)を生み出したという点を踏まえての命名である。

 NWOJTS以前から運営していた私のサイトも、NWOJTS世代(『侍魂』のブレイク以後にテキストサイトの存在を知り、『侍魂』や『裏MIZUHA』『兄貴の館』など、ブームの始まった2001年春頃の代表的大手サイトに影響を受け、HPを開設、ないしは予め持っていたHPをテキスト系にシフトしたサイト群)と同様ら、『侍魂』他、初期の代表的なテキストサイトに影響受け、テキストサイトという既に一大規模を誇っていたジャンルへの傾倒を開始した。ちなみに、傾倒以前はゲームの話題を中心とした、特に運営目的も無い内輪向けのサイトを運営していた。

◆文字のボディランゲージ◆


 blogが全盛となった近年では、その数を減らしているようにも思えるが、blogにおいても相変わらず根強い人気を誇っている表現手法がある。NWOJTS象徴する現象の一つである「フォントいじり」がそれだ。「フォントいじり」はHTMLのタグを利用し、文字の色やサイズに装飾を施す手法であり、NWOJTSの魁!! である『侍魂』が行間空けと共に多用していた表現法でもある。例えば、「フォントいじり」の実例は以下のようになる。



また振られました(血涙)


 という具合に、「(笑)」「(涙)」といった、喜怒哀楽を表す表現や、「(´д`;)」「(^▽^)」や「T◆T」といった顔文字も「フォントいじり」と共に多様される。ただ文章を打っただけの感情表現よりも、「フォントいじり」を駆使し視覚に訴えた方が、一見すれば能動的であるし勢いもある。さしずめ、文字によるボディランゲージである。しかし、無意味なことや全く日常にありふれた言葉をさも大袈裟に描く、酷く空虚な表現手法であるため、「フォントいじり」に対する批判も数多く存在した。表現の優劣はともかくとして、テキストサイトブームを象徴する表現手法であった。そういう点もあり、blogを巡回している際に、最早化石とも呼びたい気もする表現手法。すなわち「フォントいじり」に遭遇した際、一抹のノスタルジィに駆られしまうことが度々ある。
 
 先にも述べたが、全く日常にありふれた表現を大袈裟に書くテキスト。特に何かを考えさせるわけもなく「ただの勢い」や「お約束ネタ」「管理人のキャラクター」が付随することにより、価値を持つテキストに閲覧者は何を求めていたかを考えると、まず「気楽さ」や「手軽さ」という点が考えられる。なるほど、「フォントいじり」気の無い、無機質な文字がつらづらと並ぶこの文章と比べれば、手軽で・単純で、あっけからんとした趣のある「フォントいじり」を駆使したサイトの方が肩もこらないし。さらに読み易いし<楽しい>という評価を下す人はいるだろう、無論その逆もある。私個人のことを申せば後者の位置におり、「フォントいじり系」の極北を今も尚目指し続けている。
 
 私のサイトが、『侍魂』を知った後にテキスト系に移行したのは2001年の3月頃。「フォントいじり」へ本格的に傾倒し始めたのが同年の6月前後と記憶している。『侍魂』のデザインフォーマットを引き継ぐ『女帝』と交流が深かった同年の9月~11月頃にかけては、私のサイトにおける「フォントいじり」のピークだった。私のサイトで「フォントいじり」がピークだった頃は、先にも述べたように『女帝』の影響が多々あった。それに加えて、当時のテキストサイトは笑えるネタ・痛いネタを全面に押し出すという風潮があり、私の中にもテキストサイトはその風潮の如くあるべき! という妙なイデオロギーが存在していた。

 よく、平成バンドブームを称す際に使われる「空虚なイデオロギー」と似たような、「いかに面白おかしく表現するか?」という思想も、表現欲も、技術鍛錬にさえも盲目になりながら、妙で空虚なイデオロギーに突き動かされるまま、私は無意識にフォントいじりへの傾倒を開始していた。参考例として、2001年当時の過去ログを一部分抜粋してみよう。




ちなみに上野の常磐線ホーム着いたのが9:40分
発車案内が8時37分で止まってるのはこの際気にしないです
振替輸送で結構どたばたしてるんですが、関係無いです
目的地で人身事故なもんだから輸送しても無意味です(死)



 「フォントいじり」への傾倒期から私のサイトを見ている人は、「今の日記(2003年前後)スタイルもまぁ、悪く無いけど、昔の方が勢いがあって楽しかった」といわれる事がある。確かに、本稿(「再考テキストサイト」)の草稿を書いていた003年頃は単純なフォントいじりよりも、「フォントいじりを用いない論理性のある文章で勝負が出来るか?」という点を意識しいた。今と比べれば、若かったし文章力も名状し難い程に拙かったが「若書き」と言って済ませられるレベルでも無かったため、大口を叩いていた当時を回想してみると、少々複雑な気持ちに駆られることは多い。

 フォントいじりを配し、純粋な文章を追求し、「文章だけで勝負が出来る真のテキストサイト」という妙な理想を模索し始めたのが2003年頃だった。その結果「内容がわかり辛い」という意見が多くなりはしたが、単純で空虚な文章を「フォントいじり」で誇張し続けていた頃の日記やテキストよりは納得のいく内容――先にも述べたように、<拙い>では済まない程に酷い内容なのだが――に、当時としては仕上がった。そのため、「フォントいじり」時代の閲覧者から「つまらなくなった」と言われようとも、私自身としては満足した文章を書く方向へと変化していった。しつこく繰り返すが「当時のレベルでは」の話だ。

 

 
 
  1. 2006/05/18(木) 01:47:10|
  2. 再考テキストサイト
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プロフィール

JUNK

Author:JUNK
 いわゆるトコ、侍魂以降のテキスト系サイトとして惰性してから早4年(2005年当時)。日記部のみblogに移行しました。それまでの素性とか、堆積物は「サイト」の方を参照で。現在の方は「mixi」とか。

 飲んだ暮れ。夢想家。澁澤シンパとみせかけて種村派。専攻は一応、文化社会学とか言いたいんだけど、実際の専門的らしい専門はない(と思う)。

『家畜人ヤプー』、沼正三、女性のサディズムと父権制におけるマゾヒズム、少女のエロティシズム、アリスイメージの消費、ロリヰタファッション、ヘヴィメタル、サタニズム、オカルト、タロット、少女小説、テクスト論、表層的SM批判、ジェンダー論、クィアスタディーズ、なんかよくわかんないけど色々。

 文化批評系よろず同人誌「Kultur Trieb」主宰。執筆者、購読者募集中。HPとかはまだ作ってないので、詳しくはmixi内のコミュを参照。

「Kluture Trieb」(mixiコミュ)


◇twitter
割と、お仕事関連とか、読んだ本とか、クダラナイ話とかもつぶやき中。

@junk666
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