続・JUNK屋日誌

blogへのテラ・フォーミング(2005/12/17)。遂に時代の流れには逆らえづ、本サイトの日記のみをblogへ移行。

続・ちょっとピンぼけ

 芥川が宇宙やばい!(今さらか)。昨日の深夜に電気ブランを煽りながら「河童」を7割り方読んで、ナンだかずいぶんト、スウィフトの『ガリバァ』めいた話だなあと、云々。

 今日ドトールで読み終わって、「いやあ、やっぱり『ガリバァ』だなあ。むしろ夢野久作でもある。ハハハ! これだからキチ○イものはやめられない。

 そのまま「或阿呆の一生」に突き進む→「彼は彼自身彼の病原を承知していた。それは彼自身を恥じると共に彼等を恐れる心もちだった。彼等を、――彼の軽蔑していた社会を!」。(´・ω・`)あの阿呆、無茶しやがって。

 坂手さんの『天皇と接吻』って感じだよ。『天皇と接吻』というタイトルを見た際、素晴らしくキッチュで冒涜的なタイトルに勃起した。でも、今読んでる巽さんの『Full Metal Apache』では「Yoji Sakate's Tenno to Seppun(The Emperor and the Kiss)」だった。

 「と」をさ、「the kissing with the Emperor」と、ちょっとピンぼけに解釈して、キャンプ具合にひとり興奮していた俺ガイル(´・ω・`)。はいはい、孤独地獄孤独地獄。
  1. 2009/07/04(土) 18:57:57|
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マーガレッド・ワイルド(文)/ロン・ブルックス(絵)『ぶたばぁちゃん』

 『ぶたばあちゃん』[OLD PIG]、この本は死、あるいは臨床をテーマにした物語で、死を予期した「ぶたばあちゃん」と、ばあちゃんの覚悟を段々と、ひっそりと受け入れ、それと向き合う孫娘の日常を描いた本です。

 「死」というテーマは、19世紀後半〜20世紀初頭のイギリス児童文学が足を踏み入れることの出来なかった領域(キャロルの『アリス』2作、バリーの『ピーターパン』、ミルンの『くまのプーさん』と『プー横町にたった家』など)では、子供から大人へと成長すること、もしくは成長を拒むことなどが、重要なテーマとなってきましたが、『ぶたばあちゃん』では、かつて子供だった彼ら/彼女たちが、大人になり、年を老いた後に待ち受ける、決して目をつむることのできないゴール(あるいは再出発点)がテーマになっています。

 本書は一応、児童書や絵本というかたちになってはいますが、体調を崩して寝込んでいた「ばあちゃん」が町へ出かけた際に行った、事務的な処理の数々は、やたらと生活感に溢れていて、本書のたいていの読者になるであろう児童層には、少し遠い感じがするかもしれません。次に、一例を引用してみましょう。


 「ぶたばあちゃんは、かりてた本を図書館にかえし、もう次のぶんは、かりませんでした。銀行にいって、お金をぜんぶひきだし、口座をとじました。/うちにもどると、ばあちゃんは、のこったお金を孫むすめのさいふにしまって、『だいじにして、かしこくつかうのよ』といいしまた。」


 なによりぼくの心を強く打ったのは、「かりてた本を図書館にかえし、もう次のぶんは、かりませんでした。」という一節です。職業柄、ぼくは図書館との蜜月を絶つことができない性分でして、借りている本を返しにいく道すがら、いつも「今日は何を借りようか」ということを、携帯のメールにメモ代わりに記しておいた書名のメモや、「必読文献リスト」と名うった印刷物や、脳髄に記憶する限りの気になった本を、図書館の端末で検索し、借りて帰ろうということを考えています。

 もし自分が、ばあちゃんのように「かりてた本を図書館にかえし、もう次のぶんはかりませんでした。」というような状況になった際、「死ぬこと」を遠回しに伝えたり、直接的に伝えるのではなく、たくさんの<大切なこと>を、色んな形で伝える、ばあちゃんのような振る舞いを、孫でなくとも、子供に対して、できたら良いな・・・・・・と思わせられました。


 「『さて、それでは』ぶたばあちゃんがいいました。『ごちそうにしようかね』/食欲がでてきたの?」とつぜんの希望にみちて、孫むすめがききました。/『食べものが、食べたいわけじゃないんだよ』ばあちゃんがいいました。/『わたしは、町をゆっくり散歩したいのさ。そして、木々や花々や空や、なにもかもを見て、目に、うんとごちそうしてやりたいんだよ』」。


 本書の原版、OLD PIGは、1995年に出版され、邦訳も同年の9月に発刊され、以後14年もの間(2009年現在)ハンター重ね続け、ぼくが今回の献本で頂いたものは、第17刷です。文を書いた人は、マーガレット・ワイルド(ふたりの子どもたちと一緒にシドニーに在住)、絵を描いた人はロン・ブルックス(妻とさんにんの子どもたちと、タスマニアに在住)と、本書カバーの著者・挿絵画家紹介には記されています。

 ワイルドは南アフリカの生まれで、1972年にオーストラリアに移住。ジャーナリストや児童書の編集者などを経て、現在ではオーストラリアを代表する児童作家として知られている人物で、『ティモシーとおじいちゃん』(1981, 偕成社)では、文だけでなく、挿絵も手がけています。そしてブルックスは数多くの児童書の挿絵を手がけており、ワイルドとの共作としては、『キツネ』(2001, BL出版)があります。

 ぼくは、日本では、諸外国にくらべ、古典的な児童文学にスポットライトがあたることが少ないような気がします。アリスにせよ、ピーターパンにせよ、プーさんにせよ、ディズニー映画や、昔に読んだ、ソフトな感じに簡略化された絵本の印象のある人がいたに、ぜひとも、キャロルの『不思議の国のアリス』/『鏡の国のアリス』、バリーの『ピーターパン』、ミルンの『クマのプーさん』/『プー横町にたった家』を読んでいただきたい。

 皆さんがそれらの作品を読んだ際、はたして、それらが「子ども向けに過ぎない」と、簡単に断言できないような印象を持つ可能性は、極めて高いと、ぼくは思っています(注文を付け加えれば、ケネス・グレアムの『たのしい川べ』も、なるだけ岩波書店の大判のもので読んでいただきたい!)。

 本書も、前述した作品群と同じように、子ども向けだからと、大人になった人たちが、素直に(本当に素直に!)拒否し、自身で頁をめくらずに、もしくは子どもの前で読み聞かせるために頁をめくってみるということに留まるべき/留めてしまうべき作品ではありません。もっとも、いくつかの名をあげた(ぼくが大きな感銘を受けてきた作品でもあります)19世紀〜20世紀にかけての、英国の珠玉のメルヒェンは、児童文学ということもあり、『ぶたばあちゃん』とは比較にならないくらいの文量がありますが、それらの作品では、『ぶたばあちゃん』と比較にならない文量をもってしても踏み込めない領域がありました。それは、本稿の冒頭部分で述べてきた通りのことです。

 この拙い書評で、少しでも『ぶたばあちゃん』や、作者と挿絵画家、そしてキャラや内容はディズニー通じて良く知っているけれど、オリジナル版を読んだことのないという人は、ぜひとも、『ぶたばあちゃん』と共に、それらの作品を(たぶん、英国児童文学方は、大抵のものは町の図書館にもあると思うので)読んでいただきたいと思います。

 この書評を読んでくだっている方の多くは、まだかろうじて、「ぶたばあちゃんは、かりてた本を図書館にかえし、もう次のぶんは、かりませんでした。」とい状況にはならないと思いますし。「次のぶんをかりる」余裕があるうちに、たくさんの本を、たくさんの絵本を、「子ども向けだから」とか、「児童文学だから」とか、不必要な色眼鏡をつけずに、たくさんのものに触れてみてください。

 名をあげてきた児童文学作品を読む前に、まず『ぶたばあちゃん』を読んでみてください(ぼくは、逆のかたちで『ぶたばあちゃん』を読んだので)。それらの作品を読んだ後、(できれば、ジャッキー・ヴォルシュレガーの『不思議の国を作る』も読んでおいて頂きたい)、再び『ぶたばあちゃん』を読んだ後、何か心に残る物があったなら、この書評を見返して貰えれば、あなたとぼくの間に、何かしらの共感が生まれるかもしれません。
[マーガレッド・ワイルド(文)/ロン・ブルックス(絵)『ぶたばぁちゃん』]の続きを読む
  1. 2009/07/04(土) 03:02:13|
  2. 書評〔本が好き!による献本〕
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Regen

20090703231114
 雨がうざすぎてやる気が萎える。とりあえず珍しくAERA ENGLISHを買った。あとは夢で浴衣を見た。そういや、もう時期ですな。駅ビルで浴衣フェアなるもんをやってたし。

 そして、最近、会うひと会うひとに熱弁してる、俺がトリップしてる際に下記連ねていたスペース・ナンセンス格言「キミとエレベーター、どっちがシリアスかな?」を生徒(中3・♂)に教えたらバカウケした。リアルにナウなヤングにだヨ!

 そしたら授業終わり早々、友人(同じく中3・♂で俺が月曜に授業を受け持ってる)に、格言をメールしはじめてワロス。

 んで浴衣ね。帰宅後、蔵書を整理しがてら浴衣を探してたんだが、草履と最初に買った安物なセット浴衣は出てきたんだが、お気に入りのドクロ柄の浴衣と帯が行方不明/(^O^)\。

 買ったのは2年前だしなあ、男帯もスペア欲しいし、ちゃんとした襦袢も欲しいし、新しく浴衣買うかなあ。もちろん変わり柄の。あと、書生然とした着流しが欲しい。

 この夏は大正モダァンがモノスンゴいスペースクール。書生姿の際はモチロン、書物とタロットは忘れずに。
  1. 2009/07/03(金) 23:11:16|
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カチューシャ、カーワーイーイー!

 団鬼六の『外道の群れ【責め絵師】伊藤春雨列伝』がヤバイ。妊婦吊しで、髪フェチの伊藤を筆頭に、『デカメロン』他、エロ・グロ・ナンセンスしまくって御上にしょっぴかれまくった、梅原北明、ついでに伊藤の最後の弟子にして、女の筆名で「奇クラ」で責め絵を描いてきた美濃村晃、ついでに好色社会主義者、大杉栄や、少女の友にして意外とアレな竹久夢二とかが出てきて、まさに大正、好色、外道の宴! 

 北原童夢や秋田昌美の著作を濫読するっつう、ハイソな趣味を持った紳士・淑女の皆様には、毎度お馴染みなオールスターの大行進。大正エロ・グロ・ナンセンスの陰の立て役者たちの饗宴(シンポシオン)ってな調子でしてね、ウヘヘ・・・・・・夕方にいその・えいたろう『AV監督』を一気に読破したっつうのに、夜に酒飲みながら7割近く一気読みしてしまった。

 んでまぁ、『外道の群れ』は、関東大震災以前までの伊藤春雨と、その周辺の群像劇を主題にし、伊藤のエッセイ、美濃村の証言、歴史資料等を元に再構成された物語形式の体裁をとっているんだが、これが中々、大正時代の雰囲気や文化的な情景をたっぷり描いていて、谷崎、乱歩、夢野辺りのファンには是非勧めたい。団センセイだからといって、拉致監禁とか浣腸はないから、おとうさん・おかあさんにも安心だゾ☆。

 それにしても、JUNKさん、文化的気質は大正ロマンと1980年代的なキッチュかつキャンプな精神で、人格的には1960年代のイカレる若者たちを引きずっている(本人は1980年代産まれなのに)とよくいわれるのだが、『外道の群れ』での大正時代の文化的情景の描写にゾクゾクとキすぎて参った。

 なんせ、お昼の「午砲(ドン)」が鳴り響き、学生はマント姿、飲み屋には阿呆陀羅経を唱える遊芸人が訪れ、チャカポコとなる木魚の代わりに、「カチャカチャ」となる竹の拍子木を鳴らして、道化経文を唱え始めれば、中年の流しがやってきて、ヴァイオリンを弾きながら「カチューシャ」を歌い始める。

 帝劇ではトルストイの「復活」が上演されて、帝都の街には松井須磨子の『カチューシャの唄』氾濫し、新聞記者は舞台の、いわばレヴュ中の松井須磨子の「プロマイド」を小脇に抱え・・・・・・「サクラ大戦」すぎるな・・・・・・。

 それはそうと、一部の好色者たちによる外道の群れは、「好色研究会」(「変態研究会」や「責めの研究会」なる名前の候補があった)なんて、秘密倶楽部を組織し、メンバァのひとりである精神分析学者サンは「私も伊藤先生の如くかかる責めの妄想については長年研究したものでありますが、伊藤先生の倒錯せる性情というものは、相手を虐待し、それにて快感を得るという種のものであり、これはフランスの作家マルキ・ド・サドの名前からクラフト・エービングが命名したものであります。」(125頁)なんて、フツーに出てくるから、性科学に傾倒していたり、北原・秋田辺りの本に慣れしたんでいる身にはたまらなさすぎる。


 とりあえず、もう少し涼しくなって、色々と書き物が落ち着いたら、去年くらいからいってる気もするが、緊縛術をしっかり学ばなければと思うの、私。やっぱり、21世紀なんだから、これからのジェントルマンはタロットだけでなく、緊縛術にも精通し、東西を問わない幅広い文化と、ヴィクトリア朝時代の児童文学に精通しているべきだと思うの・・・・・・私。

 とりあえず、「カチューシャ」。帰宅してひたすら「カチューシャ」関連の動画を見ているうちに、くにおくんのドッジボール部にぶちあたったよ。ああ、俺がカチューシャ(を筆頭にした、ロシア民謡、「トロイカ」、「黒い瞳」、「悲しい天使」、「ボルガの舟歌」、「ともしび」)が好きなのは、きっと、こいつのせいなんだろうなと思った。


もるどふ(笑)

【作業用BGM】くにおくんドッジボール部対ソ連戦BGMがひたすら流れる動画

  1. 2009/06/30(火) 03:40:00|
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楳図で、キャロルでシルブルだったと・・・・・・いいます

関屋様
 
 久々にヴァイオリンのレッスンで、久々に労働のない月曜日で、久々に夕方にドトールにいて、いそのえ・えいたろうの『AV監督』が読み終わって・・・・・・久々に、早めに帰宅したので、残ってる作業の仕上げをやろうとしたと・・・・・・いいます。

 PCが立ち上がるまで、たまたまPCのトコにおいてあった『わたしは真悟』の7巻(最終)を読み始めて・・・・・・(´;ω;`)ウッ。昨日は、資料を基に、散々っぱらアリスについて喋りまくって、予想通り、今日は夢の中でもアリスについて、ムニャムニュ喋っていたワケだが、楳図センセ・・・・・・やっぱりキャロルだなぁ。

 いづれ『わたしは真悟』とキャロルを絡めた、子供の情景や大人社会に対する反抗みたいな感じで、奇っ怪な論考を書くか・・・・・・。でも『不思議の国』はなるだけ使いたくないし(ありきたりすぎるし、手垢がつきすぎている)、やっぱり『鏡の国』と『シルヴィーとブルーノ』だよな、『わたしは真悟』と絡めるには。後者は全体を理解するには手間がかかるし、鬼のように読み辛いし、途中で寝た記憶もあるから骨が折れることになると思うが・・・。

 早く帰宅→『わたしは真悟』7巻を読む→(´;ω;`)ウッ→ラストの佐渡島関連の語られ方が気になり、解説サイトを閲覧しているうちに、2chの『わたしは真悟』スレに辿り着き、読める範囲の過去ログを漁ってた→/(^q^)\気づけば2時間近く経過していたと・・・・・・いいます。

 ところで、ここ3ヶ月ほど本棚に対する楳図インヴェィジョンがやばいwww『わたしは慎悟』文庫版1〜7巻、『漂流教室』文庫版1、2、6巻、『神の左手悪魔の右手』コミック版全巻、『赤ん坊少女』文庫版、『恐怖』ハードカバー版全2巻、『洗礼』文庫版1巻、『恐い話』の文庫版が何冊か、SVCの『へび女』、秋田書店版の分厚い単行本版『おろち』(3巻だけ)etc....年内でドコまで増えるのかということを考えると「ギャーッ!」って感じ。
  1. 2009/06/29(月) 20:09:01|
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プロフィール

JUNK

Author:JUNK
 いわゆるトコ、侍魂以降のテキスト系サイトとして惰性してから早4年。日記部のみblogに移行しました。細かな素性とかは「サイト」の方を参照で。あとは「mixi」とか。

 飲んだ暮れ。夢想家。澁澤シンパ。でもシチュアシオニストにも微妙に傾倒。御上からの支援金でどうにか食いつないで、明日のために一杯の酒にありつく日々。僅かな賃金でも良いので、酒と本に換金されてしまう賃金がが支払われる知的労働の機会が欲しいこの頃。疎外労働は勘弁してください。

 専攻は社会学とかポピュラー音楽とか性問題とかキッチュな文化とかライブハウス研究とか悪魔崇拝とか色々。ほんと節操無しに色々。文化批評系よろず同人誌「Kultur Trieb」主宰。執筆者、購読者募集中。HPとかはまだ作ってないので、詳しくはmixi内のコミュを参照。


「Kluture Trieb」(mixiコミュ)

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